2025年4月4日(金)曇り |
おやじ山に入る |
昨晩、カミさんと布団(車中泊用)を車に乗っけて藤沢の自宅を出発した。関越自動車道の谷川岳パーキングで仮眠をとり、今朝8時過ぎに越後川口ICで高速道路を下りた。(カミさんは谷川岳から高速下りるまでぐっすり寝ていたけど)
9時に店が開く「川口道の駅Agriの里」で、6日(日曜日)に遠来の客人たちをもてなすための野菜やら今日の二人分の昼食と夜用の弁当を買う。
そして東山ファミリーランドの作業道の入口でブルトーザーで雪かきしたスペースに車を駐め、カミさんと共に山に登る。今冬は大雪だったらしいが、ここ数日でだいぶ雪解けが進み、昼前にはおやじ山に入ることができた。
風の小屋に着いて、早速小屋の掃除である。昨年12月に山を下りてから4ヶ月ぶりの小屋泊りで、例年のように留守中にヒメネズミが跋扈した跡は見当たらなかったものの、カミさんにとっては床の拭き掃除くらいはしっかりしないと落ち着いて小屋暮らしもできないらしい。
そして俺の方は、テラスや薪小屋、おやじ小屋に掛けていた雪囲い用のブルーシートも外して、何やらウキウキした気分でいると、若杉の森でフクロウが「ホホウ~」と啼いた。今年もおやじ山のフクロウが子育てしていると知って嬉しかった。夜はやはり冷えた。ストーブを焚き、囲炉裏に炭を熾して、カミさんの寝袋には湯たんぽを入れてやった。 |
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2025年4月5日(土)晴れ |
おやじ山ツアー前夜祭 |
絶好の春日となった。2008年の春からずっと続けている(2020年にはコロナ禍でやむなく中止となったが)「おやじ山早春の花ツアー(カタクリ観賞会)」に今回は17名の森林インストラクター神奈川会の仲間たちがエントリーしてくれた。連中は今朝神奈川を出発して、夕方には定宿となった、山古志種苧原の「あまやち会館」に入るはずである。そして明日6日には皆さんがおやじ山に来てくれる。
そのための準備で、当日皆さんにふるまう「おやじ山風キノコ汁」とぜんまい煮を早朝から仕込み始める。
昼近く、早速長岡の山仲間たちが差入れ持参でおやじ山に来てくれた。健介さん、昇一さん、和子さんと紀子さんたちである。久々の顔合わせで、穏やかな日だまりの中で一緒に昼食を食べながらの嬉しく賑やかな時間を過ごした。
夕方、俺とカミさんも山を下りて「あまやち会館」に向かう。そして宿での前夜祭は、美味しいご馳走と、酒あり歌ありの大盛り上がりの宴会となった。
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2025年4月6日(日)曇り |
18年目の早春のおやじ山花ツアー |
18年目を迎えた「おやじ山早春の花ツアー」は朝6時半の雪山トレッキングからスタートした。「もう時間ですよ~!」と眞澄さんにたたき起こされて慌てて着替え宿の外に出ると、既に皆さんが待ち構えていた。宿の周りの積雪は、まだ優に2メートルはある。ツボ足で歩ける雪原を猿倉岳の麓ぐらいまで早朝散歩する企画である。
幸いまだ雪が覆った棚田のはるか向こうに真っ白な越後三山の頂が朝日を浴びて銀色に輝いている。素晴らしいこれらの雪景色を皆さんに見せられて嬉しかった。
  
宿に帰って朝食を摂り、いざおやじ山へ。12時過ぎにおやじ山に着くと、地元のおやじ山倶楽部の面々が昨日仕込んだキノコ汁を温めて一行を出迎えてくれた。忠司さん、健介さん、薫さん、和子さんらである。 今年はカタクリ広場にはまだ雪が残って、残念ながらカタクリの開花をお見せすることはできなかった。しかし雪が解けた場所からは夥しい数の幼芽が芽出しして、これらが一斉に咲き誇った時の皆さんの想像力をかき立てた様子に、ホッとした。
  
