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2025年7月6日(日)晴れ(今日も真夏日)
「優」の字について
 今まで自分の健康については絶対的な自信があり、体力も同じ年齢層では勝っていると高をくくっていた。ところが数ヶ月前からいささか不安な兆候が出てきてかかりつけ医に相談した。かかりつけ医からは精密検査を受けろ受けろとしつこく言われていたが今までサボっていた。そしてようやく7月2日に藤沢市民病院に検査入院した。
 入院の決断に至ったのは、長年全国の森林調査で俺の親分としてペアを組んでいたKさんから、「9月から1ヶ月間の仕事があるがどうですか?」と久々のオファーがあり、「喜んで受けます」と回答したからである。受けるからには万全の健康状態はもちろん、厳しい山歩きに耐える体力が必要である。ゆめゆめKさんに迷惑をかけてはいけないので、しっかり自分の身体を診てもらう必要があった。
 市民病院のO担当医からは「9月からのお仕事は大丈夫ですよ。しかし処方したお薬は毎日欠かさずに飲んでくださいね」と、まあお墨付きを貰って大安心した。2泊3日の入院生活を終えて帰宅し、何か異次元の世界から戻ったような不思議な感覚で留守中に溜まった新聞と今日の朝刊を隅から隅まで熟読した。

 そして今日7月6日(日)朝日新聞の「天声人語」を読んで胸がし~んとした。まさにその通りだと深く首是した次第である。以下その抜粋である。

 天声人語子は、図書館でみた七夕の飾りで<おばーちゃんが100さいまで いきられますようい>と書いてある短冊に、『▼おおきく、太く、元気のいい字だ。てらいのない、優しい気持ちが、ぐっと直球で伝わってくる▼嘲笑や憎悪が闊歩する現実があるからだろう。不覚にも涙腺がゆるんでしまった』。そしてこのように続く。『▼きのうの朝日川柳も心に沁みた。<短冊に「せかいへいわ」と病児棟>。自らは病にあっても、世の安寧を祈る子がいる。何と重い一言か。
 ▼太宰治は「優」の字について記している。優(すぐ)れるとも、優(やさ)しいとも読むが、人を憂えると書いて優である。優しさとは「ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事」にほかならない。それはまた「人間として一番優れている事じゃないかしら」。』


 にいがたのともをおもうひふうらんさく   柴田 房枝 
                  (7月6日 朝日俳壇より)

(我が家の猫額の庭に咲く風欄)
2025年7月7日(月)七夕  曇り時々雨
酒涙雨(さいるいう)と昭和歌謡
 今朝の天気予報で「酒涙雨」という言葉を初めて知った。藤山一郎が歌ったかの名ヒット曲「酒は涙か溜息か」は良く知っていたが、酒と涙と雨と書いて「さいるいう」とは浅学菲才にして知らなかった。(7月7日の七夕に降る雨の意。織姫と彦星が年に一度の逢瀬を遂げた後に別れを惜しんで流す涙に例えられる)

 それでスマホで「酒、涙」と検索したら、いきなりあの懐かしい昭和歌謡が流れてきた。折しも部屋の外はにわか雨。「酒涙雨」である。雨を眺めながらしばし藤山レジェンドの歌声に聞き惚れる。

1931(昭和6)「酒は涙か溜息か」作詞:高橋掬太郎/作曲:古賀政男 歌唱:藤山一郎

 ♪  酒は涙か ためいきか
    こゝろのうさの 捨てどころ

    とおいえにしの かの人に
    夜毎のゆめの 切なさよ

    酒は涙か ためいきか
    かなしい恋の 捨てどころ 

    忘れたはずの かの人に 
    のこる心を なんとしょう  ♪

 歌が終わると同時に雨が止んだ。かーっと強烈な日差しが庭に差し込んで、うっとり浸っていた昭和が吹っ飛んでしまった。「お~い酒涙雨!あ~あ!つまんない!」
 
2025年7月13日(日)晴れ
選評の妙
 念願の高知旅行から昨夕帰って来た。何故念願かというと、俺は森林調査の仕事で何度か高知県は訪れているが、カミさんは四国旅行が初めてなことと(これが夫婦同伴での遠出旅行の最後かもと・・・)、「日本の植物分類学の父」と云われた牧野富太郎博士の植物園(高知県立牧野植物園)を是非とも訪ねてみたかったからである。

 旅行から帰って、今朝の新聞と溜まった新聞を読んでいて朝日歌壇の一句に目がとまった。

 今までで一番歳をとっている今日の私をねぎらう梅酒  久保塚文子

 選者の永田和宏氏の評、「久保塚さん、同時に、今後の人生で一番若い私でもある。」とあった。言い得て妙の選評に脱帽!
2025年7月16日(水)雨
核戦争とアインシュタインの言葉
 今日の新聞で、80年前のきょう、1945年7月16日、米国ニューメキシコ州の砂漠でトリニティと呼ばれた初めての核実験が実施されたと知った。人類が原子爆弾という恐ろしい兵器を手にした瞬間である。それから80年が過ぎても、世界はロシアや米国などの専制君主らによって核の恐怖のなかにある。世界9カ国が持つ核弾頭は1万2340発だという。
 核戦争には敗者しかいない。全てが破壊された後を想像し、アインシュタインはこう語った。
『第三次世界大戦がどのようにおこなわれるかは私にはわからないが、第四次世界大戦で何が使われるかはお教えできる。石だ!』
(朝日新聞「天声人語」より抜粋・加筆)
2025年7月19日(土)晴れ、梅雨明け1日目
宇野重吉の言葉(山田洋次監督へ)
 毎週土曜日の朝日新聞「be」に、映画監督の山田洋次氏がシリーズでインタビュー記事を載せている。(山田洋次 夢をつくる)その43回目となる今日の記事に心を打たれた。以下その内容である。

