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2011年12月4日(日)晴れ
おやじ小屋の雪囲い
 山口県の森林調査の仕事から帰宅したのが、先月の23日。それから27日の日曜日におやじ小屋の雪囲いに出掛けて、一昨日(12月2日)藤沢の自宅に戻った。
 そして、明日からはまた、宮城県の森林調査の仕事で10日間程の出張である。何やら出入りが激しいこの頃だが、いずれも身体を張っての(ちょっと大げさだけど)仕事で、こうして動けること自体嬉しい限りである。

 おやじ小屋の雪囲いといっても、若干の山仕事の道具が置いてあって、空きスペースに自分一人が寝泊りできるだけの小さな物置小屋だから、南北2ヶ所の明り窓と戸口に板を何枚か打ち付ければそれで終わりである。今回の山行きも、雪囲いの他におやじ山の冬の備えをあれこれ見つけ出しながら、今年最後の山暮らしを惜しんでぐずぐずしていたようなところがあった。

 今回滞在中の先月29日には、谷川から水道を引いて待望のガチャポンプを取り付けてくれたSさんが手伝いに来てくれた。そして川に設置した取水バケツやゴムホースの撤去、さらに凍結でポンプが壊れてしまってはと、スパナーを使ってポンプのピストンを外していってくれた。
 こちらは、植えて3、4年経ったブナの若木30本程を杭に荒縄で縛りつけて雪対策をしたり、厳冬期に小屋の雪降ろしで山入りすることを想定して、新たな薪と焚付けの柴をさらに薪小屋に積んだりした。

 山を下った2日は、珍しく晴天の小春日和だった。2日前からの寒波襲来で盛大に焚いていたストーブの火を落としてから屋根に上がって煙出しの雪囲い、それから持ち帰る荷物を小屋から出して、最後に戸口を衝立で覆い被せて全ての作業を終えた。

 いつも通り大声で、「今年一年間、ありがとう、ございましたあ〜!」と深々とおやじ小屋に向って頭を下げる。
 木々の枯葉ですっかり覆われてしまった麓へ下る山道は、まるで俺を見送ってくれるかのような落葉絨毯を敷き詰めたVIPロードにも思えて、ちょっと胸が詰ってしまった。
 
 関越道に乗り入れて東山に目をやると、おやじ山の奥にある鋸山は薄っすらと雪化粧である。そして車を停めた越後川口サービスエリアからは、既に銀色に染まった越後三山が望まれた。
2011年12月5日(月)晴れ
宮城の山旅(プロローグ 白石うーめん)
 宮城県森林調査は12月5日からスタートし、以後9日間、みちのくの山々を駆け回って13日に無事終了した。
 その9日間の記録を、旅先でのメモをもとに綴っていきたいと思う。
(「森のパンセーその51」に『北の森の沈黙』をアップしました。日記とともにご覧下さい)

 東京駅8時12分発「はやぶさ1号」に乗り込んで仙台駅のホームに降り立つと、つい先月、山口県の森林調査でもペアを組んでご一緒したKさんも大きな荷物を引いて同じ列車から降りて来た。互いにニコニコと「また、よろしくお願いしま〜す!」とホームで挨拶を交わす。

 そして早速駅東口にあるニッサンレンタカーの店に入って、今日からの9日間を共にするスノータイヤ付き4WD車「X-TRAIL」を借り受けて、一路最初の調査地の白石へと向った。
 「腹、減りましたねえ〜」とKさん。「任せますよ。どこか適当な食堂にでも寄りましょう」。そして「あった〜!ラーメン屋」とKさんが叫んで偶然入った店が、白石名物うーめん(温麺)の老舗{やまぶき亭」だった。看板の「うーめん」を「らーめん」と読み違えたのである。
 Kさんは、知らない土地での食事処選びには独特な勘があって、同行した三重でも宮崎でも山口でも、外れた試しがない。勿論、「やまぶき亭」のうーめん(温麺)の味は申し分なかった。

 山形県南陽に通じる国道113号線(七ヶ宿街道)を走って、七ヶ宿湖畔の「道の駅ありや」の駐車場に車を停めて作業準備をする。木枯しがびゅうびゅうと吹きつけ、七ヶ宿湖の湖面は白波が立つほどの寒風のなかで、作業着に着替え、コンテナーの中の調査器具をリュックに詰め込んだりした。寒かった!

