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最後のページは<6月27日>です。

2011年6月20日(月)雨
昨日山を下りました
 昨日、おやじ山の麓に張ったテントを半日がかりで撤収して、山を下りた。そして藤沢の自宅に帰り着いたのは、今朝の午前2時である。それから「あ〜あ、ツ・カ・レ・タ!」と3時過ぎまでぐずぐず酒を飲んでから床に就いた。
 久々に畳の上で眠ったが、長らく地べたで寝ていたせいか、畳の寝心地がしっくり来なくて、7時前には目が覚めてしまった。

 N君を伴って山入りした日が3月30日。雪景色とおやじ小屋のドラム缶風呂に入りたい、というN君も希望が叶って3日目に山を去り、途中3、4日所用で藤沢の自宅に戻ったが、再び取って返してずっとおやじ山暮らしを続けていた。指折り日数を数えると78日間ということになる。

 昨6月19日は、2日前にようやく越後の梅雨入りが報じられたというのに、真夏のぎらぎら天気になった。午前中に小屋デポのキャンプ道具を見晴らし広場まで車で運び、そこからはネコ(一輪車)に積んで汗を拭き拭きおやじ小屋まで荷揚げした。何となくそそくさと小屋を離れてしまうのが惜しまれて、心なしかぐずぐずと作業をしてたように思う。

 それでも午前11時に玄関の戸を閉めて、いつものようにおやじ小屋に向かって大声で、

 「ありがとうございました!」

 と頭を下げた。すると俺の声に呼応するかのように、小屋のすぐ上から

 「ピヨロビ、ホイ!ホイ!ホイ!」 「ピヨロビ、ホイ!ホイ!ホイ!」

 とサンコウチョウが甲高く囀った。「ピヨロビ」を「月、日、星(ツキ、ヒ、ホシ)」と聞きなして三つの光の鳥(三光鳥)だが、静まり返った山の中にこの鳴声が吸い込まれるように響き渡った。それで今度は、

 「たいへん、お世話に、なりましたあ!」

 と、もう一度大声で小屋に向って挨拶した。そしたら突然胸が詰ってきて、思わず目が潤んで泣きそうになってしまった。
 「あれあれ・・・」とおやじ山の入口まで足早に歩いて、やっぱりここでもう一度小屋を振り返った。今度は小声で「ありがとうございました・・・」と呟きながら、腰を深く折ってお辞儀をした。

 作業道を麓まで下ると、広場の電線に燕が一羽止まってしきりに羽繕いをしていた。そんな燕を眩しく見上げた空は、もうすっかり真夏の空である。まだ深く積もった残雪を踏んでおやじ山に入った時からもうそんなにも日数が経ったのかと、今更ながら驚いてしまう。

 午後1時過ぎ、パンパンのキャンプ道具を車に積んで山を離れた。新規に足を運んで親しくなった「千花」のマスターに別れの挨拶をし、そしていつもいつも底なしの親切で接して下さるSさんご夫婦のお宅にも寄って、又しても道中で食べるようにとおにぎりやら沢山のお土産やらを戴いてしまった。

 しばらく国道17号線を走った。本場「こしひかり」の早苗が植わった田圃の向うに、真っ白な雪がまだらに残る越後三山が美しく聳えていた。

(明日から少しづつ「おやじ山の春2011」を「日記」にアップします。遡った日記になりますがご容赦下さい) 
2011年6月23日(木)晴れ
浄妙寺の風
 久しぶりに鎌倉に行った。昨日は夏至、関東地方は梅雨明けを迎えたような真夏日が続いているが、今日も随分気温が上がった。しかし静かな寺の庭をのんびり散策し、時折境内を吹き抜ける涼風を体に受けると、吹き出た汗もす〜と冷まされていくようだった。

 3日前におやじ山から帰って来て、最初の朝に目にした庭のガクアジサイの清々しいブルーは、不思議な安堵感を与えてくれた。「そうかあ〜今頃が紫陽花の見頃なんだ」と改めて納得もした。そして鎌倉の寺々の紫陽花も、今がちょうど盛期を迎えている筈だった。

 藤沢から江ノ電に乗り込み、大荒れの湘南の海を見ながら極楽寺、長谷駅と電車が停まるたびに、まるで休日のような観光客の混み様である。

 しかし鎌倉駅からタクシーで向った浄妙寺は、普段通りの静かな境内だった。そして本堂に手を合わせてから喜泉庵に上がり、緋毛氈に腰をおろしてお抹茶をいただいた。
 「水琴窟が聞けますよ」と案内された濡れ縁に出て脚を伸ばして座り込む。喜泉庵の縁側に吹き込む裏山からの風が、穏やかに枯山水の庭に吹き抜けて行った。

 幾分遅くなったが瑞泉寺にも足を延ばしてみた。人気もまばらになった静かな境内を歩きながら、これからの人生は一時一時が大事なんだと、今日一日の時間に心から感謝した。
2011年6月27日(月)曇り
再び、おやじ山へ
 今日の午後、再びおやじ山に入る。29日に地元の小学校の子ども達に森の話をすることになっているので、その準備もある。それに今がちょうど、おやじ小屋の谷川でたくさんの蛍が飛び交う時期である。

 昨日は高校時代の同級生9人がSさんのご自宅に集まって、楽しいカレーパーティだった。ベトナム生まれだというSさんが、朝早くから腕によりをかけて作ってくださった本場のカレーは、まさに絶品だった。同時に供された赤ワインとも実に良く合って、意地きたなく2回もお替りをしてしまった。

 楽しい談笑のなかで、一人一人が東北大震災の当日(3・11)はどうだったか、という話題にもなった。さすが元高校教師だったKさんなどは、小旅行中の電車が停まり、「この揺れはただ事ではない!」と、咄嗟の判断で、まだ誰も並んでいない駅弁買いに走り、次に公衆電話ボックスを見つけて嫁いだ娘さん宅に安否電話を掛けた、というから大した日頃の心掛けである。T君家では、買ったばかりの大型液晶テレビをカミさんと二人で必死に押えていたと言ったので、皆大笑いしてしまった。

 20日におやじ山から帰って、そんな楽しい数日があっと言う間に過ぎて、またおやじ山に戻る。何やら「浦島太郎」になったような不思議な一週間だった。

(「おやじ山の春2011」のアップをしばらく中断します。また帰ったら続行しますのでご覧下さい)