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最後のページは<11月30日>    東北の山旅(宮城・岩手抱きつ木の記)は最後のページ(11月30日日記)です。

2014年11月3日(月)晴れ
おやじ山の秋2014(プロローグ)
 3日前(10月31日)に藤沢の自宅に戻った。9月7日のおやじ山入りから55日目である。また明後日(11月5日)から1週間ほどの出張が入って、今年は例年よりは早い下山になった。出張先は再び東北地方で森林調査の仕事である。

 自宅に戻って、一昨日、昨日と随分忙しかった。長期間寝泊まりをしたおやじ山の麓のキャンプ場でテント撤収したガラクタ類を、汗だくで車から下ろして片付けたり(それでも長岡でいつもお世話になっているSさんのお宅に嵩張るキャンプ道具を随分預けて大助かりだった)、自宅に溜った大量の郵便物をチェックしながらゴミ箱に放ったり、アッという間の日暮れで思わず山暮らしの癖でいそいそと一升瓶に手が伸びたりと、全く息つく暇も無かった。
 そしてようやく今日はいくらかのんびりとした気分になって、こうしてパソコンに向かっている次第である。

 それにしても、今年のおやじ山の秋は短かった。9月になっても夏の季節感がズルズルと尾を引き、10月に入って日本列島を大型台風19号が襲った後の17日頃から、ようやく秋らしい冷え込みが来た。そして「いよいよ秋だなあ~オータム・ハズ・カムか~」と遙か昔に習った英語の文法を懐かしく思い出しながら感傷に浸る間もなく、もう冬日を迎えてしまった。
 10月27日に毎年春秋の恒例となった長岡高校時代の友人たちがおやじ山に集まり、氷雨降るテント下でミニ同窓会を開き、翌28日の朝にはその雨がミゾレに変わった。冬の到来である。
 昔から「春夏秋冬」は各々の季節がほぼ3カ月毎と決まっていたはずなのに、今や「
冬」の日本になってしまった。名著「風土-人間學的考察-」を著した和辻哲郎先生も、草葉の陰から「はて?日本人気質を修正せねば・・・」と近年の季節の荒れに眉をひそめているかも知れない。

 東北の出張から帰ったら、「おやじ山の秋2014」を9月日記に遡ってアップします。この秋もまたおやじ山の素晴らしい自然に浸り、多くの人たちから心温まる親切を受けました。そんなこもごもを綴っていきたいと思います。


 
 
2014年11月12日(水)曇り
福島の山旅(巨木と温泉)
 昨日(11日)福島県の森林調査の仕事から帰って来た。相性のいい若いKさんと久々のペアの仕事で、無事に済んでホッとしている。そして、ほぼ1年ぶりの山歩きの仕事で、果たして7日間のハードワークで体力が持つか心配したが、Kさんの後を何とかついて行くことが出来た。それもこれも、宿探しのうまいKさんがとってくれた温泉宿のお蔭で、俺の体力が維持できたと思っている。 一日の仕事が終わってぐったりと疲れた体を温泉に浸した時は、何とも言い難い至福の瞬間である。

 前半の4日間は湯岐温泉の山形屋旅館という湯治宿に連泊した。この温泉はぬる湯だが、足元の岩の割れ目からコポコポと湧き出す自噴源泉がそのまま湯船になっている。じっとその泡の上で瞑想していると、目の前で「コポ!」「コポ!」と泡が弾けて何やら風呂で屁をしたような開放感でうっとりしてしまう。
 この岩風呂は深いところで1メートルもあって、朝風呂ではラジオ体操代わりに泳いだ。(だって、朝風呂はいつも俺一人だった)平泳ぎで湯船を3往復もすると最後は溺れそうになって、朝の体操終了である。


 後半は志保の湯温泉に宿変えした。湯滝の宿と銘打っていて、なるほど温湯の隣の湯船には上からジャージャーと冷泉が落ちてきていた。「ドボン」といきなりこの滝湯に入ると、冷たくて震い上がってしまう。慌てて湯船の仕切りを跨いで冷えた身体を温湯に沈めるのである。
 ここでも毎日食事前の朝風呂に入った。先ず42度の温泉でじっくり体を温め、それから最初は意を決して27度の冷泉に飛び込む。「1、2、3、4・・・」と数えて、「ザ~ッ!」と身を起こしてまた温泉に移り、身体を温めてからまた冷泉にと、これを何度か繰り返すのである。(だって、ここでも朝風呂はいつも俺一人だった)
 するとどうだろう。温泉でののびのびとした開放と冷泉でのストイックな収縮の交互の繰り返しで、体の芯で何やらメラメラ(ムラムラ?)と燃え上がる(沸き立つ?)サムシングが感じられた。それで「今日もやるぞ~!」と言う気持ちになるのである。

