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2025年9月1日(月)晴れ
思い出をなぞる山旅-東北編(プロローグ)
 若者はくよくよ過去を思い悩んだり、もとより少しの成功体験に慢心することもなく、ひたすら未来に夢を描いて突き進んで行ったら良い。そして人は歳をとったら、良いも悪いも過去を忘れてはダメだ。水に流してチャラにすることは卑怯である。俺はそう考えている。自分の過去を機会あるごとに振り返り、再度胸に刻み込んで(トレースして)、残された余生でできる限りのそのケジメをつけることが人の在り方ではないかと思っている。

 この日(2025年9月1日)から10月3日まで、10年以上にわたって一緒に仕事をしてきた相棒の
Kさんと森林調査の仕事に就いた。およそ3年8ヶ月ぶり(前回の森林調査最終日は2022年1月11日の雪の島根県の奥出雲だった)の復帰である。

 そしておよそ1ヶ月にわたる今回の山旅では、各地各所で過去の思い出に出会うことができた。そんな意識で旅を続けたわけではないが、まさに「偶然」ともいえる過去との邂逅で、今回の山旅での最高のご褒美だと思っている。それでこの旅の記録のタイトルを「思い出をなぞる山旅」とした。

 仕事上の守秘義務があって、「日記」での記載には制限があるが、可能な範囲で日ごとに綴っていきたいと思う。

<森林調査第1日目>
 12時、Kさんと仙台駅の日産レンタカーで合流。早速宮城県内のNO.1調査地に向かう。最初の仕事でインターネットで買ったスパイク長靴の履き心地がダメで、幸い宿に向かう途中のコメリに寄っておやじ山で履き慣れている長靴を買う。これで一安心である。
写真右:国道347号線沿いの稲田)

(Kさん愛用の4WD日産車)
2025年9月2日(火)晴れ
思い出をなぞる山旅-東北編(2日目:奥の細道と毛越寺)
 今日のポイントに向かう途中、黄金の穂が揺れる見事な田圃の風景に目を奪われた。郷里のおやじ山の麓も今まさにこんな風景が広がっているのだろうと心を馳せた。

 宮城の山形県境近くとさらにもう1ヶ所の調査を済ませた後、栗原市栗駒町岩ヶ崎で、Kさんお勧めの「熊そば屋」(食事処 狩人)で昼食を摂った。ここは(岩ヶ崎鶴丸城跡)芭蕉と曽良が松に衣を掛けてしばし休息したと伝えられる場所で、昔ながらの古い街並みもなかなかの雰囲気があった。

 午後は一気に北上して岩手県に入った。栗駒山近くで仕事をし、今日の宿は平泉町である。世界遺産毛越寺の広い駐車場の中にある宿で、その名も「浄土の館」。せっかくの場所に来たからにはと、閉館間際の境内を駆け足で観て回った。


   大崎市香美町の田圃      「奥の細道」(栗駒町岩ヶ崎)   熊そばの店  栗駒町の街並み

  達谷窟毘沙門堂(平泉町)       世界遺産「毛越寺」(もうつじ)

   「浄土の館」
2025年9月3日(水)
思い出をなぞる山旅-東北編(3日目:ワラ人形の男根とマタギ資料)
 平泉から更に北上して北上市の和賀川上流部に入る。
 この辺りでは旧正月に流行病(悪魔)が部落に入らないようにワラ人形を部落の入口に立てる風習がある。そのワラ人形には大きなオチンチンが付いていて、古来より男根は悪魔退散の霊力があると信じられてきた。

 
ブナ林の中の巨大な伐り株           谷川の中をポイントに向かう  白木野人形送り
 途中で立寄った西和賀町の碧祥寺博物館で、やはり同じようなワラ人形と昔のマタギ(猟師)の資料を実に興味深く観た。熊谷達也の直木賞受賞作「邂逅の森」や河崎秋子の「ともぐい」などの熊文学を読んでいたが、この資料館で実際のマタギ道具を観てあらためて二つの物語に思い巡らせた。
(下の写真は碧祥寺博物館の展示品)


 今日の仕事が終わって、Kさんが日本一深い風呂がある鉛温泉(藤三旅館)の日帰り温泉に連れて行ってくれた。なるほど入ったら首ほどの深さである。立ったまま湯に浸かるから自然に天井を仰ぐ姿勢になる。その高い天井の構造が実に見事だった。さすがである!(天井の写真がないのが残念)


 日本一深い風呂
2025年9月4日(木)晴れ
思い出をなぞる山旅-東北編(4日目:七時雨牧場とそばの花)
 今日は盛岡市を出発して最初に早池峰山の近くを攻め、さらに岩手山を見ながら北上して八幡平の安比高原に向かった。早池峰山と岩手山はいずれも見事な花の山で、随分昔に次兄に連れられて登ったことがある。確か噴火で岩手山が入山禁止になった1、2年前の山行で、コマクサの大群落に興奮した思い出がある。(稲田の奥は岩手山)
 
