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2014年5月6日(火)晴れ
おやじ山の春2014(孫の山菜採り)
 5月2日夜、カミさんと息子、それに孫の承太郎と一緒に車でおやじ山に戻ってきた。翌3日の午前中には、娘も友達のSさんと一緒にキャンプ場に到着して、1年ぶりの家族揃ってのキャンプ生活となった。
 そして2日間おやじ山で過ごした娘たちは、大型連休終盤の関越道の渋滞を気にして5日の午前でキャンプ場を離れたが、新幹線の指定席を取っていた息子と孫は、連休最後の今日の午前中まで滞在することができた。

 息子と承太郎にとっては、1年ぶりのおやじ山である。4日、5日と2人を連れておやじ小屋で山菜採りをさせたが、息子は小屋向かいの山菜山のポイントを覚えていて、質の良いウドやフキをしっかりと手にしていた。自分の大好物のミズも、以前カミさんが教えた出場所が頭に入っているらしく、1人で谷川に下りて行って両手いっぱいに小屋に戻ってきた。年々こうして息子が山菜採りに興じて夢中になってくるのは、見ていて嬉しいものである。

 そして孫の承太郎の山遊びの成長ぶりもめざましかった。万事真似をしたがる癖で、大きな山菜エプロンと手袋をはめて息子を追って山菜山に入り、既に覚えたワラビを摘み採り、「おじいちゃん、ウドってどれ?」とせがんでは見よう見まねでウドを掘ってと、真剣そのものである。その好奇心の旺盛さと1年前とは見違える体力に驚いてしまった。
 更に、小屋に戻ってデッキの上で自分が採ったワラビの仕分けまでして、いつ俺の作業を見て覚えたのだろうか。ワラビの仕分けは、大量に採ったワラビを塩漬けにするために長さを揃える作業だが、孫のは長さはバラバラで思わず吹き出してしまったが、「承太郎、偉い偉い!」と頭を撫でてやった。

 そして今日6日、長岡駅の新幹線ホームで息子たちを見送った。列車のドアが閉まりデッキに立つ2人にニコニコと手を振っていたが、新幹線が動き出した途端に承太郎の大きな目が見る見る赤く潤んで、思わずもらい泣きしてしまった。
2014年5月11日(日)晴れ
おやじ山の春2014(猿倉岳山開きスノートレッキングに参加して)
 8日朝、キャンプ場に突然「ドドドドッ・・・」とBMWの大型バイクが着いて、ニコニコとNさんがテント場に上がってきた。Nさんは森林インストラクター神奈川会のメンバーで、10日開催の「猿倉緑の森の会」主催の「猿倉岳山開き&スノートレッキング」で他のインストラクター仲間と一緒に自然観察会のリーダーをお願いしていた。まだ現役勤めのNさんは仕事の関係で確か開催当日ギリギリに来ると言っていた筈だが、「えへへへへ、皆さんは今日からここで前夜祭でしょう?やっぱりこれに乗らない手はないと・・・」と無理をおして駆けつけた様子である。
 そしてこの日の夕方、新宿からの高速バスでSさん、Tさん、Kさん、そして今回初参加のTUさんが長岡入りしてキャンプ場が一気に賑やかになった。

 翌9日朝には、日赤町のSさんがたくさんのおにぎりと凍った麦茶を差し入れて下さって、有難やこの昼食を持って皆で蓬平町集落センターに車を走らせた。そして準備に追われている「猿倉緑の森の会」の皆さんと若干の事前打ち合わせしてから、トレッキングコースを「天空のブナ林」まで歩いて現地の下見をした。
 
 そしていよいよイベント本番の10日を迎えた。今回初参加のTUさんは残念ながら急遽この日の早朝に帰京せざるを得なくなったが、「こちらにお邪魔して、珍しいものをたくさんいただいたり見たりしました。山菜料理は全て初めての経験です」と喜んでくれた。
 「猿倉岳山開き&スノートレッキング」の参加者は総勢69名、昨夜来の雨も上がって参加者全員和気あいあいの長蛇の列のトレッキングとなった。緑の森の会代表のNさんは、「今年は雪が少なくて、果たしてスノートレッキングになりますかいねえ・・・」と心配していたが、ブナ林内には所々白い雪が残って、ブナの新緑との美しいコントラストを見せていた。