 第一発目の調査地から難航のスタートである。GPSを頼りにトゲトゲの茨の斜面を行きつ戻りつを繰り返しているうちに陽が傾いて来た。「後日に、回しましょう・・・」とKさんが呟くように宣言して、今日からの宿、鎌先温泉「すゞきや旅館」に向った。

 宿に着いて、早速冷えた身体を温めようと屋上にある露天風呂に行ったが、素っ裸になって脱衣場のガラス戸を開けた途端、木枯らしの一撃を喰らって何もかもすっかり縮み上がってしまった。

(左の写真は鎌先温泉「湯主一條」の古くからの湯治館である)

2011年12月6日(火)曇
宮城の山旅(山里からのみやげ)

 今日の1ヶ所目の調査地は、白石川源流部の入山沢という渓を辿ってのポイントだった。朝、調査地に向う途中の街道沿いに小さな集落があり、古びた茅葺き屋根の農家などがあるので気になっていた。地図で調べると「下戸沢」とあり、昔の宿場である。

 1ヶ所目の調査を終えての帰り、その茅葺き屋根の一軒を写真に撮ろうと、Kさんに車を停めてもらって前庭を箒で履いていた奥さんにお許しの声を掛けた。聞けば、もう優に築100年以上経っている家だという。その茅葺き屋根の軒下にはこれから大樽にでも漬け込んで冬を越す準備をするのだろう、日だまりの下の地面にきれいな白菜が100個程も並んでいた。
 写真撮影のお礼を言って帰ろうとすると「白菜、持ってけんさい」と奥さんが言う。「えっ!こんな大きな白菜を持ち帰っても・・・」と一瞬躊躇したが、ご好意に甘えることにした。1個を手に取ると「もう一個持ってけんさい」と奥さんが言う。結局立派な白菜を2個も頂戴して両手で抱えながら車に戻った。運転席で待っていたKさんに1個を渡しながら二人で大笑いしたが、Kさんは「いいですねえ。嬉しいですねえ」と何度も繰り返して喜んでいた。

 2ヶ所目の調査地は「七ヶ宿湖」の右岸の渓で、滑床の沢を可なり歩くポイントである。この帰り道で太いヤマハンノキをチェーンソーで伐り倒していた年配の男性2人に出会った。ここは国有林のはずで、どうやらこっそり盗伐に来た様子で、しかも倒し方が悪くて林道を塞いでしまっていた。仕方なくこの人たちと一緒に伐倒木の片付けを手伝ったが、聞くとナメコのホダ木に使うのだという。「えっ?ヤマハンノキをナメコのホダ木ですか?」と問い直すと、2人とも「ヤマハンノキ・・・?」と浮かぬ表情で顔を見合わせている。ブナの木と間違えて伐ったのかも知れない。

 宿への帰りに「滑津大滝」の看板に目を留めてちょっと見学することにした。滝見台から下を覗くと素晴らしい滝である。そこでくたくたの脚を奮い立たせて長い階段を下り、真近で写真を撮ったが、この滝こそ「日本の滝百選」に入れても良いと思った。

 それにしても、今日貰った白菜、新幹線で持ち帰るの恥ずかしいなあ〜どうしよう?

2011年12月7日(水)曇り
宮城の山旅(復旧ほど遠く)

 今日からは宿替えで鎌先温泉を去るので、朝の薄暗いうちに起きて小さな温泉町を散歩する。古くからの湯治場の風情が残っている小路を歩き石段を登ったりして、昔はさぞ賑わったであろうまるで校舎のような4階建ての湯治宿をデジカメに収めたりした。

 今日の1ヶ所目は南蔵王高原の不忘山麓の調査ポイントだったが、行き着けずに断念。 2ヶ所目は一気に丸森町まで南下して青葉地区の手倉山に向かった。

 そしてここで、素晴らしいモミの巨木の森に出会った。青葉南モミの原生林である。どっしりとした根に支えられた巨大な幹が、まさに森閑として天を突き林立している姿に言葉もなかった。遥かな年月をひたすら黙して、この大地で生き抜いてきたことの揺ぎの無い存在感に圧倒されたのである。そして、今自分が、この悠久の森の中に佇んで居られることの、何という幸福感!
 はっと我に返って、調査で使う直径巻尺とバーテックスで1本のモミの木を測ってみると、幹の胸高直径は128センチ!樹高は38メートルであった。


