| 2026年2月3日(火)晴れ、節分 |
| 節分のまめまきと雪道の思い出 |
今日は節分、そして明日は早くも立春である。
晩飯前に、例年通り、近所に聞こえないように小さな声で、「鬼は~そと!」「福は~うち!」と豆まきをやった。たかが豆まきだが、この年になるとちょっと切実な気持ちで豆を投げた。「どうか福が来ますように」と・・・・。
遠い昔を振り返ってみると、節分の豆まきはどの家も当たり前の行事で、ご近所のあちこちから、「鬼は~そと!!」「福は~うち!!」と朗らかな大声が聞こえてきたものである。そして翌朝は、学校に行く前に、玄関の前のうず高く積もった雪壁に刺さり込んでいる豆をほじくり出して、ポリポリ食べながら登校した。あの頃が何とも懐かしくて仕方がない。
ついでに思い出したことがある。
今おやじ山の長岡は大雪で、NHKの全国ニュースにも度々長岡の映像が出てくる。しかし昔は、これくらいの積雪は普通だった気がする。朝の登校時は、玄関口から新雪が積もった細い踏み道を歩くのだが、まだ人通りも少なく、ひと一人が歩ける幅しかない。
そこである朝のこと、前に同級生の女の子が歩いていた。だいたいこの時間になるとこの子と鉢合わせになるのだが、昔のことだから同級生と云えど男は男、女は女で、会話はもとより男女が一緒に歩くということなど無かった。 朝早い雪の踏み道はしっかりと踏み固まっていない。後ろから見ていると女の子の足取りはおぼつかなくて、ついにパタンと道脇の新雪に倒れてしまった。問題はここからである。女の子はそのままじっとして起上がらない。俺は胸がドキドキした。駆けつけて行って助けるべきか、起上がるまでこの距離をキープして待つべきか、俺は真剣に悩んだ。結局駆けつけて行って助けた(?)のだが、女の子は俺の顔を見て手を出したので、はっしと握って起こしてやった。それでこの日は、勉強に全然身が入らなかった。遠い遠い昔の話しである。
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| 2026年2月5日(木)晴れ |
| 日本はいつ大統領制になったのか? |
衆議院選挙の投票用紙が届いたので、カミさんと一緒に期日前投票を済ませてきた。この衆院選にはあれこれ大いに不満があるので、早々と済ませてスッキリしたい、というのが本音である。
その俺の不満の一つを明確に言ってくれた投書が2月3日の朝日新聞朝刊に載った。以下は元大学教員の中川謙さんの投書の内容である。(2月3日付朝日新聞「声」欄から)
『今回の選挙で、「高市早苗が内閣総理大臣で良いのか」と首相自身への信任を求めるかのような会見発言(と政見放送)が報道されているが、日本はいつ大統領制になったのか。
日本の国会は国民が個々の議員を選挙で選び、その議員が国会での議決で首相を指名する。この議員内閣制のもとでは、首相選出の責任を担うのは国民ではなく国会なのだ。これが大統領制なら、大統領を選ぶのは国民である。だから米国は大統領に拒否権、フランスは首相任命権など、強力な権限を大統領に与えている。国民の直接の信任を得ているからだ。
しかも日本の制度は、議員内閣制のほか周到な三権分立など、権力集中を抑制する知恵を働かせている。これが安易に揺らぐようでは困る。』(一部自分が加筆しました)
今の高市政権の危うさは、まさにこれである。「高市総理選択選挙」での権力集中によって、国論を二分する重要課題を一気に自分で決着させようとする横暴さが見て取れる。アメリカのトランプの真似だけは止めて欲しいと切に願っている。
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| 2026年2月11日(火)曇り |
| Sさんが言った「夢のような日」 |
Sさんと付き合って18年になる。同じ森林インストラクター仲間で、偶然にも越後長岡が同郷だと分かったTさんが誘っておやじ山に来たのが最初だった。それ以来、Sさんはしばしばおやじ山を訪ねてくれて、一緒に寝泊まりしながら山施業の手伝いはもちろん、夜には酒を酌み交わしながら大いに語り、大いに唄ったりと、楽しく濃密な時間を共有してきた。Sさんの自宅は伊豆半島にあったが、こちらに居る時でも度々会って、長く付き合いを続けて来た。
Sさんからの突然の電話があったのが、一昨年(2024年)の11月6日である。一人暮らしのSさんが自宅で倒れてそのまま起き上がれず(Sさんは手足が不自由だった)、長い時間過ぎた後に発見されて伊東市民病院に救急搬送され、そのまま入院したと言うのである。翌7日にはTさんを誘い、カミさんも一緒に病院に駆けつけた。Sさんは「死ぬ前にどうしても電話したくて」と言った。
