今日は二十四節気の一つ大暑。今朝のテレビもその名どうりの全国的な暑さを報じていた。数年来のこの時期の暑さはまさに異常である。そんな中、一昨日の20日(日)、参議院議員選挙が実施された。結果はご存知の通りである。
選挙は終盤になってにわかに外国人問題に焦点が移ったが、もっぱら物価高対策が中心で、給付金か消費税減税かの論戦でかまびすしかった。昨日、そして今日と新聞を広げては選挙結果の分析やら解説を読みあさり、テレビの選挙報道で専門家やコメンテーターの話しなどを視聴しつつ、この国の行き先に心底憂いるばかりだった。
物価高であれコメ問題であれ当面の課題への付け焼き刃の対策とポスト・トゥルース(Post-truth)の大言壮語で国民の歓心を買うことへの注力ばかりが目について、がっかりである。これからの日本の進むべき道筋をどうつけていくのかの大綱を堂々と語り、国民の審判を仰ぐのが本来の政治選挙ではないのか。
連日の酷暑を憂い思うまでもなく、地球温暖化対策と環境問題は喫緊の課題である。全国各地から報じられる立候補者の街頭演説で、誰がこの問題を正面きって語っていただろうか?
日本列島の自然の特性は、四季がはっきりしていることと、生物多様性が極めて豊かなことである。そして人も自然の一要素であるという「人と自然との共生」という古来からの観念が日本人の誇るべき情緒と感性を育んできた。それが今はどうだ! 夏がやたら長く、初夏や晩夏といった穏やかな季節の移行期も不明瞭となり、ドカンと秋になったかと思う間もなく、いきなり冬が襲来するという荒々しさで、かつての日本の四季は望むべくもない。人を万物の霊長ととらえる欧米風の傲慢と自然の収奪によって、地球は「人新世」による6度目の大量絶滅の危機にある。
生物学上の事実から、ヒトもまた三十数億年前に地球上にすがたを現わした生命体の長い進化の結果として、現在生きている生き物の一種である。そして億を超えるそれらの生物種が相互に直接的、間接的な関係性をもち合って、全体としてひとつの生命を生きている。ヒトだけがこの地球上で単独に生きることはできず、ヒトもまた他の多様な種と助け合いながら自分の生を維持しているのである。即ち地球環境の危機は人類の危機であり俺たち自身の問題だという事実を知って欲しいのである。
2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故で我々は多くの反省と教訓を学んだはずである。その事が本当に政治に生かされているか。いまだ先の見えない廃炉事業のなかで、議論の積み重ねや政策の論争がもっともっと必要なのではないか。
7月16日「日記」で書いた<核戦争とアインシュタインの言葉>で述べたように、ロシアのプーチンの核による脅しのみならずアメリカのトランプも、イランへの核施設への攻撃の正当性をヒロシマとナガサキへの原爆投下に例える始末で、核戦争の危機は目の前にある。唯一の被爆国として核廃絶の具体的な道筋をこの選挙で正面きって訴えた候補がいたか?
今の政治家に堂々と自らの理念と政治哲学の発信を望むのは、どだい無理な話なのだろうか。誠に残念ながら、日本もトランプの出現で幻滅したアメリカ同様に三流国に成り下がってしまったか。憂いは募るばかりである。
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