<<前のページ|次のページ>>

おやじ山の春 2011  「6月日記」のトップページは「6月1日」です。後ろのページからお読み下さい。

2011年6月18日(土)曇り〜小雨
おやじ山の春2011(エピローグ)
 午前6時、カミさんと2度目のデポ品をおやじ小屋まで運んだ。
 それから急いで身支度を整えて長岡駅に向った。今日は「あさひ日本酒塾」のOB会「千楽の会」の開催日で、会員が植えた酒米苗の棚田の「たな草取り」とホタル鑑賞会である。神奈川からはNさんがご両親を伴って参加するというので、たな草取りとその後の宴会まで参加することにした。

 青々と苗が伸びた棚田の谷戸に、賑やかな笑い声がこだましていた。周りの山肌の緑は濃い翳を落として、すっかり夏の風景である。
 そして明日は、今年過ごした春の季節と共に、おやじ山に別れを告げる日である。

おやじ山の春 2011 おわり

2011年6月17日(金)曇り
おやじ山の春2011(動物たちとの別れ)
 いよいよ今日からキャンプの撤去準備である。
 そして今日は、(実に不思議なことだが)まるで別れを惜しむかのように、いろんな動物たちが間近で姿を現してくれた。

 朝、テントの外に出ると、すぐ傍のコナラの木にリス(ホンドリス)がいた。こちらの気配に気が付いているはずなのに幹と枝をウロウロと動き回って、なかなか逃げないのである。
 午前中に第一回目の小屋にデポするキャンプ道具を運んだが、見晴らし広場に行く途中で、すぐ目の前を再びリスが駆け抜けた。
 そして今度はおやじ小屋への山道で、サシバが枯れたアカマツの梢にとまっていた。わずか10m程の距離である。しばらく見とれていたが、「キッス、ミィ〜!」と高らかに鳴きながら飛び去って行った。
 キビタキも見た。これもわずか10mほど先の枝で、美しい卵黄色の姿に見入ってしまった。

 さらにおやじ池では、オタマジャクシやクロサンショウウオの幼生が元気に泳ぎ回っていた。最後の養生でブナの苗や挿し木へ注ぐ水汲みバケツの中に何匹も入ってしまって、ほとほと困ってしまった。

 キャンプ場で夕食を済ませてから、夜のおやじ小屋にも足を運んだ。そろそろ下の谷川で蛍が出る時期である。8時頃までねばってみたが、残念ながら未だ時期が早いようだった。
 しかしおやじ小屋からの帰り、瞑想の池から自然観察林の谷川沿いの遊歩道を歩いてみると、「いた!いた!」数は少ないがフワリフワリと闇の中で青白い光りが舞っていた。
 すでに、山は、蛍の季節である。
2011年6月16日(木)晴れ
おやじ山の春2011(社会創造科授業)
 朝早く、実家の兄嫁のN子さんから、「新潟日報に大きく載ってたよ!」と電話が入った。「名前は書いてなかったけど、すぐ○○ちゃん(俺の名前)だと分かった」とも言った。一昨日取材があった、おやじ山の希少植物の記事の事である。

 それで悠久山のコンビニまで車をとばして、新聞を買ってきた。なるほど、写真のバックに幾分ぼけた感じで俺の姿が写っているが、見る人が見れば(当然だけど)俺だと分かってしまう。

 そして午前10時に、附属長岡小学校に行った。いよいよ今日が、地元のMさん、Uさんと共に受け持つ小学3年生向けの社会創造科授業である。担当のM先生のお話では、「社会創造科とは、様々な年齢の仲間と活動することで、持続可能な社会を作り上げる力を育んでいく教科で、特に<地域の人とともに地域の問題を解決する経験>を大切にしている」のだという。