それからSさんは3ヶ月近く闘病生活の後、神奈川県二俣川にある特別養護老人ホームに入所した。
Tさん、カミさん共々Sさんのお見舞いを続けてきた。特養ホームでの面会時間は15分と決められていたが、車椅子に乗せられて現れたSさんが、会う度に痩せ細っていく姿や、衰えていく言語表現に哀れさが募って、いつも時間を延長してもらいながら面会を重ねてきた。
そして昨日も、Tさんと連絡を取り合ってカミさんと三人で特養ホームに行ってきた。
広い食堂内の隅のテーブルで、規定によって職員の方が15分間のストップウオッチを押したので、急ぎTさんは用意した銘酒「鶴齢」(元気な時のSさん愛飲の酒)の4合瓶とTさん手料理のパックをパカパカと開いてSさんの前に並べた。
先ずは持参の紙コップに「鶴齢」を注いで4人で乾杯! それからTさんがSさんの脇に坐って、持参の料理を箸で小さく千切ってはSさんの口元に運ぶ。Sさんは震える手で紙コップの酒を含んでは、Tさんが次々と差し出す料理に口を大きく開ける。
「Tさん、そんなにホイホイホイホイやっても、Sさん何喰ったのやら訳分かんなくなるでしょう」と言うと、
「あら、本当ね」とTさんは「ホホホッ」と笑いつつ、また料理を小さく千切って忙しくSさんに食べさせている。
「ピピピピピ・・・」とストップウオッチが鳴った。職員がテーブルにやって来たが、俺たちのささやかなミニ宴会の様子を見て、2,3度黙って頷いて去って行った。
さらに時間が過ぎて、職員が再び来た。急いで料理を片付けて職員に延長のお礼を言う。Sさんとの別れが来た。
「Sさん、俺たち帰るよ。また来るからね」と毎回決まった言葉をSさんに掛けた。
そしたらSさんが不自由な言葉でこう言って返した。
「今日は夢のような日だった」
涙がどっと溢れてしまった。 |
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| 2026年2月14日(土)晴れ、気温上がる |
| 冬のおやじ山に入る(1日目) |
今冬の大雪情報で、ずっとおやじ山が気になっていた。NHKテレビの全国放送でも度々長岡の街が放映されていて、「おやじ小屋」や「風の小屋」が、雪の重みや倒木などでおかしくなってはいないかと気がもめる毎日だった。(3年前の雪で、杉の大木が折れてイナバの物置を直撃し、押しつぶした)
それで数日前、思い切って新幹線で長岡入りする決断をした。地元の健介さんにおやじ山入りとサポートをお願いすると、快諾の返事が来た。
当初の予定より一列車早い「とき307号」の自由席に乗り込んで、10時に長岡駅に着いた。駅ビルのスーパーCOCOLOで半額シールが貼ってあるアルミ容器に入った「鍋焼きうどん」2個を買う。既に自宅近くのスーパーでインスタントラーメンとバターロールパン1袋を買ってリュックに詰めていたが、これは予備である。(この「鍋焼きうどん」が大いに役立った)
予定通りの10時50分に健介さんが長岡駅に迎えに来てくれて、おやじ山の麓、東山ファミリーランドに向かった。健介さんは愛用の山スキーを履き、俺は健介さんから借りたスノーシューと名門「LEKI」のスキーストックで、おやじ山に向けて山登り開始である。11時40分だった。(健介さんはスキーの指導員資格を持っており、冬期間は長岡市内の学校で生徒のスキー授業の講師を務めている)健介さんが先発でスキーで雪を踏みか固めた跡を、スノーシューの俺がついて歩く。最短コースの尾根道から見晴らし広場までは急登が続くが、既にルートがついていて40分ほどで見晴らし広場に着いた。
春の日差しを思わせる絶好の天気で、長岡の雪を被った街並みが、真っ白な越後平野の中に拡がって延びている。既に春霞のせいか、ここから見えるはずの東端の弥彦や佐渡、西端の米山、刈羽黒姫、さらには妙高の山並みは望まれなかったが、雪の茵(しとね)に包まれて穏やかに佇むふるさとの白い街並みの風景を目にしただけで幸せだった。
再びリュックを背負っておやじ山専用道に入る。見晴らし広場からは僅か500メートルの距離だが、新雪のトラバースルートで、冬期は難関である。健介さんの付けた踏み跡を辿って、午後1時前には無事おやじ山に着いた。
積雪は1.5メートル程か。「おやじ小屋」も「風の小屋」も深い雪に埋もれたまま、無事だった。テラスの回りをベニヤ板で打ち付けた雪囲いを跨いで「風の小屋」に入る。留守の間の埃とヒメネズミが騒いで散らかしたゴミの掃除を済ませて、ようやく「鍋焼きうどん」の昼飯にありついた。午後1時半だった。
  
