2025年8月2日(土)曇り |
80年目の「8月」を迎えて |
クソ暑い日が続いているが、やっぱり俺は夏が大好きである。遠い昔のさまざまな出来事が、夏の季節になると不思議に思い出されてくる。それらは楽しい記憶というよりは何かしんみりとしたもの哀しい懐かしさで、これもまた夏の季節に相応しい感じがしている。『ヒトには明るさや楽しさ、豊かさや温かさだけでは埋められない「隙間みたいな領域」があって、そこを埋められるのはさみしさだ』とある歌人が言ったが、そんな「さみしさ」への憧憬かもしれない。
俺には長く付き合いを続けている高校時代からの親友たちがいる。まさに戦後80年を共に生きてきたかけがえのない同士だが、先月はその一人とガン病棟で面会し、そして昨日は、もう一人の友をベッド脇で見舞った。80年とは、そういう年月なのだとつくづくと思い知った今日この頃である。
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2025年8月3日(日)晴れ。猛暑続く |
ホトトギスの「聞きなし」 |
探鳥会などに参加すると、野鳥の鳴き声を人間の言葉に置き換える「聞きなし」を教えられて、思わず笑ったり、また感心させられたりする。例えば、フクロウは「五郎助奉公」、ホオジロは「一筆啓上仕り候」、イカルは「お菊二十四」などがある。さらに一般に知られている鳥の「聞きなし」といえば、やはりホトトギスの「特許許可局」が群を抜いているように思われる。

しかし去る7月20日の参議院議員選挙の当日、新聞に載っていた次の俳句を見て仰天した。
「国家とは何か」と熱きほととぎす 吉崎哲男
ホトトギスも国家の行く末を案じてこうも鳴くのかと感心した次第である。
因みに俺が敬愛する奥越後松代(現十日町市)に住んでおられた高橋八十八氏(先日連絡をとったが不明だった。どうされたか?)は、ホトトギスを「セックドリ」と呼んでいた。「明日節句だ!明日節句だ!」と告げ歩くからだという。節句といっても月遅れだから6月5日、ホトトギスは初夏を代表する夏鳥である。この時期、おやじ山には赤いヤマツツジが咲く。けたたましく鳴くホトトギスの喉の血が滴ってヤマツツジになったという伝承がある。 |
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2025年8月6日(水)晴れ、猛暑日 |
ヒロシマの日に思う明本京静 |
♪山川は嘆きに満ちて
叫ぶ声あり 戦いは~
げに人類の恥辱ぞと・・・♪
62年前に習ったこの歌は、今でもメロディーとともに歌詞を口ずさむことができる。
昭和39年(1964年)4月、東京国分寺にあった中央鉄道学園の音楽教室で、俺はこの歌を作った明本京静に出会った。助手の安西愛子(童謡歌手、NHK歌のおばさん)を従えて教壇に立った明本京静が行った大学課程○○科35名の新入生を前にした最初の授業だった。その授業たるや俺が今まで経験したことのないほどの強烈なものだった。国鉄の幹部社員となるべく俺たちへの期待とエールとを涙を流しながら激しくそして熱っぽく語ったのである。2時間の最初の授業が終わった後、俺は感極まって教室を出て行く先生を追いかけ、「オ・オ・オレ!・・・カ・カ・カ・カンドーシマシタ~!」と田舎弁丸出しで吃りながら精一杯の感謝を述べた。(俺は吃りだった)右の名刺は、その時に先生から貰った貴重な宝ものでいまだ名刺ホルダーにとってある。
明本先生からはその後1年間(月何回かの)音楽の授業を受け(途中で安西愛子が参議院議員になり、代わりに長瀬世紀子が助手になった)、ベートーヴェンの第九(合唱)を原語(ドイツ語)で習ったり(先生は新交響楽団(N響の前身)で「第九」のテナー独唱者だった)冒頭の歌を習ったりした。その後の授業も衝撃的で、毎回涙をぼろぼろ流しながら語る明本京静の人生論が(今思えば)俺のそれからの行く末を決定づけたと言ってもよい。
今、明本京静の経歴を調べると、有名な「武田節」や「新潟県民歌」の他に、「父よあなたは強かった」、「あゝ紅の血は燃ゆる」、「皇国の母」、「学徒動員の歌」などの戦時歌謡を作詞、作曲している。その人物が戦後になって、俺たちに戦争を忌避する冒頭の歌を作り教えていたことになる。
今日8月6日は「ヒロシマ原爆の日」である。この日に及んで、62年前に出会い、俺の人生航路を決めるほどの影響を与えた明本京静という人物を突然に思い出した次第である。俺は太宰治を真似てこう叫びたい。
明本京静よ!「汝を愛し」「汝を憎む」と・・・。
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2025年8月29日(金) |
時給1,162円とラーメンの味 |
4月14日から始めた藤沢市シルバー人材センターの仕事は、今日をもって終える。時給1,162円で午前8時から昼12時までの1日4時間の野外での除草作業で、猛暑が続いた今月は特に厳しかった。わずか5ヶ月間の仕事だったが、この間いろいろな面で興味深い経験をした。
その中で特に面白く感じたのは、仕事が終わって家に帰り、たまにカミさんを誘って近くのラーメン屋に昼食を摂りに行くことがあった。ここのラーメンは一杯450円。一杯の量はそう多くないので俺は「替え玉」を追加注文すると150円プラスとなる。これで600円である。カミさんと合わせて2人で1,050円の支払いで、およそ1時間分の俺の稼ぎである。
そう思うとラーメンの味が違うのである。つまり「あぶく銭」で喰ったラーメンではないと思うだけで、美味いのである。これはシルバー人材仕事で得た大きな収穫だった。
折しも今日、80歳の誕生日である。妻とここまで丈夫に俺を産んでくれた両親に心からの感謝である。 |
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2025年8月31日(日)猛暑 |
2025年8月晦日に想う |
今日で2025年の8月が終わる。本ページ冒頭の「8月2日日記」に、夏の季節への思い入れとかけがえのない友人を病室に見舞ったことなどを書いたが、まさに忘れ得ぬ8月となった。
「ハチロク・ハチキュウ」の2つの原爆忌が終わったあとに、見舞った友人の一人が亡くなった。葬儀は15日の送り盆の日で、古くからの友人たちと一緒に彼女との最後の別れを惜しんだ。
そして一昨日の29日に80歳の誕生日を迎えた。昭和20年の終戦の月に生を受け、まさに戦後の歴史とともに生きてきた。歴史は繰り返すというが、現今の情勢を鑑みると戦前に戻らないかと不安は募るばかりである。
また同日に藤沢市のシルバー人材センターの仕事を終えた。4月に21人のグループでスタートした墓苑の除草作業で、午前中4時間とはいえ7,8月の炎天下での仕事は正直厳しかった。最後は19人となったが、猛暑を耐え抜いた仲間同士で、またの再会を約束し合って別れた。
そして明日からは、再びKさんとの森林調査の仕事が入った。先ずは2週間の東北出張だが、体調を充分整えてKさんの足手まといにならぬよう完遂を期したい。
人想ふとき風鈴の遠く鳴り 合志伊和雄 |
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