 そして校庭にある「附属100年の森」で野外授業が始まった。3限授業が3年1組の33名、4限が3年2組の32名の子どもたちで、それぞれ3グループに分かれてMさん、Uさん、俺の3人で受け持った。
 子どもたちの話を聞き、質問に答え、用意していったパネルを見せながら説明し、あっという間に100分の時間が過ぎた。そして子どもたちとの別れ際に、一人の女の子から四葉のクローバーをプレゼントされて感激で涙ぐみ、草臥れ果てて控室に引揚げてきた。
「お疲れさんでした!」「でも、とっても楽しかった!」率直な今日の感想である。
2011年6月14日(火)朝豪雨〜曇りのち晴れ
おやじ山の春2011(取材を受ける)
 昨夜3時頃から降り始めた雨が、8時過ぎには豪雨となった。昨日新潟日報の記者から、森林インストラクターのMさんからの紹介でおやじ山に咲いている希少植物を取材したい、と申し入れがあり、出来れば今日にでも取材したいというのである。この雨ではとても・・・と思っていたが、次第に雨が上がって来た。

 11時頃、K記者から「午後1時に伺う」と連絡が入った。やって来たのはお二人で、K記者、それにカメラマンのK女史である。
 早速おやじ小屋に案内して、おやじ山を守る熱き思いを語ったり、希少植物の咲いている場所で一緒に写真に撮られたりして2時間ほど過ごした。(この記事が16日の新潟日報朝刊に写真入りで載った。<絶滅危惧種○○ 杉林の”宝”>とあって、特定できる地名や俺の名前は伏せて書かれてあったが、この記事を見た心ある方からお叱りを受けてしまった。『このような貴重種をマスコミに流すとはとんでもない行為である。本種などは「私」の土地に生えていても、まさに「公」の宝としてしっかり保護しなければなりません』と・・・。「なるほど、自然を守るべき森林インストラクターでありながら、自覚が足りなかった」と反省した次第である。)

 夜は、素晴らしい星空、そして見事な満月である。
 おやじ山暮らしも、あと残り僅かとなった。
 
2011年6月13日(月)曇り時々晴れ
おやじ山の春2011(ハーフログ、シルログ)
 赤道を歩いて、おやじ小屋に出勤。途中、附属小学校の野外授業で使うカエデ科(アカイタヤ、ヤマモミジ、ハウチワカエデ、ウリハダカエデ)のプロペラ種子を拾いながら歩く。
 カミさんは朝早くから「黄土」に一人で出掛けて行った。昨日のおやじ山のワラビ採りで、更に欲が出てしまった様子である。

 今日もログトイレ造りで、杉林に入ってチェーンソーを振り回した。一番ベースになるハーフログのカットとシルログと呼ばれる土台のカットである。チェーンソーで丸太を玉伐りするのは簡単だが、縦に割るのはなかなか大変である。

 おが屑だらけになって小屋に戻ると! 俺の大嫌いなシマヘビがドアの近くでくねっていた。思わず「ギャーッ!」と大声を上げて竹箒でやっためたらに追い払ったが、ぐったり精神疲労してしまって、仕事も何も止してしまった。
2011年6月12日(日)曇り
おやじ山の春2011
 昨日、今日と、キャンプ場は賑やかだった。下の広場ではテントメーカーとアウトドアショップがイベントをやっていて、このキャンプ場でも町内会のグループや若い家族連れのキャンパーがテントを張っていた。

 広場に張られた色とりどりのテントを横目に見ながら、自然観察林の中を歩いておやじ小屋に出勤した。
 途中の作業道路脇に自生していたノハナショウブが下刈りでバッサリ伐られていたのは残念だったが、カツラ林のサイハイランは幸い花の時期で、そこだけが刈り残されてあった。この秋にはさぞ沢山の実をつけるだろうと思われるサルナシの蔓も、蕾を膨らませて無事である。
 瞑想の池まで下りてみると、水面に張り出したトチノキの葉っぱにモリアオガエルの卵塊がいっぱい付いて、ようやく本格的な産卵時期を迎えたようである。

 小屋に着いて、今日から新しいログトイレ造りの開始である。杉林の中に入って、先ずはウマに積んである杉丸太の皮剥ぎと、チェーンソーで仮土台を作った。
 
 「ヤッホー!」とカミさんが山にやってきた。(これは別に親しいから「ヤッホー」と言っているのではなく、以前山の中で夢中で仕事をしていた時に、カミさんが突然背後からワッと声を掛けてきて、ドッキ〜ン!と心臓が止まりそうになった。それで、「山に来た時には、先ずは遠くから『ヤッホー』と合図するように!」ときつく申し渡してあるからである)
 これから自分が気になっている場所で、ワラビの様子を見てくるという。「もう、こんな時期に・・・?」と思ったが、山から戻ってきた山菜袋の中にはけっこうな分量のワラビが入っていて、さすがというか、何というか・・・