おやじ山の小屋周りの風景 雪に埋もれた「おやじ小屋」と 「風の小屋」
その後は、風の小屋のドアーに通じる雪囲いのベニヤ板を外し、テラス前の雪壁に階段を付けてから、健介さんの下山を見送った。
再びスノーシューを履いて、おやじ山を一回りする。上のカタクリ広場は未だ分厚い雪に覆われていたし、下の黄土沢の辺りは2メートルを超える積雪があった。
  
おやじ小屋の屋根の雪 テラス前の雪階段作り 山菜山の斜面
日が陰る前にストーブを焚き、囲炉裏に炭を熾した。やはり昼の温かさから様変わりの、底冷えする寒さが忍び寄って来ていた。早々と酒を飲み始めた。ログの壁に背中をもたせかけ、囲炉裏の上に足を投げ出し、ガラス窓から見える暮れなずむ外の風景を眺めながら、こうして酒を飲めるだけで、何と贅沢かと思う。そして酔うほどに「知床旅情」を口ずさみ、「ふるさと」を高吟し、放尿で外に出ると、既にとっぷりと日は暮れていて、満天の星空である。そして小屋向かいの山菜山の斜面は、雪明かりの妖しい白さでぬめるように輝いていた。
 
「風の小屋」でストーブを焚く 火を肴にして酒を飲む(火には強い酒が合うようだ) |
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| 2026年2月15日(日)晴れ、気温上がる |
| 冬のおやじ山に入る(2日目) |
寝袋の中に湯たんぽとホカロンを入れて対策をとった積もりだったが、やはり寒くてウトウト眠りが続いた。午前4時頃、一度寝袋から這い出し小屋の外に出た。昨晩は雪明かりでぬめるような白さで輝いていた山菜山の斜面は、今は冬の闇にとっぷりと沈み込んでいる。その嶺の天井には、昨晩よりは更にクリアに、夥しい星々が瞬いていた。
小屋に戻って再び寝袋に潜り込む。枕元のラジオにスイッチを入れてウトウトしながら時間を過ごす。ラジオ体操の音楽が聞こえてきて、思い切って起上がった。ラジオをもって外に出て体操する。これだけで息切れがした。ヤバい。明らかに体調不良である。
念のためにと1本だけ持ってきた栄養ドリンクを飲み、卓上コンロに火をつけて「鍋焼きうどん」をかける。そして熱々のうどんを拝むようにしてゆっくりと食べた。
午前中は大事をとって、雪に埋まっていたトイレの雪掘りを休み休みしながらやった。
その後は折りたたみ椅子をテラスの前の日だまりに備えて、それに座ってコーヒーを飲みながら日向ぼっこをした。朝は日が陰って白くくすんでいた山菜山の斜面が、日が高く昇るにつれて銀色に輝き出し、緩やかに起伏する尾根と谷の湾曲が艶めかしいほどの雪肌となる。そのなめらかな雪肌に小さな雪崩跡のかき傷があり、獣の足跡が微笑ましく続いて、まるで大キャンバスに描かれた墨絵を観ているようである。
温かい日差しを全身に受けているうちに、体調が回復してきたのが分かった。時計を見ると間もなく正午である。健介さんがおやじ山の麓まで迎えに来てくれる時間が迫っていた。
 
朝の山菜山 日が昇るにつれて銀色に輝き出した
小屋に戻り、部屋の中を片付ける。一通り帰りの準備が出来て、外に出てスノーシューを履く。そして最後の山回りである。東側の斜面からカタクリ広場に出て若杉の森の中を歩き、地蔵広場から広葉樹の森、そしておやじ小屋から黄土沢に下りて谷戸の小川に沿って一回りした。
体調は完全に戻ったようである。
  
雪に埋もれた「おやじ小屋」と 「風の小屋」
  
風の小屋のテラスに積もった雪と屋根の雪 風の小屋前の風景
午後1時。小屋を閉めて大型リュックを背負い、いつもの通り大きな声で挨拶する。
「ありがとう・ございましたあ~!」 おやじ山に別れを告げた。
2時40分。麓で迎えに来てくれた健介さんの車に乗り込む。そして当初から長岡では一番お世話になっているSさんのご自宅に伺い、ご夫婦に挨拶をして長岡駅に向かった。
車を降りて健介さんにお礼を言って別れた。今回も健介さんには面倒をかけた。健介さん、ありがとう!
スキーシーズンで臨時の新幹線の指定券が取れた。窓側に坐って雪山を見ながらカップ酒を飲む。一瞬真っ白な越後三山が目に入った。急いでスマホで写真を撮った。下の写真はその1枚である。つかの間のおやじ山の旅が終わった。
 
おやじ山専用道から長岡市を望む 新幹線からシャッターを切る
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