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2014年9月1日(月)雨
戦争を想う
 俺が大好きな8月が終わって、9月になった。「なぜ8月が好きなんだろうか?」と考えてみたが、1年のうちで8月ほど遠い昔の郷愁というか、古(いにしえ)を想起するにさわしい月はないのではないか、と漠然と思ってしまうのだが・・・。

 俺の原風景といえば、決まって、どこまでも続く青田と、その上に広がる真っ青な空、そして遠く一直線に伸びる信濃川の土手の向こうに湧き立つ白い入道雲といった、遙か昔の、真っ黒になって遊んでいたガキの頃の真夏の風景が浮かび上がる。信濃川の眩しく波立つ浅瀬で鮠を追い、ひっそりと淀むワンドの水面を回遊するオニヤンマや、青く夏草がそよぐ土手に舞うジャコウアゲハ・・・目を閉じれば次々と思い出されて涙ぐむほどの懐かしさで迫ってくる。

 そして8月は、夏祭りやお盆という日本の伝統行事があると同時に、6日の広島、9日は長崎の原爆忌、15日の終戦記念日と、まさにその時代を「遠く及ばなくても、想像する」ことができる特別なひと月だと思っている。

 この8月には、2冊の本を読んだ。1冊は東大文学部教授で日本近現代史を教えている加藤陽子著「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」。もう1冊は直木賞受賞の中島京子著「小さいおうち」、山田洋次監督によって映画化された作品でもある。

 「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」は、中島教授が神奈川県の私立・栄光学園の高校生に行った講義を本にしたものである。日清戦争から日露、第一次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争までの5日間の講義で、中島教授は詳細な資料やエピソードを交えて生徒たちに「なぜ?」を問いかけながら日本が戦争へと突き進んで行く当時の背景を解き明かしたものである。
 本の帯に書いてある鶴見俊輔氏の論評ではないが、俺も同様「目がさめるほど面白かった」。そしてつくづく、今年の
崎市平和祈念式典で被爆者代表 城臺美彌子(じょうだいみやこ)さんが「平和への誓い」で叫んだ、『いったん戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか』の言葉が、ストンと腑に落ちたのである。

 「小さいおうち」は、国家の戦争という歴史のなかで、一人一人の市民がいかに翻弄され大きな悲しみと深い傷を負うことになるのか、を実に巧みな構成で著した小説である。このドラマの解説にも似た(れっきとした小説部分だが)最終章<小さいおうち>では、何度も文字が涙で滲んで読み進めなかった。

 8月25日と今日(9月1日)の新聞に載った俳句と短歌から。

 体験の黙殺さるる敗戦忌     宮城和歌夫

 「見解の相違ですね」と打ち切った民への宣戦布告のやうに   桑原元義

 言霊の幸(さいわ)う国の木に止まり法(ホウ)、崩(ホウ)、不穏(フオン)とふくろう鳴くよ 水上香葉

 法の字を「灋」と正字で書きてみし解釈憲法なりし夕べに    庄司天明

 烈日のなか八月の貨車が来る過去の闇乗せ重き貨車来る    美原凍子


 (そして、こんな短歌も)

 菩提樹もへくそかづらも実を結び秋立つものか山風匂ふ    小林勝幸


 そして俺も、しばらく藤沢の自宅に居ましたが、今週からおやじ山に入ります。
 

おやじ山の秋2014
2014年9月8日(月)晴れ
おやじ山の秋2014(中秋の名月)
 一昨日(9月6日)長岡入りして、地元在住の同級生のA君と一緒に千楽の会(あさひ日本酒塾OB会)の例会「勝保の田圃の稲刈り」に参加した。それから皆でじょんのび村の茅葺の家に移動して恒例の宴会(まあ、これが楽しみで稲刈りに参加するようなもので)。そして昨日の朝は、皆が去った最後に、A君と共に茅葺の家を出た。
 それからこのまま長岡に戻るのはもったいないと、二人で昔懐かしい鯨波の番神海水浴場までドライブした。小学、中学、高校と夏休みになると長岡からここまで、ガキの頃はおやじに連れられて信越線の蒸気機関車で、中学、高校時代は何とえんえんと自転車をこいで鯨波まで泳ぎに来たのである。

 そして昨晩遅くおやじ山の麓のキャンプ場にテントを張り、今朝は6時半におやじ小屋に行った。小屋脇のコナラの木に掛けたシジュウカラの巣箱の穴が大きくなっていて、その穴にゴミのようなものが引っかかっていた。よくよく見るとムササビの尻尾で、今までヤマザクラの斜面のホオノキの巣箱にいたムササビ君が移住したのだろうか。

 今日は谷川から引いている水道を開通させ、山に置いている鉢植えのミツバチラン(キンリョウヘン)や実生から育てた山野草のポット苗に水やりなどをしたが、久々のおやじ山で嬉しくて作業もうわの空になってしまった。

 夕方キャンプ場に戻って、晩飯は山から下ろした七輪でサンマを焼き、塩漬けワラビを戻して油揚げとササガキ牛蒡と一緒に混ぜご飯を炊いた。
 そして今日は中秋の名月である。東山の稜線から昇る明々とした月を愛でながら、黒焦げのサンマをつつき、味ご飯を肴に茶碗酒をすすり、何とも贅沢な月見の晩だった。