 カミさんが帰って行った後で、今度は森林インストラクターのMさんがおやじ小屋を訪ねて来た。附属小学校の野外授業で使わせて貰おうと、Mさん収集のドングリを借りるお願いをしており、わざわざそれをドングリ図鑑と一緒に持って来て下さったのである。全く、有難いことである。そして小屋の中でお茶を飲みながら、16日の野外授業についてあれこれと意見交換した。

 昨日からのキャンパーが殆ど引揚げて、1組だけ若い家族が近くのサイトで静かに夕食を摂っていた。既に暗闇が濃くなっていたが、この家族の灯りは一個だけで、気の毒なので電灯を貸してやることにした。「どうぞ」と持って行くと、ニコニコと受取ってくれて、何と!「以前おやじ小屋に伺ったことがあります。その節はありがとうございました」と言うではないか。俺の記憶からはすっかり消えてしまっていたが、いろいろな出会いがあるものである。
 
2011年6月10日(金)晴れ
おやじ山の春2011(Sさん夫婦とのガチャポンプ祝賀会)
 今日はSさん夫婦と一緒に、おやじ小屋で「ガチャポンプ完成祝賀会」を催すことにした。またまた酒も料理もSさん夫婦におんぶに抱っこで、こちらはお相伴にあずかるだけ、といった全くのていたらくである。日頃は老齢のお母様の介護で時間をとられているSさん達だが、そんな忙しい時間を割いて、沢山のご馳走を作っておやじ小屋に持って来て下さるとは、本当に有難いことである。

 皆で見晴らし広場まで登ってくると、下刈り作業の森林組合の車の他に、新潟ナンバーや他県の車も数台停めてあって、何人かが輪になって打合せをやっている。「珍しいことだなあ〜」と思って、「今日は何の作業ですか?」と尋ねてみた。すると、「ナラ枯れ病の調査です」との答えである。『あれ!今更調査ですか?』と口には出さなかったけれど、正直唖然としてしまった。この自然観察林はもとより、長岡東山一帯で5、6年前から猛威を振るったナラ枯れ病は、ようやく今年になって沈静の兆しが見えて来たからである。だから、さんざ被害を受けた後の終息期になってからの調査とは・・・と、ちょっと釈然としない思いがしたのである。

 (注:「森のパンセ−その10」<どんぐり山が消える>(2006年9月16日記)で、ナラ枯れ病についてアップしてあります。新潟県では既に1998年頃から急速に被害が拡大していた)
 
 おやじ小屋に着いて、さっそくデッキの上にSさん手作りのご馳走の数々が広げられた。そして缶ビールを開けてガチャポンプの完成を祝い、茹で上げた蕎麦をガチャポンプから迸り出る谷川の冷水で冷やして、その威力と効果に歓声をあげながら、涼味を堪能したのである。

 そして、やはりここでもSさんはマグロ(?)ぶりを発揮して、谷川に下りて取水口を確認し、俺と一緒に小屋の屋根に登って雨漏り箇所を点検し、皆を誘ってミズ採りをし、数日前から咲き出した貴重種にカメラを向け、殆ど休む暇なく泳ぎ回って、動きが止まらなかった。

 午後2時過ぎ、そろそろSさんのお母様が施設からご自宅に戻る時間だと言うので、皆で山を下った。Sさん夫婦にとっては、賑やかに笑ったつかの間の時間だったかも知れない。
2011年6月8日(水)晴れ
おやじ山の春2011(黄土)
 昨日に続いて、今日も暑い一日だった。
 関東甲信地方は既に梅雨入りが報じられたというのに、越後はこのまま夏に突入しそうな気配である。

