一昨日(23日)、山口県東部の周南、柳井、岩国市といった、いわゆる周防国の森林調査の仕事から帰ってきた。期間は14日からの10日間で、ペアを組んだのは昨年の三重と宮崎、そして今年は広島県の森林調査でご一緒させていただいた主任調査員のKさんである。
いつもこの仕事に就いて有難いと思うのは、様々な表情をした多くの森に出会えることと、願ってもない素晴らしい風景や町並みを目にしたり、さらには当地の人たちとの嬉しい出会いがあったりすることである。
今回調査のポイントの多くは島根県境に近い錦川源流部だったが、そこではいつまでも佇んでいたくなるような気持ちよい森があったり、見事な杉の美林にも遭遇した。
深谷峡、木谷峡、長瀬峡、寂地峡と錦川源流部は美しくも険しい渓谷のオンパレードだが、木谷峡の調査地では滝壷からの凄い岩場を攀じたり高巻きして辿りついた調査地が、殆ど絶壁かと思われるヒノキ林で、全く厳しい山歩きだった。
さほど標高がない山が連なる中国山地だが、1000m級の大将陣や水ノ尾山の山頂を更に越えて行く調査ポイントもあった。尾根の登山道は既に消失し、背丈ほどの笹薮を掻き分けながら先行のKさんの姿を見失しなうまいと、心臓が飛び出すほどの喘ぎようだった。
しかし苦しい調査行脚の合間にも、感動的な風景に出会うことがある。
11月19日には、森林調査では珍しい周防灘の島に渡った。周防大島である。
そしてその島のミカン畑の中に建っていた古びた木造の校舎を見て、ハッと胸を突かれた。咄嗟に壺井栄の小説「二十四の瞳」のシーンが彷彿と浮かんできて、全くノスタルジアを感じてしまった。鄙びた温もりで佇む木造の校舎と、冬枯れて裸になった校庭の桜並木。この日は土曜日で休校なのか、ひっそりと人影もなかった。
鈴生りのミカン畑の脇の道路に車を停め、掘割を飛び越えて校庭に入った。丸時計の掛かった正面校舎の中央に生徒が出入りする玄関があり、その右側の柱に風雨に曝されて幾分判読しずらくなった「周防大島町立沖浦中学校」の看板が掲げられていた。薄暗い玄関を覗き込むと、木製の「下駄箱」が並んで、そう生徒数が多くないことをうかがわせた。
矩形に建てられた木造校舎のもう一棟の板壁には、「躍動し 輝く姿に 光る汗」という標語が、貼紙に一文字づつ書かれて貼られてあった。真っ黒に日焼けして校庭を走りまわる島の少年少女たちの姿を思い浮かべて、嬉しくなってしまった。
そして、桜並木の校庭を横切って正門から道路に出ようと、その一番正門寄りの太い桜の根元に建つ「自主 協力 責任」と刻まれた、余り大きくはない石碑に目を止めた。「自主 協力 責任・・・」と横に並んだ石碑の3文字を目でなぞりながら、なる程これで立派なストーリーになっていると感心してしまった。
あえて解釈すると・・・
先ずは、しっかりと自分で考え、判断し、行動できる人間になりなさいよ。
しかし独断専行ではダメですよ。他人のことを常に気に止めて、皆と仲良く協力するこ とが 肝要です。
そして最後は、己に与えられた責任を立派に果たし、天に恥じない行動をとるのですよ。
しっかりとした人間形成を願う慈愛溢れる教師の祈りが、この石碑には刻まれているのだと・・・
「果たして俺は、今までそのように生きてきただろうか?」と振り返ってみる。「やっぱり、『否』だなあ〜」と即座に溜め息とともに答が転がり出てしまうが、今だ矛盾だらけの人生を歩み続けているという思いが澱となって胸の奥に沈着して、拭いきれずにいる。
偶然に立ち寄って目にした周防大島の中学校の石碑の前で、何やら呆然として立ち尽くすのみだった。
初日にとった光市の宿の部屋からは、静かな周防灘室積の湾に浮かぶ漁船、早朝の徳山の宿からは、朝日で美しくオレンジ色に染まったホリゾントをバックに、コンビナートの工場と煙突が影絵となって浮かび出た光景、そして柳井では、室町時代から大内氏の要港として栄え、軒下に金魚提灯が揺らぐ柳井津商家の町屋造りの白壁の町並みなど、そのどれもが強く心に残る忘れられない風景となった。
一日の調査仕事を終えて、くたくたになりながらも幾分の達成感を感じての帰途に、ひょいと立ち寄った店がある。
「こんな山奥で果たして商売などできるのだろうか?」と訝りながら、国道沿いに刺された「パンの店<フクロウ堂>」の小さな看板の矢印通りに山道を登ると、古びた小屋があった。中から長い髪を後ろで束ねたヒゲ男が出てきて、「まだクロワッサンと○○が残っているよ」と売ってくれたが、夕方なのに俺達が最初の客のようで、この人の仙人生活ぶりの話に耳を傾けながら、一日の疲れも飛んでしまった。
最後の晩は島根県に入って宿をとった。そしてKさんが選んでくれたレストランが、先月30日にオープンしたばかりだという「Mrs.Robin Hood
」という全くお洒落な店だった。
このお店も、失礼ながら「こんな鄙びた山の中の町で・・・?」と何やらミスマッチの感じがしたが、オーナーの女主人と話を交わしながらすっかり感服してしまった。
「自分は長い間近くにある道の駅で食堂をやっていた。そこで近所の農家から野菜を分けてもらったりして親切にしていただき、本当に助けられた。そして一念発起してこの店を作ったが、そんなお世話になった農家の人たちが集ってきていつでもお喋りが楽しめるような場所にしたい。最初はこんな店構えだから田舎の人たちは躊躇するだろうが、そのために店の前には広場も作って(なるほどまだ整地してないが広いスペースがあった)ここを自由市場のような交流場所として提供し、ついでにお店に寄ってもらうようにしたい。いわゆるロビン・フッドの思想を自分は実践したいんです」と。
今回もKさんのお蔭で良い旅が続けられた。「ロビン・フッドの思想?」知らなかった・・・。今度しっかり勉強しよう!
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