 そして1日の調査仕事を終えた帰り道、陽が傾きかけた国道6号線から海沿いの県道38号線に車を乗り入れると、何とそこには目を覆うばかりの3・11の悲惨な爪跡が広がっていた。復興などとんでもなく、今だ復旧すら全く進んでいない惨状に思わず涙が零れ出てしまった。以前は村や町や田圃であったであろう道の両脇は冬枯れた草のなびく荒野と化して、その地平の果てには瓦礫が山と積まれていた。原野の所々に恨めしく残った建物は、戸も窓も無惨に破壊されて、暗い家の奥の柱まで剥き出しのままである。

 一日のうちに見た、悠久の森と徹底した破壊の爪跡。天が行うこの慈愛と凶暴との落差をどう理解したらいいのだろうか。




 そして日もとっぷりと暮れてから、今日からの宿、宮城蔵王の青根温泉「名号館(みょうごう館)」に着いた。ここも古くからの湯治場で、懐かしい湯船に浸かりながら、今日1日の出来事を今だ信じられない気持ちで反芻していた。

2011年12月8日(木)午前中雪
宮城の山旅(ブナの実拾い)

 名号館出発時間に、雪が降り出した。宿の女将さんが「寒いですから、お気をつけて」と送り出してくれる。

 今日の調査地は、蔵王国定公園の笹谷街道を走って北太郎川沿いの林道からアタックした3地点だった。
 昨日は猿の家族を追って林道を進んだが、今日は「クマがいます」と書いた看板を横目に見ながら進む。実は、熊にも出会ってみたい気持ちがある。俺はヘビに出会うと思わず「ギャー!」と叫んでしまうほどのヘビ嫌いだが、蜂や蜘蛛、それに熊を含めて獣類には意外と平気である。
 雪のついた林道を慎重に車を進めて、ついにブッシュと積雪に阻まれた地点から車を降りて笹薮の中を登攀する。そして2箇所の調査を終えて車の中でコンビニおにぎりの昼食である。

 おにぎりを頬張りながらホッとした気分で車の窓から外を眺めると、何とも素晴らしいブナ林の真っ只中である。おやじ山では7年に一度のブナの大量結実で、「さてここでは・・・」と早速車から降りてブナの実を探してみた。「あるは、あるは・・・」Kさんも車から降りて、二人でしばしのブナの実拾いを楽しんだ。

 今日の3ヶ所目は、森林調査では珍しいカラマツ林に入った。行きの凄いブッシュの尾根登りに懲りて、帰りは沢を下ったが、これも厳しい下山だった。


宿に帰ると嬉しい嬉しい温泉が待っていた。

2011年12月9日(金)曇り、夕方から雪
宮城の山旅(木の家)

 今日から再び宿替えで、朝、会計を済ませ荷物を車に積んでいると、宿の大女将が見送りに来てくれた。お年を聞くと「あははは・・・!いつの間にか92歳になりました」とお元気である。「この宿は何年くらいになりますか?」と尋ねると、「地震で壊れた館は190年、そして・・・」と目の前の湯治棟を振り返って「100年になります」と教えてくれた。

 今日の調査地は比較的里地の仙台市郊外、釜房湖や村田湖の周辺区域である。しかし、ここの林道にも東日本大震災の大きな爪跡があり、車を乗り捨ててから落石や地滑りの山道を5キロ歩いてポイントに入らなければならなかった

 1日の仕事を終えてから、ホッと心和む何とも懐かしいような田園風景の中を車を走らせ、秋保温泉の渓谷脇に建っていた「木の家」という喫茶店に入った。
 店内にはポインセチアが飾られてすっかりクリスマスムードである。ここ数日来とは隔絶した気分でコーヒーを飲んでいると、チラチラと雪が落ちてきた。

 そして店を出て、雪の舞う秋保街道から二口街道を名取川に沿って西進し、すっかり白くなった二口温泉「磐司(ばんじ)山荘」に入った。

2011年12月10日(土)曇り
宮城の山旅(仔ね子さしあます?)

