<<前のページ|次のページ>>
最後の更新は6月30日

2007年6月2日(土)晴れ
初夏の香り

 一昨日(5月31日)の深夜、おやじ山から35日ぶりに自宅に戻った。4月27日からずっとテント暮らしで、久々の布団で寝たせいか肩や首筋がコリコリと痛い。昨日、今日と溜まった郵便物のチェック(やたら請求書が多くて憂鬱になった)やキャンプ道具の片付けをし、ようやく一息ついたところである。
 これから持参したノートパソコンに書き溜めたおやじ山での日記(4月27日〜5月31日)をアップします。きれいな風景写真やモリアオガエルの産卵などの珍しい写真も載せますので、「4月日記」「5月日記」をクリックしてみて下さい。

 




2007年6月15日(金)曇り
M・H様へ−長い間ご無沙汰しておりました

 M・H様
 長い間ご無沙汰しておりました。ご主人がお亡くなりになった時以来ですからもう20年お会いしておりませんね。昨晩、偶然にもあなた様のBlogとホームページに出会いお元気なご様子を知って安心いたしました。私のホームページに時々訪問して下さっていることを知りビックリすると同時にとても嬉しく思いました。あなた様が6月3日のBlogに書いておられた内容に感激し心から感謝いたします。Blogには「主人の友人」と私の紹介がありましたが、既にお読み下さってお気づきかも知れませんが私のホームページのプロフィールに書かせていただいた通りHさんは私のかけがえのない「恩人」です。<プロフィールに書いた「その昔、シュトルム・ウント・ドランクの時期に知り合った今は亡きある恩人」とは紛れもないご主人のことです>生前は勿論お亡くなりになってからもずっとHさんの言葉を胸の中で聞きながら仕事をしてきました。私が国鉄を辞めその後苦しんでいた時期に入社した会社で総務人事の高い役職についておられながら、若造の私がそこも退職する時にHさんは奈良の仏像を訪ねる旅に誘って下さいました。今からもう38年も昔のことです。二人で奈良の古寺を巡礼しながらHさんからたくさんの仏様の解説と仏像の見方を教えていただきました。新薬師寺の傍の志賀直哉ゆかりの宿で夜遅くまでHさんとお話しをし、その時奥様との出会いのエピソードもほほえましく聞かせていただきました。そして翌日、山の辺の道を歩きながらHさんが「会社を退職したら寺守になりたいなあ〜」と呟いた言葉が忘れられません。いま寺守になったHさんとお話しができたとしたら山ほどお伝えしたいことや聞いて欲しいことがあるのになあ、と思っています。
 今Hさんの形見のご本を大切に持っています。ご主人がお亡くなりになったと転勤先の富山で知り(この知らせを伝えて下さった方にもいつかまたお会いできたらと思っています)、休日を待って東京のご自宅にお伺いしました。Blogでお書きの通り霊前で号泣してしまいましたね。Hさんの書斎だったであろうそのお部屋の書架の前で泣いている私にあなた様から「お好きな本をお持ち帰り下さい」と言われて頂戴したご本がこの「奈良の旅」(松本清張・樋口清之著)の初版本です。ページを開くと何という植物か多分あの時の旅で摘んだであろう押し葉が挟んであります。赤く変色したこの押し葉をじっと見ていると、涙が止まりません。
 またいつでも「おやじ小屋から」に訪ねてきて下さい。そしてあなた様のBlogでお元気なご様子をお知らせ下さい。どうかいつまでもいつまでもお元気で・・・
                                          おやじ山主  T・S

2007年6月24日(日)曇り
星野道夫のこと

 ある人から星野道夫の立派な写真集を手渡された。私の趣味に少しは合いそうだと思って貸してくれたのかも知れない。写真家など週刊誌に載る2、3人のヌード写真家(別にそのテの週刊誌を愛読している訳じゃないけど)か土門拳ぐらいしか知らなかったが、ページの最初のプロフィールを読んで「あっ」と分かった。10年ほど前(1996年8月8日)にカムチャッカ半島でテントをヒグマに襲われて死んだ写真家の記事を新聞で読んだ記憶があった。享年43歳、アラスカの極北の地でテント生活をしながら野生動物や自然を撮り続けてきた人である。
 写真集のタイトルは「星野道夫の宇宙」。ページを開くと雪山や原野の白い風景とシロクマやアザラシ、カリブーなどの野生動物たちの写真、そしてページの余白に短い詩かつぶやきのような文が載っている。写真を眺め、このつぶやきの文字に目を落としながらページを行きつ戻りつしながら過ごしているうちに突然「俺と同なじだあ!」と不遜にも思ってしまった。星野が書いた短詩かつぶやきかの感じ方がそっくり共有できると言うか、かつて自分が経験した感情そのままで、一気に近親感を覚えてしまった。
 夕暮れの広い湖の浅瀬を1頭のヒグマが歩いている写真がある。湖の岸辺には、まるでヒグマを見送るかのように1羽のカモメと3羽ほどのチドリのシルエットが写っている。泣きたくなるほどの静けさと寂しさ・・・そして星野のつぶやきはこうである。「生きるものと死ぬもの。有機物と無機物。その境とは一体どこにあるのだろう」 多分、あるがままの自然を無垢な気持ちで全身で受け止めると、こうなる筈である。
 また深く苔むした森の写真があった。文には「・・・この森は、気の遠くなるような時の流れの中で、少しずつ動いていて・・・目には見えない森の動きを、ぼくは心の中で感じ・・・」とあった。この森の動きとは横にではない。3次元の空間を奥へ奥へ動いているのがこの写真から感じ取れた。
 そして、ページの写真(クジラの写真である)とは関係がないと思われるが、そこの一文に吸い寄せられた。ある人との会話文である。その人が、たとへば泣けてくるような夕陽を1人で見ていて、「もし、愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」訊ね、一方(星野)が写真やもし絵が描けたら絵でなどと答えた後で、その本人はこう言うのである。「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」 
 いつかあの時、俺も確かにそう思った。私は確信を持ってこの言葉に強く頷き返すことができる。