 それで、そろそろ春の山菜も終わりの時期なので、シーズン最後に懐かしの「黄土」に行くことにした。今季、最初で最後の黄土入りである。
 普段の年なら山菜シーズンになれば勇んで黄土に足を運んでいるはずだが、昨年の荒れ様にすっかり落胆して、山菜採りに行く気持ちがすっかり削がれてしまっていた。遥か昔のまだガキの頃、おやじとお袋に連れられて入った思い出深い俺の大切な場所が、無惨に踏み荒らされている姿を見るに耐えなかったからである。
 しかし鼻息荒いカミさんから、やいのやいのとせっ突かれたせいもあって、重い腰を上げた訳である。

 黄土に着くと、やっぱり懐かしさが込み上げてきた。いそいそと黄土の斜面を下ったが、度々山菜採りが入った様子で、ワラビの採り跡がやたら目についた。そんな中に採り残されたワラビを見つけて、ポツポツと拾うようにして摘み採った。
 悔しいことに、やはりレジ袋やパンの空き袋などが草叢の中に捨ててある。歯軋りして泣きたくなる思いで拾い集めて、大きく溜め息をついてしまった。

 9時過ぎに山菜採り名人のAさんが黄土に入ってきた。「今日でここに入るのは、5回目だてえ」と言っていたが、さすがAさんで、俺達の後で来ても山菜前掛けの中にはどっさりワラビが入っていたのには驚いてしまった。

 午後は、今月16日に決まった附属長岡小学校の野外授業の下見で、校庭の中にある学校林「附属100年の森」に出かけた。運よく、今度受け持つ3年1組の子どもたちが学校林の中で授業中で、10分ほど見学させてもらった。M先生が生徒たちに、「この方は森林インストラクターで森の木や植物にとっても詳しい人ですよ」と紹介してくれた途端、さっそくあれこれ質問攻めにあって、その活発さと好奇心には驚いてしまった。
 これは余程気を引き締めて取り組まないと・・・!
 




2011年6月5日(日)曇り
おやじ山の春2011(「森林インストラクターと市民有志の会」)
 今日は、「森林インストラクターと市民有志の会」で3年前から実施している自然観察林の植樹場所の草刈りをした。集まったのは合計8名の有志の皆さんで、昨晩打合せをした附属小学校のM先生も駆けつけて下さった。

 全員広場に集合して挨拶を交わしてから、Mインストラクターが準備してくれたシャベルと鎌、それにペットボトルの飲み物をそれぞれ手に取って谷川沿いの現場に向った。すると上の作業道路から「ヤッホー!」と声がする。「はて、誰だろう?」と思って皆が顔を上げて作業道路の方を見ると、遠くでカミさん達がふざけて手を振っている。何と!よくよく見ると、ブラッキーとテリーも尾っぽを振ってこっちを見ているのである。
 「あれ、どちらさんたち・・だろね?」とMさんが怪訝げに訊いた。ここ誇り高き越後長岡藩の地元では、こんなおちゃっぴーな振る舞いには馴染みが薄いのである。「あれ、俺のカミさんたちで・・・」とうな垂れて答えたけど、M先生もおられて、とっても恥ずかしかった。

 M先生達と一緒に、草刈りと、以前植えた苗木が枯れたり雪で折れたりした跡地に、エゴノキ、ヤマハンノキ、ミヤマガマズミなど20本程を補植した。
 そして自分だけ早めに作業を切り上げて、Sさん達が待つおやじ小屋に駆けつけた。大型犬のブラッキーとケリーが、小屋から出てきた小っちゃなヒメネズミに反応して大騒ぎしたと聞いて笑ってしまった。

 山を下って、昼食は麓の「千花」に行って十割そばと豆腐料理を食べながらゆっくり過ごした。千花の自家製豆腐はなかなかの味で、テイクアウトできると聞いて早速Sさんはお土産に包んでもらっていた。

 Sさん達を越後川口まで見送って、「あぐりの里」の交差点で左右に別れた。そして雨が降り始めた国道17号線をキャンプ場に向って引き返した。
 
2011年6月4日(土)晴れ
おやじ山の春2011(ブラッキーとテリーの来訪)
 朝早く、カミさんが藤沢のサークル友達のSさんご夫婦とMさん、それにS家の愛犬ブラッキーとテリー兄弟らと一緒にキャンプ場にやってきた。愛犬たちがおやじ山に来るのはもう3度目で、犬の勘でSさんの車がキャンプ場が近づくと、嬉しがって随分興奮していたらしい。迎えに出た俺にも飛びついてきて、べろべろ顔面を舐められて大変だった。
 
