| 2025年11月13日(木)曇り、朝の気温10℃ |
| 手紙 |
今朝の気温が10度まで下がった。「暑い、アツイ!」と部屋に冷房をつけていたのがつい先日だった気がするが、今日は暖房にスイッチを切り替えた。外に出ると大通りのケヤキ並木が一気に色づき、何と近所から見える富士山の頂が白く雪化粧していた。短い秋が冬の季節へと足早に駆け抜けていく感じである。
何年か前から断捨離と終活を兼ねて身辺整理をしていたが、本だけはその時々の思い入れがあって捨てきれないでいた。そして今日も本箱に並んだ書籍の1冊、1冊を手に取りながら「捨てようか?まだ捨てまいか?」と悩んでいた。
その中に京都学派の哲学者和辻哲郎の著書「風土」があった。昭和10年(1935年)初刊、昭和40年第29刷発行、定価 5百円とある。俺がまだ東京に出て間もない19か二十歳の頃に確か神田の本屋街で買ったもので、俺の愛読書だった。
パラパラとページをめくると、所々に拙い鉛筆書きでメモが認めてあった。そして最後の奥付を開いた時、ハラリと折りたたんだ紙片が落ちた。開くと、おやじからの手紙だった。日付けは7月22日とだけ書いてあるが、文面から推察すると俺が22歳で京都で下宿生活をしていた時の手紙である。
『孝雄よ・・・』で始まり、『おやじ』で終わる便せん1枚には、俺の健康を気遣いながら当時俺が抱いた目標の実現に向けて限りない応援と愛情が込められていた。58年ぶりに読んだおやじからの手紙に、涙が止めどなかった。
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| 2025年11月24日(月)晴れ |
| おやじ山秋から初冬へ |
おやじ山の近況を、自宅に帰ってから書いている。
今月15日に藤沢の自宅を発って、19日昼におやじ山を下りて自宅に戻った。18日に長岡市東山ファミリーランド自然観察林でどうしても立ち会わなければならない用事があって出掛けたのだが、わずか5日間の滞在では名残り惜しくて仕方がなかった。
しかしこの5日間を振り返ってみると、錦繍の秋から初雪の冬へと足早に通り過ぎて行く季節の移ろいや、この時期にやらねばならない山仕事での目一杯の肉体労働、そして冷え込んだ夜に、赤々と燃えるストーブの火を肴に酒を飲みながら縁のあった人たちをしみじみと想い出すなど(とりわけ最近亡くなった友人のことなど)、やはりかけがえのない時間を持てたと思っている。
  
山入した15日と翌16日は絶好の小春日和だったが、17日午後からの雨が18日は氷雨となっておやじ山での初雪を観察した。そして下山当日の19日朝は、「今シーズン最低の気温」とラジオが報じていたが、おやじ山では積雪1センチを記録した。秋色に染まった木々の葉っぱが白く薄化粧した山肌をバックに彩りが一段と冴えて、実に美しかった。
  
  
おやじ山では例年通りにナメコが生えて山の仲間たちを喜ばせてくれたが、そのシーズン最後のナメコが白く雪を被っていた。最後にかじかんだ手でその1つ1つを丁寧に採って山の恵みに心から感謝しつつ山を下った。
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| 2025年11月30日(日)晴れ |
| 我が人生を重ねて思う今朝の俳句 |
11月も晦日(つごもり)を迎えて明日からは早師走である。この一(ひと)月を振り返ると、まったく我ながら呆れるほどにバタバタと慌ただしく過ごした感がある。「もっとのんびりやればよいのに」と、いつも心の中では思っているのだが・・・。
そして、今日の朝刊で目にとまった俳句である。(2025・11・30付 朝日俳壇 大串 章選)
人生の余白にありて日向ぼこ 藤嶋 務
人生の宿題をやり終えた後の穏やかな境地というか、安堵の気持ちというか。俺はいつこの境地にたどり着けるのかと、羨ましいかぎりである。
立冬の月道づれに一人旅 白川 修
選者の評に、『この「一人旅」は人生の一人旅でもあろう。』とあった。来し方をしみじみと思いつつ、所詮人とは孤独な生きものなのではと・・・
さらにこんな句もあった。関係ないんだけど・・・・。
初恋の人も傘寿や蛍草 小谷一夫
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