 約2時間余りのトレッキングを終えて、参加者全員蓬平温泉旅館が用意してくれたマイクロバスに分乗して集落センターまで下りた。集会所の中に入ると、期待の昼食会である。特A米のコシヒカリのおにぎりが並び、ウド、コゴミ、ヌノバ(ツリガネニンジン)、コシアブラなどの山菜天ぷら、コゴミのごまあえ、手打ちそばと、次から次へと料理が出されて食べきれないほどだった。
 はち切れんばかりの腹を抱えて外の広場に出ると、昨日「緑の森の会」の皆さんが採取していた山菜がテーブルの上に並べられて即売会である。ウドの束が、何と!100円という激安値段で、Sさんが素早くTさん、Kさんのお土産用にと買い占めたのには笑ってしまった。

 そして今日は、イベントリーダーを務めてくれたNさん、Tさん、Kさんが帰る日である。午前中にキャンプ場を発つNさんとKさんは、午前4時起きして二人でおやじ小屋まで行ってきたと話して、BMWと新幹線でそれぞれ神奈川に向かった。そして午後になって、Tさんもカミさんと一緒に山菜山でフキを採ったあと、大きなリュックを背負って長岡駅の改札口を入って行った。

 「みんな帰っちゃったね」 テント場の前にある高台、「バー・サンセット」(Sさんの命名である)に折り畳み椅子を出して缶ビールを手にしながら、Sさんがしんみりと言った。今日も美しい夕日がSさんの顔を赤く染めていた。「俺も、明日帰ります」Sさんが言葉をつないだ。最後のsさんも居なくなって、また寂しくなると思った。

 
2014年5月16日(金)曇り、強風吹く
おやじ山の春2014(俺が愛した黄土)
 昨日は水穴に入った。今年3度か4度目の入山で、コゴミの時期が既に終わって、奥山の水穴でもそろそろワラビが出る頃だとの思惑があった。いつもと逆コースの斜面から入ったが、出口に近いコゴミ畑で太いワラビを大量に採った。例年ならまだ水穴のワラビは早い時期で、競合相手が居なかったせいもある。こんなに質の良い立派なワラビを大量に採ったのは、恐らくガキの頃のおやじと一緒の時以来ではなかろうか。

 それで今日は、カミさんを誘って今年初めての黄土に入った。「自分が一番大事にしているものを、すぐ手にとってしまわないで、じっと我慢して温めておく」という俺の屈折した性格(貧乏性?)のなせる業で、黄土こそ遙か昔に、おやじやお袋と一緒に山菜採りをした思い出深いまさに原風景ともいえる大切な場所で、じっと今日まで満を持して山入りを我慢していたのである。それが昨日の水穴の大収穫で火が点いて、黄土行きを決心させたのである。

 今日はラジオが「台風並みの低気圧接近」と報じて、随分と風が強かった。こんな日には他の山菜採りには会わないだろうとの気持ちもあって、今日は山菜採りよりは昔おやじやお袋と一緒にそうしたように、黄土の斜面に腰を下ろして眼下に広がる長岡の街並みを見ながらのんびりしようと思っていた。

 黄土に足を踏み入れた途端、目を疑った。何という斜面の荒れようだろうか。跋扈蹂躙したかのような踏み痕で地肌剥き出しの道が縦横に走り、斜面のあちこちにスーパーの惣菜トレー、パンの空袋、ペットボトル、缶詰めの空き缶と散らかし放題である。激しい怒りを通り越して、「ワ~!」と泣き出したい気分になった。自然を汚しただけではない。黄土という俺にとってはかけがえのない思い出の場所を汚し、俺が胸の奥にしまっていた大切な記憶を無理やり払拭するかのような行為に、すっかり傷つき落ち込んでしまったのである。

 ワラビではなくゴミだけを拾い集め終わって、カミさんに「もう、帰ろう」と声を掛けた。今日の黄土に、長くは居たくなかった。あんなに大事にし恋焦がれるように愛していた俺の黄土が、遙か遠くに離れ去って行くようだった。

2014年5月19日(月)快晴
おやじ山の春2014(蛇メッタ打ち)
 空気の澄んだ快晴の青空となった。朝、カミさんと一緒にテント場からおやじ小屋に「出勤」する途中、見晴し広場の展望台に上ると、長岡の街並みがGoogleマップのようにくっきりと見えた。さらに柏崎方向には、米山山の奥に真っ白に雪を被った妙高山を望むことが出来た。珍しいことである。