 夜中中車をとばして来たので、「しばらくテントで休みますか?」と尋ねると、「いや、早くおやじ山に行きましょう」という。それで早速皆でおやじ山に向ったが、さすがのブラッキーとテリーも寝不足のせいか、小屋に着いた途端に身体を伸ばして横になってしまった。

 午後5時、地元の森林インストラクターのMさんUさんと3人で、新潟大学附属小学校のM先生にお会いした。小学校3年生の社会創造科授業で、俺達3人に講師を勤めて欲しいという要請で、その打ち合わせだった。
 2時間半ほど学校の会議室で討議したが、M先生の情熱と熱意にはすっかり感心してしまった。俺にとっては故郷の子どもたちへの授業で素晴らしい体験だが、果たして上手くやれるだろうか?

 夕食には随分遅れてテントに戻ったが、運転手役のSさんのご主人は、既にテントの中で床に就いていた。遙々来て下さったのにお相手できず、申し訳ないことをした。
2011年6月3日(金)曇り〜晴れ
おやじ山の春2011(さらば、水穴よ!)
 昨晩は今季最後の「水穴」行きを決めていて、随分早く床に就いたせいか、午前3時過ぎに目が覚めてしまった。それでいつものようにラジオのスイッチをいれて、横になったまま「NHK深夜便」を聴いていた。
 ちょうど昭和44年当時に流行ったフォークソングを流していて、懐かしいカルメン・マキの「時には母の無い子のように」が終わり、次に新谷のり子の「フランシーヌの場合は」が流れた。この曲は1969年3月30日の早朝、ベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議して、当時30歳のフランス人女性、フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)がパリの広場で焼身自殺したことを唄った歌である。
 

1 フランシーヌの場合は
  あまりにもおばかさん
  フランシーヌの場合は
  あまりにもさびしい
     三月三十日の日曜日
     パリの朝に燃えたいのちひとつ
     フランシーヌ

2 ホントのことを言ったら
  オリコウになれない
  ホントのことを言ったら
  あまりにも悲しい
     三月三十日の日曜日
     パリの朝に燃えたいのちひとつ
     フランシーヌ

 何と清らかで透明な歌声なんだろう!歌のバックに囁くようなフランス語のナレーションがかぶさって、さらに深く歌が胸に滲み込んで来るのである。
  時折、昨晩降った雨の雫が「ポツン・・・ポツン」とテントを打って、こんな夜中なのにホトトギスが「キョキョッ・・・キョキョッ・・・」と鳴き、フクロウが「ゴロスケ・ホッホ・・・」と鳴いていた。
 ・・・なんだか泣けてきて、涙が滲んでくるのである。

 4時に起きて、テントを出て、午前6時に「水穴」に着いた。
 広大なコゴミ畑の斜面は、所々踏み荒らされて、無惨な姿を晒していたが、雨露に濡れた草に囲まれて腰を下ろし、霧のなびく鋸山と風谷山を望みながら持参したおにぎりを食った。珍しや、アカショウビンの「キョロロロ・・・キョロロロ・・・」と喉で転がすような鳴声が、濃くなった緑色の斜面の下から聞こえて来ていた。
 
 8時半、水穴に別れを告げて、おやじ小屋に引き上げてきた。そしてストーブで濡れた衣服を乾かしながら、最後の水穴の景色を、いつまでも思い浮かべていた。
 「さらば、水穴よ!」である。

 
2011年6月1日(水)雨
おやじ山の春2011(「千花」)
 あっという間に、もう6月である。
 今日は朝から雨模様で、午前中は洗濯物を抱えて町のコインランドリーに行った。洗濯が終わって、ちょうど昼頃キャンプ場に向ったが、途中に以前から気になっていた小さなレストランがあって、入ってみることにした。