 そして今回、仕事の行き帰りに偶然目にした巨木の何本かである。2日目に観た古殿八幡神社の大銀杏と大杉。3日目は越代の桜。その翌日には越代の大杉と出会うことができた。
 これらの巨木の前に佇むと、その姿に圧倒されながらも、ごく自然にもう一つの目線が自分自身の心の中へと向かうのを悟らされるのである。巨木たちの存在そのものが、小さき者たちにとっては大きな大きな意味を持っていることに気付かされるのである。一つ処にじっと佇み続けていた悠久の時間と忍耐が、かくも麗しき尊厳を樹木に纏わせるものだと、果たして本人たちは認識しているのだろうか。願わくば、いつかは
俺も・・・
2014年11月30日(日)晴れ
東北の山旅(宮城・岩手抱きつ木の記)
 一昨日(28日)盛岡から新幹線「はやぶさ」に乗って自宅に帰った。先日の福島県出張と同じ森林調査で、今回は21日に宮城県入りして8日目に岩手県の山を最後に仕事を終えた。今回の相棒も福島と同じKさんで、気心の知れたKさんと一緒の旅は本当に嬉しかった。

 ここでは仕事の内容を詳述することはできないが、要は地球温暖化防止にまつわる森林の効果を調査・分析するデータの収集である。調査地点は全国各地にランダムに選定された植林地で、先ずは地図とGPS(更にヤマカン<山勘>)を使って現場を探し当てることから始まる。(この現場にたどり着くまでの踏破が実に困難極めるのである)そして今回の宮城、岩手のポイントは概ね林齢の高い森で、樹齢100年を超える(!)植林地が3か所もあった。

 こんな森に入ると、やはり胸がシンとしてしまう。高齢林の持つ静謐さと林立する大木の威厳が醸し出す神秘的ともいえる独特の雰囲気である。昔の杣人が伐倒前に斧の刃に刻まれた3本の筋面(三気<ミキ>:生・旺・墓の意で生命の輪廻転生を表現。さらに御神酒<オミキ>とかけた)を樹の幹に立て掛けて「これから樹を伐らさせていただきます。どうかよろしくお願いします」と呪文を唱えつつ手を合わせた気持ちが良くわかるのである。

 今回調査の基本は、一定範囲の全ての木を計測する毎木調査である。1本1本の樹木の太さ(胸高直径)と高さ(樹高)を測るのであるが、相手は俺よりもうんと長生きした堂々とした大木である。本来ならば俺も「これから樹を測らせてもらいます。どうか・・・」と呪文して御神酒を振りかけたりしなければならないが、御神酒は振りかける前にゴクンと飲んでしまうし、いちいちの呪文も効率悪いので、いきなり直径巻尺を持って大木に抱き付くのである。(抱き付いても手が回らず随分苦労したけど)その抱きつ木本数たるや!今回調査で合計1000本は超えた!と思う。
 畏れ多くも、抱き付いた樹には胸高直径91cmの巨木があり、樹高48mにも達する大木もあった。抱き付いたままじっと目を閉じて夢想などしている暇もなく瞬時の抱擁ではあったが、これらの木々と触れあえただけで良しとしなければならない。

 そして今回もKさんは、現場に近い宿を吟味して探しては手配してくれた。青根温泉を皮切りに、鎌倉温泉、鬼首温泉、鳴子温泉、東鳴子温泉、岩手の宿と、疲れた身体を、そしてとりわけ氷雨に打たれて冷え切った体を、熱い温泉に浸した時の幸福感は何にも代えがたかった。


 鄙びた湯治宿の炬燵に入っての読書も、実にいいものだった。初日の青根温泉から読み始めた河上肇の「貧乏物語」は、帰りの東京駅から乗り継いだ東海道線の電車の中で読了した。心に残る素晴らしい書物を東北の温泉宿でじっくりと読めたことが有難かった。