 「磐司山荘」の庭は、朝起きて縁側のカーテンを開けると、真っ白だった。

 宿からヤカンのお湯を貰ってX-TRAILのフロントガラスにかけ、雪道を出発する。Kさんは雪景色にすっかり感動した様子で「いいですねえ!綺麗ですねえ!」と運転しながら頻りに繰返す。

 1点目の調査地は、大東岳(1366m)のカラマツ林で、「クマ注意」(熊の足跡も見た!)の白い穴戸沢林道を走れるだけ車で進み、そこからは鹿打林道(大東岳の表コース)沿いに雪の着いた渓の厳しい沢歩きだった。GPSでは乗り捨てた車からの直線距離は1.2Kmのポイントだったが、因みに携帯電話の歩数計で測ると、往復で7,300歩とカウントされていた。


 

 今日からの宿は仙台市内のホテルである。
 その帰り道の赤信号で停まった時、「あれっ?」と目についた看板がある。
「仔ね子さしあます」と書いてある。これ程大胆に子猫を愛らしく、そして文字省略した表現にすっかり心を打たれてしまった。世の中、これでいいのだあ〜!

 夜、食事でホテルの外に出ると凄い人並みである。その人混みの中を、青葉通りから一番町に向って歩き、振り返ると、仙台駅の真上に大きな満月が出ていた。今日はKさんから教えられた皆既月蝕だというが、見られる時間は深夜の11時58分頃だという。残念ながらへとへとの身体をベッドに沈めている時間である。

2011年12月11日(日)小雪
宮城の山旅(熊さん「山に入るぞ〜!」)

 仙台市内のホテルを出発した時には快晴だった天候が、作並街道を北上するにつれて小雪が舞ったり、灰色の空に突然虹がかかったりと、全くおかしな空模様に変わった。
 そして、そろそろ山形県境の関山峠にさしかかる手前で車を停めて、第一ポイントに入る準備をする。幾分横殴りの雪が降っていて、車から降りて震えながら身支度をしたが、こんな日もあるだろうとスキーグローブを持って来ていて良かった。

 美しいヤチダモの渓畔林が続く谷川沿いの林道を新雪を踏みながら進むと、先行のKさんが「おッ」と足を止めた。何と、早速真新しい熊の足跡に遭遇である。宮城県内のツキノワグマの生息数は推計で630頭余りと聞かされていたが、スケールで測ったこの熊の足の大きさは約20cmで、可なりの大物と見た。森の主に挨拶を兼ねて、「山に入るぞ〜!」と大声を出しながら調査地に向かう。

 そして今日の昼は、素晴らしい環境のニッカウイスキー宮城峡蒸留所の敷地内に車を入れさせて貰って、駐車場でコンビニおにぎりを食べた。ついでにゲストホールに寄って何種ものミニチアボトルをセットにしたお土産を買った。(ホテルに帰ってみんな飲んでしまい、ミニチアの空瓶だけが残った)

 午後の調査地は、秘境新川ラインの渓を歩いて、途中から荒沢川に入るポイントだった。途中に山の神の祭壇があって、帽子を脱いで深々と頭を下げた。折りしも明日、12月12日は山神様の日で山仕事を生業としている人達の安息日だが、今日と明日の無事もお願いした。
 そしてここにも「クマ生息地」の看板があり、新川の岸辺や中洲を歩きながら、キョロキョロと熊を探すような感じで歩いた。
 しかしここは全く素晴らしい渓谷である。白く波立つ清らかな瀬があり、エメラルドグリーンの見事な淵があり、岸辺の堰き止められた水溜まりの中には大きなイワナが10匹程も泳いでいて、ほれぼれと見とれてしまった。

 仙台市内での2泊目のホテル、三井ガーデンホテルに入る。値段も部屋も申し分なし。

2011年12月12日(月)
宮城の山旅(森の中の安寧)

 今回に限らず、山旅では普段よりも夢を見ることが多いようである。肉体を酷使して疲労困憊の末か、自然を相手に神経過敏になるのか、原因はよく分からない。
 今日の明け方にもおかしな夢を見て、いつも通り5時には目を覚ましたが、そのままベッドに横になってフロイトを真似て夢分析を試みた。