 店の名前は「千花(ちはな)」と言って、前庭には白樺やバラの木、ブルーベリーやハープなどの洒落た植え込みがあって、中に入ると(こんな田舎の田圃のど真ん中の店にしては・・・失礼!)ビックリするほどモダンな造りである。綺麗な白壁にステンドガラスや木の枝で作ったネイチャークラフトが飾られ、大きなガラス窓からは市営スキー場や俺のテント場まで丸見えである。一目で気に入ってしまった。

客は誰も居なくて、店の奥からニコニコとマスター(Hさんと言った)が出て来てすっかり長話しをしてしまったが、お互いに名前を名乗り合って「どうぞこれから、ご近所付き合いよろしく」と相成った。 
<写真は「千花ホームページ」<http://chihana.info/blog/> より転載させていただきました>

 「千花」の店の飾りに触発されて、テントに帰ってからおやじ山のマルバマンサクを輪切りにして作ったコースターに、筆で絵を描いてみることにした。コースターは既にSさんに頼んで10枚ほど作って貰っていたが、Sさんが持ち帰ったバイタ(やや太い雑木の丸太)を輪切れば何枚でも作ってくれると言っていた。ところがこのコースター、表面がツルツルと実に丁寧に仕上げてあって、顔料が上手く載らないのである。それでSさんに電話で事情を話して、今後のコースター作りは少し荒めにやって欲しい、と頼んだ。

 驚くなかれ!しばらくしてSさんが雨の中を車を飛ばしてやってきた。「はい、出来ました!」とさらにコースターを30枚も持って来てくれたのである。「何も、今日でなくても・・・」とほとほと恐縮して言うと、「家の女房からは、『あんたは、マグロだねえ』と言われてるがですてえ。四六時中泳ぎ回っていねえと、マグロっていう魚は死んじまうって言うげだねえ」とSさんは頭を掻いて笑っていた。全くSさんほど良く気がついて、他人のために惜しみなく動き回る人は、ついぞ見かけない。勿論、素敵な奥様も含めてである。
今日の日記から、順次「上へ」更新していきます。
2011年6月20日(月)雨
昨日山を下りました
 昨日、おやじ山の麓に張ったテントを半日がかりで撤収して、山を下りた。そして藤沢の自宅に帰り着いたのは、今朝の午前2時である。それから「あ〜あ、ツ・カ・レ・タ!」と3時過ぎまでぐずぐず酒を飲んでから床に就いた。
 久々に畳の上で眠ったが、長らく地べたで寝ていたせいか、畳の寝心地がしっくり来なくて、7時前には目が覚めてしまった。

 N君を伴って山入りした日が3月30日。雪景色とおやじ小屋のドラム缶風呂に入りたい、というN君も希望が叶って3日目に山を去り、途中3、4日所用で藤沢の自宅に戻ったが、再び取って返してずっとおやじ山暮らしを続けていた。指折り日数を数えると78日間ということになる。

 昨6月19日は、2日前にようやく越後の梅雨入りが報じられたというのに、真夏のぎらぎら天気になった。午前中に小屋デポのキャンプ道具を見晴らし広場まで車で運び、そこからはネコ(一輪車)に積んで汗を拭き拭きおやじ小屋まで荷揚げした。何となくそそくさと小屋を離れてしまうのが惜しまれて、心なしかぐずぐずと作業をしてたように思う。

 それでも午前11時に玄関の戸を閉めて、いつものようにおやじ小屋に向かって大声で、

 「ありがとうございました!」

 と頭を下げた。すると俺の声に呼応するかのように、小屋のすぐ上から

 「ピヨロビ、ホイ!ホイ!ホイ!」 「ピヨロビ、ホイ!ホイ!ホイ!」

 とサンコウチョウが甲高く囀った。「ピヨロビ」を「月、日、星(ツキ、ヒ、ホシ)」と聞きなして三つの光の鳥(三光鳥)だが、静まり返った山の中にこの鳴声が吸い込まれるように響き渡った。それで今度は、

