最後のページは<12月23日

2024年12月11日(水)晴れ
おやじ山の秋2024(山を下りました)
 12月5日に、冬仕舞最後の「風の小屋」と「おやじ小屋」の雪囲いを済ませて、山を下りた。当日は時折激しい雨に打たれて、追われるように山を下りて、その日の夜に藤沢の自宅に着いた。

 
下山の日の山径 見晴らし広場から一瞬の日差しに浮かんだ長岡市街を観る  麓に立つ柿の木

 帰宅後の天気予報を見ると、翌々日からは長岡の天気は雪マークが続いていた。自宅の窓越しに差し込む眩い陽の中で、今時の郷里の天気に思いを馳せて何やら後ろめたいような気分になっている。

 おやじ山では先月末から連日雨の日が続き、12月2日僅か1日だけが貴重な晴れだった。この日に山の仲間たちが集まってくれて大方の冬仕舞をやってくれたお陰で、その後は雪の到来を待ち構えるようなつもりでのんびりと最後の山仕事をしながら小屋暮らしをしていた。そのせいで、最晩秋のおやじ山の良さにあらためて気付かされもした。その魅力をしみじみと懐かしみ、反芻しながらの今日この頃である。
2024年12月23日(月)晴れ
一句に寄せる思い
 昨22日(日)の朝日俳壇から・・・

 とりあへず忘れることに日向ぼこ   谷脇 篤

 選者(大串 章)評に、「こうした体験は多くの人にあるだろう」とあった。「そうだなぁ」とつくづく思う。人生何歳(いくつ)になっても悩みは尽きない。悠々自適の人生など望むべくもないと・・・。
それで俺も悩み事を抱えては、「とりあへず・・・」となるのである。

 先週15日の朝日俳壇には、次の様な句もあった。

 ひとり来て父の墓前に年惜しむ   大谷 和三

 今年山を下りたのは12月5日だった。この日未明から冬支度に取りかかり、最後の風の小屋の前を合板パネルで釘打ち、それからおやじ小屋の玄関を戸板で囲って、いつものように「ありがとう!ございましたぁ~!」と大声で挨拶して、雨に追われるようにして山を下りた。そして青島の託念寺に寄っておやじとおふくろの墓前に手を合わせ、「一年間見守ってくれて、ありがとうございました」と頭を下げた。この一句の通りだった。

 長い山暮らしの中での楽しみは、①近くの日帰り温泉に入ること、②酒を呑むこと、③携帯ラジオを聴くこと、である。

 同じく15日の朝日俳壇から

 大陸の雪の白なり大白鳥   加藤 宙

 今年11月23日、山暮らしの垢でも落とそうと、既に常連となった与板の志保の里荘の日帰り温泉(麓から車で35分程で行ける)に行った帰り道で、田圃で休んでいる白鳥の群れを見た。車を停めて群れに近づきながら、「ああ、もうこんな時期になったのか」と一年の速さをしみじみと感じた次第である。

 恋をせし頃の唄聴く夜長酒   藤田 修

 おやじ山の秋は日暮れが早い。それで夜7時か8時前には枕元に携帯ラジオを置いて床につく。灯は灯油のランプで、暖房は薪ストーブか囲炉裏に炭を熾しての生活なので、酒を呑んで夕食を摂った後は早々に火の始末をして寝るしかない。それで真夜中に、点けっ放しのラジオから懐かしい昭和の歌声が流れて目が覚める。「神田川」だったり「恋の季節」だったりと・・・。堪らなくなって一升瓶をたぐり寄せて、だらだらと深夜の一人酒が始まるのである。

 夕方の酒は身体で呑み、深夜の酒はこころで呑む。