 小屋に着いて、ひょいとコナラに掛けた四十雀の巣箱を見ると、丸い巣箱の穴から変な物が飛び出ている。咄嗟に以前にも確認したアオダイショウだと分かった。森林インストラクター神奈川会のSさんに言わせると「地回りの蛇」で、こうして野鳥の巣を巡回してはヤクザもどきに卵やヒナを呑込んで悪さを働くのだという。カミさんが見たのは初めてで、「やだ~!ね、ね、早く殺して!」と、俺が蛇大嫌い人間だと分かっていながらせっつくのである。「やだ!冗談じゃない。・・・蛇が可哀想だ」。「ウソ!」。
 しばらく二人でじ~と見ていたが、蛇がそのまま巣箱を出る様子もないので、俺は若杉の森に入って草刈りをした。山暮らしもそろそろ終盤に入って、途端にあれこれの仕事に追われるようになった。

 「キャ~ッ」と叫び声がして、「何があった?!」と小屋に馳せ参じると、何と!カミさんが1間(いっけん)のバカ棒(伐倒した丸太の玉伐り用に使う6尺の目盛りを刻んだ棒)を振りかざして巣箱を下りてきた蛇と対峙している。そして「わ~やだ!どうしょう・・・。棒で叩いたら向かって来る?」と訊くので、「向かって来ない」と答えるやいなや、「エイッ!」と蛇を一撃した。そして木から落ちた蛇に向かって一人で大騒ぎしながら、更に追い討ちをかけて、もう目茶苦茶に叩き続けるのである。
 「バキン!」と音がしてバカ棒が折れて3尺になった。「イタッ!」と思わず(心の中で)叫んだのは、俺である。何もアオダイショウに惻隠の情を持つわけではないが、俺はとてもカミさんみたいにはやれない。カミさんの徹底ぶりをだいぶ後ろの方で傍観しながら、『俺はおっかない女を女房にしたなあ・・・』とつくづく思い知った次第である。

「エイッ」と一撃。「ニャロメ逃がすものか!」「エイッ」「エイッ」「エイッ」「エイッ・・・」とメッタ打ち。と、後ろから「イタッ!」と悲鳴?が・・

 今朝の風景が余りにくっきりしていたので、(蛇メッタ打ちの気分晴らしもあって)小千谷にある山本山に行ってみることにした。信濃川西岸にある低い山だが、山頂が公園になっていて360℃の眺望がきくのである。素晴らしかった。守門山、浅草岳、越後三山、上越国境の山々、妙高山と、遠景の真っ白な山と眼下の水田や信濃川の流れ、菜の花畑の鮮やかな黄色い絨毯、まさに息を呑む美しさだった。
(下の写真にマウスのポインターを載せると拡大写真になります)
      
2014年5月23日(金)曇り
おやじ山の春2014(♪こんにちは~フクロウ♪その1)
 4時起床。カミさんを叩き起こして(とてもメッタ打ちにはできないけど)今日は二人で水穴に入ってワラビ採りである。ルートはキャンプ場からおやじ小屋~北尾根~三ノ峠山~赤道萱峠コース~水穴の強行軍である

 寝ぼけ眼のカミさんを急かしておやじ小屋まで着くと、今度はフクロウの巣箱から首を出している者がいる。「あれ~?」と巣箱が掛けてあるホオノキの大木の下に寄ると、フクロウの赤ちゃんだった。今までせっせと親フクロウが餌を運んでいたことは分かっていたが、今日は晴れて初対面である。思わず「♪こんにちは~フクロウ・・・♪」と梓みちよの歌を口ずさんだけど(古いなあ~)いよいよこれから巣立ちで、「はて、外界はどんな様子か?」と先ずは巣箱の穴から検分に及んだのだと思う。おやじ小屋からフクロウが巣立つとは嬉しい限りである。どうか俺が嫌いな蛇を一杯喰って、早く大きくなってください。「応援してま~す!」(「人生の楽園」の西田敏行みたいだけど・・・)