鬼の目に涙の秋刀魚焼きにけり
        
(稲垣 長)

焼く度に秋刀魚の一詩よぎりけり
        (岩本京子)
2014年9月9日(火)晴れ
おやじ山の秋2014(満月と虫の音)
 10時、一旦山から下りて長岡でいつもお世話になっているSさん家にご挨拶に伺う。そしたら帰りにお酒や大きなおにぎり、奥さん手作りの惣菜の数々と、とても一人では食べきれない程のお土産をどっさり貰ってしまった。まるで親元離れて一人暮らしを始めた息子が、たまに実家に寄ってまた帰る時のように、ご夫婦であれこれと、まるで我が息子のように俺を気遣ってくれるのである。全く、涙が出てしまう。

 今夜は満月である。今日もまた、東山から煌々とした月が昇り、「リュッ、リュッ、リュッ、リュッ」「リュッ、リュッ、リュッ、リュッ」とコオロギの音が月夜に響き渡った。そして、遠くからは片貝祭りの花火の音が・・・


二千億の星の一つに虫の声  (吉澤 忠)
 
2014年9月12日(金)曇り時々晴れ
おやじ山の秋2014(天体ショー)
 午前2時半過ぎ、トイレに起きてテントの外に出ると、西の空のまだ高い位置に見事な居待月が煌々とした明かりを放って足元を照らしていた。そして東山の稜線の上にはオリオン座の三ツ星とペテルギウス、おおいぬ座のシリウスが白く光り、東の天空にはこいぬ座のプロキオンが黄色く瞬いていた。用を足しながら満天の星空を眺めていると、「リ~ンリ~ン」とスズムシの鳴き声が耳に届いた。震えるような鈴の音にすっかり心を奪われていると、何やらまどろむような気分になって一物を仕舞うのも忘れてしまっていた。

 そして明け方、目を覚ますとテントが真っ赤に染まっている。「一体何事か?」と外に出ると、東の空が燃えるような朝焼けだった。それから「あれあれ」と思う間もなく、天空から真直ぐ大地に突き刺さるような激しい雨になった。

 雨が上がってから猿倉岳の「天空のブナ林」に出掛けた。10月5日に猿倉緑の森の会主催の恒例の「秋のトレッキングイベント」があり、そんな下見を兼ねての山歩きである。
 昨年は大豊作だったアケビやサルナシ、サンカクヅルといった木の実は、今年は全くの不作で、秋の味覚はブナ林内でアマンダレ(ナラタケの地方名)の2,3株を見つけただけだった。この秋、クマ被害が多発しなければと心配である。
2014年9月15日(月)曇り
おやじ山の秋2014(Nさんの薪割り)
 昨日の朝早く、森林インストラクター仲間のNさんが遥々神奈川からやってきた。そしてキャンプ場に着くやいなや疲れも見せずに「さあ、仕事しましょう!」とおやじ山に入って、小川の斜面に転がしてあった杉丸太を運び上げてチェーンソーで玉伐り、パカパカと薪割りをしてくれた。

 そして今日もその続きである。午前中はNさんと二人で上の杉林の捨て間伐の材を運び出して玉伐り、午後からは昨日同様Nさんに薪割りをしてもらった。お蔭でこの冬一杯に余りあるほどの燃料が確保できて大安心である。

 夕飯はNさんと酒を酌み交わしながら、西の空に沈む真っ赤な夕日を眩しく眺めては、「いいねえ~綺麗だねえ~」と何度も同じ言葉を呟きながらの二人宴会だった。
2014年9月16日(火)曇り~雷雨
おやじ山の秋2014(山の幸の裏年)
 今日はNさんが帰る日なので、八方台のいこいの森に朝早く出掛けた。10月初めに毎年木の実採取を楽しみにしている森林インストラクター仲間のTさん達が神奈川からやってくるので、その下見の積りである。
 予想通り、ダメだった。完全な木の実の裏年である。昨年は一捥ぎで手に余るほども採れたガマズミの実が、今年は殆ど見当たらないのである。「これじゃあTさん一人分の量もないねえ。ここでTさんの後を歩いたら、今年こそ誰も収穫ゼロだねえ」とNさんと苦笑いしながらの探索だった。そして、いこいの森の帰りに八方台に寄り、周囲の山々の風景を目に止めてから山を下りた。

 10時過ぎ、キャンプ場を去るNさんを見送った直後から雨になった。そして正午には雷混じりのまさに豪雨となった。
 もう今日は山仕事はやめて、午後からは悠久山にある老人福祉センターの風呂に入り、溜った洗濯物を持ってコインランドリーに向かった。

 夕方、カミさんに電話をかけた。先月の誕生日近くに受診した年一回の定期検診の結果が自宅に届いている筈なので、封を切ってカミさんに悪い箇所を読んでほしいと頼んだ。そしたら眼底検査と聴力検査が悪いという。予想した目と耳である。最近はカミさんの顔がやけにぼやけて見えるし、カミさんの高い声がことさら聞こえなくなった。
 「・・・で、γ-GTPは?」と一番気になっていることを訊くと、「おかしいわねえ?正常だって。この数字間違っているんじゃないの?」と言い返してくるのである。余程お墨付きが気に食わないらしい。ここは「まあ、そうかもしれないなあ」とおっとり構えて返事をして、安心して電話を切った。