 その結果、実に単純明快、当ったり前田のクラッカー(昔、こんな宣伝文句があった)の如き結論が出た。俺は60をとっくに越えても、今だ孔子の説く「四十而不惑」にも程遠く、70歳を迎えたにしても「七十而従心所欲不踰矩」の心境にはとても至らない、という、まあ当然至極の笑い出すような自己認識だった。

 そんなこんなで朝の時間を無駄に浪費したので、急いで朝飯を食って仕事に飛び出した。
 いよいよ今回の仕事もラストスパートに入った。

 今日の調査地は大倉ダムの奥地、そこで何とも素晴らしいヤチダモの原生林を見た。
 一粒の種が大地に落ち、そこで生を受けた木々が天が定めた一所に留まり、不平もなく、周囲で起こる天変地異に曝されながらも悠久の年月を泰然自若として大自然に身を委ねている目前の森の姿を、改めて畏敬の念なしには眺められなかった。そして、森に入った時に感じる安寧とは、この森が自ずから示す悠久の時間と圧倒的な懐の深さによるのだろうと思った。
 そんな森の懐に抱かれて、雪の上にはタヌキ(?)やカモシカの足跡が遊んでいた。

 夜はKさんが探してくれた仙台名物牛タンの店「司」に行った。珍しく熱燗2本を飲んですっかり酔っ払ってしまった。

2011年12月13日(火)晴れ
宮城の山旅(エピローグ、 さくらんぼ大将たちは?)
 いよいよ調査最終日である。今日は初日の調査で断念した七ヶ宿湖に注ぐ渓沿いのポイントを、福島県側から再チャレンジすることにした。

 仙台市内のホテルを引き払って東北自動車道に車を乗り入れる。震災復興で東北地方は高速道路料金が無料になったが、そのせいだろう、物流トラックや乗用車が忙しく行き来して一般国道並みの混み様である。そんな賑わいから震災復興の気配が何となく感じ取れて嬉しくなってしまったが「何で早くこのように開放しなかったのか?」とさえ思った。

 そして「福島飯坂IC」で高速道路を降り、摺上渓谷に沿って車を走らせる。向ったのは摺上川ダムのある「茂庭っ湖」の渓である。
 結局は再挑戦も叶わなかったが、全ての仕事が終わってダム湖畔にある「摺上川ダムインフォメーションセンター」の駐車場に車を停めて調査器具をコンテナーに収めたり着替えをした。
 それらが済んで、せっかくここまで来たのだからとインフォメーションセンターの中に入って見学させてもらった。そして、そこに掲げられてあった1枚のセピア色の写真に目が留まった。


 それは昭和24年1月4日から翌年3月31日までの2年間、「鐘の鳴る丘」に続いて319回放送されたNHKの連続ラジオ・ドラマ「さくらんぼ大将」のモデルとなった「茂庭小学校梨平分校」の生徒達の写真である。
 戦後の苦しみの中にあって、今の世とは格段にひもじく貧しかったであろうが、この18人の子ども達の何と生き生きと逞しい姿であろうか。その一人一人の表情を得もいわれぬ懐かしさで見つめながら、この時代からわずか半世紀の間に、我々が貪欲に求め続けた経済成長と便利さとを引き換えに、この子ども達に見た笑顔と逞しさを失ってしまった無念さに、心が痛んだのである。

 摺上川ダムの巨大なロックフィルを後にして、再び仙台へと向った。そして途中、最初に立ち寄った白石うーめんの老舗「やまぶき亭」に再び入ってKさんとの打上げの昼食を摂った。

(宮城の山旅 おわり)
2011年12月31日(土)晴れ
訪問者への御礼
♪蛍〜るの 光か〜ぁり、窓〜ぉの雪〜・・・♪と平成23年の大晦日を迎えました。
今年は3・11の東日本大震災があり誠に痛ましい年となりましたが、皆様にとってこの一年は如何だったでしょうか?
そして今年も、皆様の温かい訪問に支えられて、この「おやじ小屋から」を続けてきました。本当にありがとうございました。
来るべき新しい年が、皆様にとって輝かしい良い年となりますようお祈り申し上げます。
(平成23年 大晦日 おやじ小屋主)