 ところで、水穴のワラビは、少し伸び過ぎていたが、さすが山菜の宝庫である。午前10時に重いリュックを背負ってキャンプ場に戻ると、Sさんからの大きなおにぎりがキッチンテントのテーブルの上に置いてあった。両手で押し頂いてから口に頬張った。
2014年5月24日(土)晴れ
おやじ山の春2014(♪こんにちは~フクロウ♪その2)
 爽やかな霧の朝である。朝キャンプ場の管理人さんと立ち話をする。6月1日に開催される第65回全国植樹祭は今年はここ長岡が会場で、天皇・皇后両陛下をお迎えするために町内会も大変だ、というような話題になった。「実は俺も当日の式典とお手播き会場に招待されました」とうっかり口にすると、「エ~ッ!」と驚かれてしまった。

 午前中、長岡の街に出てホームセンターで買い物を済ませ、フラワーフェスティバルが行われている会場に足を運んでみた。大きな広場には土産品や植木・山野草、木工細工などの展示即売のテントが並び、声を掛けられて立ち止まると、顔見知りの市役所のMさんがニコニコと寄って来た。「やあ~御自ら頑張ってますねえ」と言うと、「はい、これ」と全国植樹祭のPRパンフレットを手渡された。6月1日の本番に向けて、全市あげてこうして盛り上げているとなると、俺も気を張って式典に参加しようと気持ちを新たにした。

 街から帰って、ホームセンターで買った材料の荷揚げをする。今日も巣箱から顔を出しているフクロウに「♪こんにちは~フクロウ♪」と挨拶して、おやじ小屋の周りでバタバタと仕事をしたが、やはりフクロウが気になって巣箱を見るたびに、向こうも首を傾げたり回したりして俺の方にサインを送るのである。多分、俺に馴ついちゃったのだと思う。嬉しい~!

 夕方、山からキャンプ場に戻ると、近くにテントを張っていた若者グループが帰り支度をしていた。そしてテントを畳み終わってこちらにやって来て、「あの~、ビールって飲まれますか?」と残ったとみえる缶ビールを4本も差し出すのである。「はい、飲まれます!飲まれます!」と有難く頂戴した。今の若者は、家では酒は飲まないのだろうか?

2014年5月25日(日)晴れ
おやじ山の春2014(♪こんにちは~フクロウ♪その3)
 小屋前のデッキが腐って壊れかけているので、全て撤去した。そしてここに新たにテーブルを作ることにした。昨日はそのための材料(杭など)をホームセンターで買って来たのである。
 そしていよいよ今日からテーブル作りのスタートである。

 先ず、テーブルの支柱となる杭をカケヤで土中深く打ち込む。何しろここは豪雪地帯で、深い積雪にも耐えなければならないから、生半可な作業では雪に負けてしまう。さらに支柱に枕木を渡しその上に杉の背板を敷くのだが、水平をとるためのこの枕木削りも大仕事だった。

 ほぼ1日中「カンカン!ドスンドスン!」と大音を立てて作業をしていたが、フクロウ君はいっさい不平(?)も言わず、じっと俺の作業を見続けて(監督して?)いた。すっかり俺に馴ついた様子である。

 キャンプ場に帰るとSさん夫婦がご馳走を持ってテントに訪ねてきてくれていた。Sさん達が帰り、入れ替わるようにして地元の森林インストラクターのMさんがテントにやってきた。いろいろな植樹祭関連の資料を頂戴したり今後のボランティア活動の話などをしながら、しばし和やかな時間を過ごした。

(この日を最後に巣箱からフクロウ君が消えた。無事巣立ったのだろうか?どうかこのおやじ山で、元気で逞しく生き抜いて欲しいと祈る)
2014年5月27日(火)晴れ
おやじ山の春2014(Nさんの手打ち蕎麦)
 昨夜は、一晩中雨が降り続いた。そして今朝はカラリと晴れ上がって、朝からぐんぐん気温が上がり始めた。中越地方は25℃以上の夏日になるとラジオが報じていた。

 「おはよう!」と元気な声がして、麓の栖吉町に住んでいるNさんがテント場に上がってきた。「今朝打ったがらてえ。食ってくんねかね」と菓子箱を差し出すので蓋を開くと、丁寧に和紙で包んだ手打ちの蕎麦と長岡の老舗店の高級和菓子が入っていた。「エッ!Nさん蕎麦打ちもやるの?」と訊くと、「えへへへ、まあね」と笑っている。この人はまさに巷の大博物学者兼何でも屋さんで、植物、獣、昆虫などの自然科学から、風土、歴史、文化、芸術と、まあその辺に埋もれさせてしまうのはもったいない程の人物である。「驚いたなあ~、Nさんは何でもやるんだね」と心底感嘆して言うと、「これだけはダメんがて」と小指を立てて大声で笑うのである。