 今日の仕事途中では、大きなハナビラタケに驚き、渓流沿いのトリカブトに目を奪われ、八幡平の七時雨牧場の草山の空に浮かぶうろこ雲や真っ白に咲き誇ったそば畑に見惚れながら、「ようやく秋が来たか」と感じた次第である。

稲田の向こうに岩手山     ハナビラタケ   渓流のトリカブト  谷川を渡渉してポイントへ

         
西根町営七時雨牧場    

      
そばの花真っ盛り        安比高原森のホテル
 この日はKさんが手配してくれた(全てKさんにおんぶに抱っこである)お洒落な「安比高原森のホテル」に泊まった。
2025年9月5日(金)雨、曇り
思い出をなぞる山旅-東北編(5日目:そば畑と軽米町)
 今日は岩手県最北部、青森県境近くの高標高地のカラマツ林などがポイントだった。調査5日目で足が思うように動かず、大いに疲れて不覚にも悔し涙が出た。そんな中で今や真っ盛りのそば畑に癒され、宿をとった軽米町をぶらり流し歩いてまた明日からの鋭気を養った。

      真っ盛りのそば畑とそばの花

 軽米町秋まつりのポスター    軽米町にて:左は二戸・九戸(岩手県)、右は八戸(青森県)
2025年9月6日(土)晴れ
思い出をなぞる山旅-東北編(6日目:圧巻の茅葺き納屋と北山崎の絶景)
 岩手県北端のポイントから三陸海岸側に折り返して、岩手県東部を南下する山旅が始まった。今日の昼飯はKさん推薦の葛巻町の「森のそば屋」に入った。女将さんが囲炉裏で焼く岩魚の塩焼きが何とも食欲をそそる。

    
森のそば屋(岩手県葛巻町)
 そばと岩魚で腹ごしらえをしたあとは三陸海岸側に出ていよいよ南下である。
 途中で異様な姿の茅葺き屋根に目が止まり、車を停めて見惚れてしまう。崩れた茅葺き屋根全体に松や様々な灌木が生い茂り、まさに天空の箱庭である。「美は乱調に有り」とはこの事かと思わず唸ってしまった。

   
崩れた茅葺き屋根に樹木が生えて・・・「美は乱調に有り」か!
 今日の仕事を終えて宿へ向かう途中、三陸海岸の名勝「北山崎」に立寄った。山調査でくたくたに疲れていたが、それでも岬の長い階段を喘ぎながら上り下りして観る価値がある見事な絶景だった。

         
三陸海岸の名勝「北山崎」
 宿は海沿いにある田野畑村の「ホテル羅賀荘」。そして明日一日は休養日である。
2025年9月7日(日)曇り
思い出をなぞる山旅-東北編(7日目:太宰治「津軽」を読んで過ごす
 持参した太宰治の「津軽」を読みながらホテル羅賀荘405号室でゆっくりと骨休めする。
 太宰の小説は全集を買い揃えて殆ど読み切ったが、その中で「津軽」が一番好きだ。最後の「たけ」との再会の場面では、何度読んでもボロボロ涙を流しながら読み終えるのだが、今回はまた違った感想を持った。この小説は太宰特有のユーモアと諧謔で書かれた文章だが、全編を通じて作者自身の淋しさと哀しみとが胸をついて伝わってきた。俺自身のいろいろな年代で「津軽」を何回も読んできたが、こんな印象を持ったのは初めてである。「作者は苦しい時にこそユーモアを書く」と言ったのは誰だっただろうか?

 時々身体を伸ばしにホテルの外に出る。三陸の海で、波が波を追いながら断崖に打ち寄せ砕け散っていた。


                                      右奥が「ホテル羅賀荘」
2025年9月8日(月)曇り、小雨
思い出をなぞる山旅-東北編(8日目:大槌町の「風の電話」にて)
 今日は岩手県をさらに南下して、最初は県東部の山に入り、その後三陸海岸側に出て宮古市の2カ所のポイントを調査した。せっかく休養をとって体力回復に努めたというのに、山で激しく喘ぎ、ちょっとした藪に足をとられて4回も転倒した。全く情けなくて涙が出てしまった。(それでこの日から最終日まできっぱりと酒を断った。その分、最終日に揺りっ返しが来たけど)

廃林道に乗り捨てられた三菱製旧式ジープ 桂の巨木に巻付いたフジ 「トンボ鉛筆」の看板
 3時過ぎに仕事が終わり、あらかじめ「時間があったら」とKさんにお願いしていた大槌町にある「風の電話」に連れて行ってもらった。昨年10月におやじ山で「落成5周年記念」を挙行した山小屋を「風の小屋」と命名したそのいわれとなった電話ボックスである。ベルガーディア鯨山のお宅に、「時間が遅くなったが、これから行きますがよろしいでしょうか?」と電話すると、奥様から「どうぞ、どうぞ、お気を付けてお越しください」と快い返事があった。

 現地は静かに小雨が降りしょぼっていた。午後も少し遅い時間で、白い電話ボックスが沈んだ風景の中でひっそりと佇んでいた。やはり胸がドキドキとした。Kさんは遠慮してか入口近くに留まって自分一人で電話ボックスに向かう。扉を開けて中に入り大きく深呼吸してから黒電話の受話器を握った。そして天国にいるおやじとお袋に、「この8月で80歳になったこと。オレをここまで健康で丈夫に育ててくれてありがとう」と心からの感謝を述べた。