 「たいへん、お世話に、なりましたあ!」

 と、もう一度大声で小屋に向って挨拶した。そしたら突然胸が詰ってきて、思わず目が潤んで泣きそうになってしまった。
 「あれあれ・・・」とおやじ山の入口まで足早に歩いて、やっぱりここでもう一度小屋を振り返った。今度は小声で「ありがとうございました・・・」と呟きながら、腰を深く折ってお辞儀をした。

 作業道を麓まで下ると、広場の電線に燕が一羽止まってしきりに羽繕いをしていた。そんな燕を眩しく見上げた空は、もうすっかり真夏の空である。まだ深く積もった残雪を踏んでおやじ山に入った時からもうそんなにも日数が経ったのかと、今更ながら驚いてしまう。

 午後1時過ぎ、パンパンのキャンプ道具を車に積んで山を離れた。新規に足を運んで親しくなった「千花」のマスターに別れの挨拶をし、そしていつもいつも底なしの親切で接して下さるSさんご夫婦のお宅にも寄って、又しても道中で食べるようにとおにぎりやら沢山のお土産やらを戴いてしまった。

 しばらく国道17号線を走った。本場「こしひかり」の早苗が植わった田圃の向うに、真っ白な雪がまだらに残る越後三山が美しく聳えていた。

(明日から少しづつ「おやじ山の春2011」を「日記」にアップします。遡った日記になりますがご容赦下さい) 
2011年6月23日(木)晴れ
浄妙寺の風
 久しぶりに鎌倉に行った。昨日は夏至、関東地方は梅雨明けを迎えたような真夏日が続いているが、今日も随分気温が上がった。しかし静かな寺の庭をのんびり散策し、時折境内を吹き抜ける涼風を体に受けると、吹き出た汗もす〜と冷まされていくようだった。

 3日前におやじ山から帰って来て、最初の朝に目にした庭のガクアジサイの清々しいブルーは、不思議な安堵感を与えてくれた。「そうかあ〜今頃が紫陽花の見頃なんだ」と改めて納得もした。そして鎌倉の寺々の紫陽花も、今がちょうど盛期を迎えている筈だった。

 藤沢から江ノ電に乗り込み、大荒れの湘南の海を見ながら極楽寺、長谷駅と電車が停まるたびに、まるで休日のような観光客の混み様である。

 しかし鎌倉駅からタクシーで向った浄妙寺は、普段通りの静かな境内だった。そして本堂に手を合わせてから喜泉庵に上がり、緋毛氈に腰をおろしてお抹茶をいただいた。
 「水琴窟が聞けますよ」と案内された濡れ縁に出て脚を伸ばして座り込む。喜泉庵の縁側に吹き込む裏山からの風が、穏やかに枯山水の庭に吹き抜けて行った。

 幾分遅くなったが瑞泉寺にも足を延ばしてみた。人気もまばらになった静かな境内を歩きながら、これからの人生は一時一時が大事なんだと、今日一日の時間に心から感謝した。
2011年6月27日(月)曇り
再び、おやじ山へ
 今日の午後、再びおやじ山に入る。29日に地元の小学校の子ども達に森の話をすることになっているので、その準備もある。それに今がちょうど、おやじ小屋の谷川でたくさんの蛍が飛び交う時期である。

 昨日は高校時代の同級生9人がSさんのご自宅に集まって、楽しいカレーパーティだった。ベトナム生まれだというSさんが、朝早くから腕によりをかけて作ってくださった本場のカレーは、まさに絶品だった。同時に供された赤ワインとも実に良く合って、意地きたなく2回もお替りをしてしまった。

 楽しい談笑のなかで、一人一人が東北大震災の当日(3・11)はどうだったか、という話題にもなった。さすが元高校教師だったKさんなどは、小旅行中の電車が停まり、「この揺れはただ事ではない!」と、咄嗟の判断で、まだ誰も並んでいない駅弁買いに走り、次に公衆電話ボックスを見つけて嫁いだ娘さん宅に安否電話を掛けた、というから大した日頃の心掛けである。T君家では、買ったばかりの大型液晶テレビをカミさんと二人で必死に押えていたと言ったので、皆大笑いしてしまった。

 20日におやじ山から帰って、そんな楽しい数日があっと言う間に過ぎて、またおやじ山に戻る。何やら「浦島太郎」になったような不思議な一週間だった。