 前段は山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズの第17作「寅次郎夕焼け小焼け」に巨匠宇野重吉に出演していただいた話し。そしてその後半である。
 『(宇野重吉が創設した)劇団民藝がまだ青山にあった頃、その近くの喫茶店で(山田洋次監督と宇野重吉が)お茶を飲むことになった。日本映画の売り上げが落ち、娯楽の主役の座をテレビに奪われた頃です。映画人は自信を失い、僕は宇野さんにそんな意気地のない愚痴をこぼしたのだと思います。黙って僕の話を聞いていた宇野さんはこんな話を始めました。
 「真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まる1941年の10月、僕は死のうと本気で思うほど、絶望していたんですよ」 日米開戦前夜、日本は戦時体制に。すでに治安維持法で多くの演劇人は逮捕され、新劇は壊滅状態、演劇はほとんど道が閉ざされた。宇野さんは「もうすぐ自分も兵隊にとられ、どこかで戦死するだろう。兵隊になるぐらいなら自殺したほうがましだ」と本気で思ったそうです。
 死ぬために下宿の荷物を整理し、渋谷の町に出て繁華街を見納めのつもりで歩いていたら映画館で米国映画をやっていた。「スミス都へ行く」。アメリカの民主主義の精神をうたい上げたフランク・キャプラ監督の名作です。宇野さんは「どうせ死ぬならその前にこれでも見るか」と思った。
 ところが映画を見終わると変な勇気がわいてきた。「今、死ぬことはない。なんとかなるさ、と思えてきて。死ぬのをやめましたよ」
 そして僕をじっと見て、宇野さんはこう言ったのです。「映画という芸術は、それがアメリカ人の手で作られたものであっても、遠く海を隔てた地球の裏側に住む一人のアジアの若者を絶望から救うどころか命をつなぎとめるだけの力を持っているんですよ。だから山田さん、あなたは映画を作ることに絶望してはいけません。一生懸命作ってくださいよ」
 僕は宇野さんのその言葉を一生忘れまいと思った。』(以下略)


 昨日、関東、甲信地方と北陸で梅雨が明けた。今年は訳があって春以来ずっと家で過ごしていたが、暇にまかせて何年ぶりかで梅干を漬けた。そして梅雨が明けた昨日、炎天下でカミさんに手伝わせて梅干を干した。
2025年7月22日(火)大暑。30度超の真夏日
この国の行方と人類の危機参院選を振り返って

 今日は二十四節気の一つ大暑。今朝のテレビもその名どうりの全国的な暑さを報じていた。数年来のこの時期の暑さはまさに異常である。そんな中、一昨日の20日(日)、参議院議員選挙が実施された。結果はご存知の通りである。
 選挙は終盤になってにわかに外国人問題に焦点が移ったが、もっぱら物価高対策が中心で、給付金か消費税減税かの論戦でかまびすしかった。昨日、そして今日と新聞を広げては選挙結果の分析やら解説を読みあさり、テレビの選挙報道で専門家やコメンテーターの話しなどを視聴しつつ、この国の行き先に心底憂いるばかりだった。

 物価高であれコメ問題であれ当面の課題への付け焼き刃の対策とポスト・トゥルース(Post-truth)の大言壮語で国民の歓心を買うことへの注力ばかりが目について、がっかりである。これからの日本の進むべき道筋をどうつけていくのかの大綱を堂々と語り、国民の審判を仰ぐのが本来の政治選挙ではないのか。
 連日の酷暑を憂い思うまでもなく、地球温暖化対策と環境問題は喫緊の課題である。全国各地から報じられる立候補者の街頭演説で、誰がこの問題を正面きって語っていただろうか?
 日本列島の自然の特性は、四季がはっきりしていることと、生物多様性が極めて豊かなことである。そして人も自然の一要素であるという「人と自然との共生」という古来からの観念が日本人の誇るべき情緒と感性を育んできた。それが今はどうだ! 夏がやたら長く、初夏や晩夏といった穏やかな季節の移行期も不明瞭となり、ドカンと秋になったかと思う間もなく、いきなり冬が襲来するという荒々しさで、かつての日本の四季は望むべくもない。人を万物の霊長ととらえる欧米風の傲慢と自然の収奪によって、地球は「人新世」による6度目の大量絶滅の危機にある。
 生物学上の事実から、ヒトもまた三十数億年前に地球上にすがたを現わした生命体の長い進化の結果として、現在生きている生き物の一種である。そして億を超えるそれらの生物種が相互に直接的、間接的な関係性をもち合って、全体としてひとつの生命を生きている。ヒトだけがこの地球上で単独に生きることはできず、ヒトもまた他の多様な種と助け合いながら自分の生を維持しているのである。即ち地球環境の危機は人類の危機であり俺たち自身の問題だという事実を知って欲しいのである。

 2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故で我々は多くの反省と教訓を学んだはずである。その事が本当に政治に生かされているか。いまだ先の見えない廃炉事業のなかで、議論の積み重ねや政策の論争がもっともっと必要なのではないか。

 7月16日「日記」で書いた<核戦争とアインシュタインの言葉>で述べたように、ロシアのプーチンの核による脅しのみならずアメリカのトランプも、イランへの核施設への攻撃の正当性をヒロシマとナガサキへの原爆投下に例える始末で、核戦争の危機は目の前にある。唯一の被爆国として核廃絶の具体的な道筋をこの選挙で正面きって訴えた候補がいたか?

 今の政治家に堂々と自らの理念と政治哲学の発信を望むのは、どだい無理な話なのだろうか。誠に残念ながら、日本もトランプの出現で幻滅したアメリカ同様に三流国に成り下がってしまったか。憂いは募るばかりである。