 
おやじとお袋に80歳になった報告と「ここまで健康に育ててくれてありがとう」と伝えた

 電話ボックスの中には、次のようなことが書いてあった。
  風の電話は心で話します
  静かに目を閉じ 耳を澄ましてください
  風の音が又は浪の音が
  或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら
  あなたの想いを伝えて下さい

 忘れられない一日になった。(写真はKさんがこっそり撮ってくれた。Kさん、ありがとう!)
2025年9月9日(火)曇り、晴れ
思い出をなぞる山旅-東北編(9日目:民話のふるさと遠野)
 朝飯はホテルからほど近い「宮古市魚市場食堂」でとることにした。7時開店の札を確認してから時間まで辺りを散歩する。水揚げされた魚を男衆が無言でさばいている。岸壁で魚釣りをしている人たちもいて「はて、何が釣れているかな?」と・・・。親子とみられる女性の太公望に近寄ってみると、何と!釣り糸を垂れている母親の脇で娘さんの方は編み物をしている。この取り合わせには笑ってしまった。「何が釣れた?」と訊くと、娘さんの方が顔を上げて、「今来たばっかり」とつれない返事である。

 
男衆が無言で水揚げの魚をさばく。何やら神々しい風景である。   魚釣り(母親)の脇で編み物(娘)。(笑)
 今日のポイントは遠野市の山だった。遠野と言えば柳田國男の「遠野物語」で知られる民話のふるさとで、仕事を終えてから「カッパ伝説」の常堅寺にある「かっぱ淵」に足を運んだ。
 何組かの観光客で賑わっていたのでとてもカッパが出るような雰囲気ではなく、「まあ、話しの種に」とスマホ写真におさめて境内を出た。

    
遠野の風景         「遠野ふるさと村」      常堅寺境内の「かっぱ淵」
2025年9月10日(水)
思い出をなぞる山旅-東北編(10日目:東日本大震災の鎮魂と希望の詩)
 今日は釜石から大船渡へと移動して仕事に就いた。2011年の東日本大震災のあと、南三陸町に災害復旧ボランティアで行ったが、活動の間の休日を利用して大船渡、そして釜石と遠征して凄まじい被害状況を目の当たりにした。
 そして今日、釜石の宿を出て仕事場に向かう途中の街並みを見るにつけ、巨大防潮堤の他は先ずは平穏に戻った風景に感慨もひとしおだった。
 
 仕事が終わり、Kさんが手配してくれたホテルのロビーからは整然と筏が並ぶ穏やかな大船渡湾が望まれた。ロビーの壁には大きな二つの詩額が掲げられていた。奇跡の一本松を詠んだ「鎮魂の詩」と大船渡湾を詠んだ「希望」という詩である。しばし詩額の前に佇んでその思いを胸に落とし込む。


   大船渡温泉から筏が並ぶ大船渡湾を望む



           大船渡温泉のロビーに掲げられた詩
2025年9月11日(木)雨~曇り
思い出をなぞる山旅-東北編(11日目:カミさんのルーツを訪ねて)
 今日は三陸海岸側の調査地を攻めた後、一気に内陸に向かって一関市の山に入った。3点の調査ポイントで仕事を済ませて、最終地近くの「一関金山棚田」を見る。面積は四反二畝(42アール)で百数枚の田を数えるという。江戸時代後期に拓かれ、以来百年以上にわたってこの景観を今に伝えている。経済価値だけでは計れない田圃の価値があるのだと・・・。

               
一関金山棚田
 今日の宿は一関なので、宿に入るまえに「一関市博物館」に立寄った。カミさんの祖先は一関藩の名の知れた絵師で、その絵が博物館に展示されていると聞いていたからである。予め博物館に電話して訪問の意図を伝えていたので、展示物はすぐに分かった。絵は和算の千葉胤秀の肖像画で作者は入間川南渓。入間川家第6代の一関藩士でカミさんの高祖父にあたる。江戸に出て谷文晁と春木南湖に学んだ南画の画家だった。

  
一関市博物館            入間川南渓画 千葉胤秀画像

 肖像画と「入間川南渓画」と書かれた説明文を交互に眺めながら、今年1月に亡くなった義兄(カミさんの兄)を思い出していた。高校の歴史の先生だったせいもあってか、今も遺る南渓の絵の所在(岩手県住田町満蔵寺の襖絵。宮城県東和町不老仙館蔵の「八方睨の虎」など)や自らも何点か収集してその詳細を記録していた。しかし義兄の家(カミさんの実家)にあった南渓の絵はある手違いから全て散逸してしまった。大英博物館所蔵の絵を描いた春木南冥(南湖の子)との合作掛軸「春木合作」などもあったが、誠に残念である。しかしいつか、亡兄の記録にあった満蔵寺や不老仙館を訪ねて南渓に会ってみたいと思っている。