 そして1時間ほどNさんと談笑してから(こういう人と話をするときには、本当はメモ用紙を手にして臨むべきである。貴重なこぼれ話が次から次と出てくるからである)、おやじ小屋に「出勤」した。

 午前中は谷川の水道水経路の草刈り、中の池周りと小川の脇の草刈り、ミョウガ畑の手入れ、そして午後には小屋前のテーブルを完成させた。猛烈に働いていよいよ山仕事のラストスパートである。(もっと早くからやればどってことなかったのに・・・毎年この調子である)

 夕食はもちろん、Nさんから頂戴した手打ち蕎麦である。本当は打って直ぐの朝か昼に食べれば良かったのだが、しかし、実に旨かった。特級品の蕎麦の味である。
2014年5月28日(水)晴れ
おやじ山の春2014(Nさんの野点)
 今日は昨日よりはさらに気温が上がって、下界は30度を超える真夏日だという。しかしおやじ山に入ると気温がス~と下がって実に凌ぎやすくなる。湿度が低くカラッとしているのも山仕事には好都合だった。

 今日も猛ダッシュで仕事をした。一段目杉林の中のキクザキイチゲの丘の草刈り、山道脇のコシノカンアオイの群落場所の草刈りなど、自分で言うのも何だが、親の仇と言わんばかりの奮闘ぶりだった。いずれも来年春の、早春花と絶滅危惧種の蝶の保護のための手入れである。

 そしてへとへとになってキャンプ場に戻ると、俺のテントのすぐ上のデッキテーブルで昨日のNさんと奥さんが野点(のだて)をやっていた。真夏日の夕間暮れに、こんな場所でのんびりと野点を楽しむとは、まさにNさんらしい真骨頂である。

 カミさんと二人でお相伴に与かったが、全く、一日の山仕事の疲れが吹き飛んだようだった。今日はNさんから秋のきのこアミタケの冷凍保存のやり方を聞いた。これはしっかりと頭に叩き込んで、時期になったら実践するつもりである。
2014年5月30日(金)晴れ
おやじ山の春2014(Sさん達の来訪)
 明け方4時頃だっただろうか?テントの真上で頻りにフウロウが大きく鳴いた。まるで俺に「起きろ起きろ」と言わんばかりに鳴くので、テントの外に出た。途端に鳴き止んでしまって、テント場のあちことを探し回ったが、見つからなかった。しかし代わりにホンドリスがコナラの幹に掴まったまま俺の方をじっと窺っていて、何とも可愛いかった。

 今日で30℃近い夏日が4日間続いた。気付けば明日で5月も終わり、衣替えの6月である。明後日の全国植樹祭に出席すれば、もう引上げの準備だけである。

 それで今日は、長岡で一番お世話になっているSさん夫婦が花好きのお友達Oさんをお連れしておやじ小屋を訪ねて来て下さった。考えてみると、Oさん夫婦はキャンプ場までは何度も足を運んで下さったが、今春のおやじ小屋の訪問は初めてである。

 おやじ小屋に着いて、早速Oさんを案内しておやじ山のあちこちを見てもらった。トケンランの株や先日のフラワーフェスティバルで買った雪割草の移植株などを目ざとく見つけられて、さすがと感心してしまった。
 そしてここまで持ち込んだSさんの奥さんとOさんの手料理がズラリ新設のテーブルの上に並んだ。特上のおにぎりが並び、アスパラの肉巻きが盛られ、ミズの塩麹漬け、ワラビのお浸し、フキの煮物と、全く山中とは思われない豪華なランチだった。

 山から下りてテント場に戻り、ここでも楽しい会話が弾んだ。そして午後3時、Sさん達がキャンプ場を離れて行った。

 Sさん達を見送った後、バー・サンセットの高台に折り畳み椅子を出してビールを飲んだ。頭上のコナラは青々と繁り、周りのガマズミやリョウブの木も猛々しく緑を濃くしていた。そして眼下に広がる越後平野は、もうすっかり夏の風景である。 残り少なくなった春の日、今日は本当にいい一日だった。