2007年6月29日(金)曇り〜雨
2つの会(その1 清塚信也ピアノリサイタル)

 友達に誘われて、何とピアノリサイタルに行ってきた。
 生の演奏会などはまだ会社勤めの頃
、舘野泉のピアノコンサートを遠くまで出かけて行って聴いて以来だから、およそ1年半ぶりである。清塚信也という24歳の新進気鋭のピアニストで、この方面にはまったく音痴の私にとって始めて知る名前だった。前から4列目の殆どかぶりつきの席で、それに空腹のせいで開演前に一度「グー」と腹が鳴って、演奏中にまた音が出たらエライことだと少し緊張してピアニストの登場を待った。
 場内のライトが少し暗くなって本人が舞台の袖から出てきた。そしてマイクを取って小さな声で喋りはじめた。とても若くて可愛い感じである。短いトークが終わって第1曲目がベートーヴェンの「熱情」、そして2曲目がショパンの「ノクターン遺作」だった。全く、明るい月の光が澄明な夜空からキラキラと降り注ぐような細くさざめく高音の連打に、思わず感情もぶるぶるさざめいて涙ぐんでしまった。
 休憩を挟んで後半はリストの曲から始まった。「ダンテを読んで」という演奏には驚いてしまった。多分、「地獄」の章では大嵐や雷がドンドンガラガラと鳴り響いて、このまま演奏がプツリと終わってしまったら家に帰って今夜はきっと夢にうなされてしまうに違いない、と思うような激しい演奏だった。多分(よく分からないけど)、「天国」のパートに入ってほっと胸が落ち着いた。和音が広々と伸びてきて、雨上がりの雫がポツリと落ち、日が差して、森の中の小鳥たちがさえずり、大海原のたおやかな波のうねりと打ち寄せるさざ波の音、小川のせせらぎが踊るように響いて「神曲」の演奏が終わった。
 そして最後はドビュシーとラヴェルの曲だった。清塚は最後の2曲を弾く前におおよそ次のように音楽の歴史を語ってくれた。「ベートーヴェン以前の古典派の音楽は1800年代のショパンやリストでロマン派の時代になり、そして1900年代、ピアノという楽器の素晴らしい進歩によって従来の<音で物語る>音楽が、<音そのものの表現>によるドビュシーやラヴェルの印象派の音楽へと移って来たのです。絵画にある印象派と同じですね」 「な〜るほど!」この短いトークだけでも音楽音痴の私にはリサイタルに来た価値があると思った。
 アンコール曲は清塚のオリジナル曲、ラテン語名○○(聞き取れなかった、「運命・出会い」という意味だそうだ)だった。美しく胸の琴線を静に震わす、ある意味では思索的と言ってもいい素晴らしいピアノ曲である。隣の友人がハンケチを何度か目に当てているのが分かった。 

2007年6月30日(土)曇り
2つの会(その2 自然観察会)

 森林インストラクター会の自然観察会に参加した。毎月の定例行事なのに何と4ヶ月ぶりの出席である。毎回、代表のNさんの案内と説明を聞きながら樹木や植物、鳥や昆虫などの観察をする楽しい勉強会である。今回のフィールドは県立津久井湖城山公園だった。
 橋本駅からバスに乗り「津久井湖展望台」で下車。
降りた歩道の敷石の上に何匹ものミミズがクネクネとのたうっている。早速Nさんに「ミミズは何でわざわざこんな所に出てきてしまうの?全く自殺行為だよね」と質問する。「はい、挨拶の後で説明しましょう」
 今回の参加者は12名。私を除いて日頃自分たちのフィールドで森のインタープリターとして活躍しているベテラン揃いである。広場に集まってNさんの挨拶と一応恒例の自己紹介。終って早速Nさんがミミズの自殺行為についてみんなに説明を始めた。「この現象について専門の学者たちが賢額秀額を寄せて論議したのですが、確かなことは分かっていません。要は蒸し暑くて出て来るのだろう、ということだけです。湿気が多いとバクテリアが多く発生して土中が酸欠状態になって飛び出て来るのかも知れません。確かなことはミミズに聞くしかありません」「はあ〜・・・」
 「あ、ヒルガオ!」「いや、これはコヒルガオですね。ヒルガオとの違いは・・・」「はあ〜・・・」
「このクモはと・・・?」「いや、これはクモではなくてザトウムシ。クモ綱ザトウムシ目ではありますが。体が宙に浮いてユーフォーみたいですね。足は8本ですが第1脚が象の鼻みたいに物を掴めるようになっています。そして・・・」「はあ〜・・・」 仲間のインストラクター達からも出会った植物や鳥や虫のことなど、実にいろいろな事を今日も教えてもらった。その1つ1つを急いでメモ帳に書きとめながら嬉しくて仕方がない。知らなかったことを覚えていく楽しさというか満足感というか、最近は特にそういう思いが強くなった。昨夜のピアノリサイタルの感動と根っこが同じ気持ちかも知れない。
 それにしても俺はまだまだ森林インストラクターとしては未熟だなあ〜 
 6月が終った。密度の濃いいいひと月だったと思っている。