午後1時半過ぎ、カミさんと共に皆さんを見晴らし広場まで見送り、互いに手を振りながら別れた。
 
(写真はいずれも均さん、靖彦さん、薫さん、健介さんらが撮ってくれた写真をそのまま使わせていただきました。どうかご了承下さい)
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2025年4月7日(月)昨晩の雨~曇り |
下山の日 |
あっという間の山暮らしだったが、やはり山を下りるとなると淋しさは拭い切れない。遠来の森林インストラクター仲間と過ごした濃密な時間や、地元長岡の山仲間たちのいつもと変わらない青天井の親切に触れた直後だけに、淋しさも一層募るのである。
午前中にカミさんと小屋の片付けをし、午後1時に下山する。そしてKさん宅に寄り、借りたワカンとスノーシュー、スマホの充電器を返し、それからSさんご夫婦に挨拶して長岡を離れた。
途中日帰り温泉に立寄ったりしたので帰宅は夜中の2時になった。それから急いで酒を呑みながら(これがいつものクセで良くないのだが)パソコンに向かい、今回のおやじ山ツアー参加者や世話になった長岡の仲間たちにお礼のメールを送る。外が明るくなってぶっ倒れるようにして床に着いた。 |
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2025年4月19日(土)晴れ |
高校時代の同窓会 |
長く不参加だった高校時代の同窓会(東京支部会)に全く久しぶりに出た。
毎年我が母校の同窓会(東京支部総会)は、パプアニューギニアブーゲンビル島で戦死した大先輩の山本五十六元帥の命日(4月18日)前後に実施される慣例があり、総会は新宿京王プラザホテルで、俺が参加したのは「三九良会」と名付けた二次会(プラザホテル近くのザ・サクラダイニング東京で開催)の学年同窓会だけである。
今までは、毎年3月からおやじ山に入って長く山暮らしを続けていたので、参加が叶わなかった。しかし今年からは一人で山に居続けることができず、また学年同窓会会長の親友I君からは、今回は「傘寿クリアの記念大会」との案内状も届いて、「これはI君の顔も立てて欠席できないな」と参加した次第である。 
出席者は24名だった。東京支部の総会なので大方は首都圏在住者だったが、地元長岡からもT君、S君などが駆けつけてくれた。会長のI君が挨拶の冒頭で故人となった同級生たちへの黙祷の音頭をとったが、我々皆がそういう年齢になったのかと感慨あらたなるものがあった。(写真はI君の三九良会会長挨拶と久々に訪れてびっくりの新宿の街風景)
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2025年4月24日(木)曇り |
おやじ山の春2025(長岡入りの日) |
午前中に今年から始めた藤沢市シルバー人材センターの仕事を済ませて、カミさんと布団を車に積んで長岡へ向かう。今回のおやじ山暮らしは春の大型連休明けまでの2週間ほどの予定で、帰ったらまた同じ仕事に就くつもりである。会社を定年退職してから第二の人生を郷里長岡の山で過ごしてきたが、これからは人生の第三ステージの心つもりであれこれと考えを巡らせている。
それにしても関越道を車で飛ばしながら、白く雪を頂いた上越国境の山を目にすると、すでにおやじ山近しと心が弾んだ。午後6時過ぎに今日明日2日間だけ予約していた市内のホテルに入り、明日の猿倉岳下見に備える。 |
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2025年4月25日(金) |
おやじ山の春2025(猿倉岳下見) |
猿倉岳の頂上付近に広がる広大なブナ林を保全・整備している地元蓬平町の有志「猿倉緑の森の会」との交流は、平成24年の春からである。
以前から付き合いのあった長岡市農林整備課のS氏に連れられて猿倉緑の森の会の代表達男さんと山の暮らし再生機構(現在は解散)の太田地区担当A氏の3名がひょっこりおやじ山に訪ねて来たのが最初である。「平成20年から町内の何人かで猿倉岳のブナ林を整備しているが、おやじ山の施業を参考にしたいので教えて欲しい」という。こちらとてズブの素人で山仕事を遊びでやっているようなもので恐縮したが、とにかく猿倉岳のブナ林を見せて欲しいと逆にお願いした。
後日案内された猿倉岳のブナ林を見てびっくりした。長岡市のこんな近くに素晴らしいブナの自然林があったのかと、己の認識不足を大いに恥じた次第である。
その後何度か足を運んで浅学ながら猿倉岳のブナ林の施業方法について自分の考え方をレポートにまとめて猿倉緑の森の会と長岡市に提出した。これを契機に達男さんたちとの付き合いが始まり、猿倉緑の森の会が主催する春秋年2回の市民と太田小中学校の児童生徒が参加する「猿倉岳トレッキングイベント」のリーダーの役目を今まで務めてきた。
そして明日4月26日が恒例となった猿倉岳春のトレッキングイベントで、今日はその下見である。
朝9時、ホテルを出て市内のSさん宅にカミさんを預け蓬平の達男さん家に向かう。蓬平集落センターの前庭には今回一緒にリーダーを務めるNさんが既に待機している。早速達男さんを含め3人で猿倉岳に向かった。今年は例年になく大雪でルート上の積雪は1mから吹き溜まりの多い所で3mもあった。
危険箇所や頂上付近のブナ林内のルートに目印のピンクテープを枝や幹に巻き付けていく。絶好の下見日和で、ブナの新緑と残雪の白、真っ青な空のコントラストや森のコンサート会場からの純白の守門岳が神々しいほどに眩しく見えた。明日の本番でもこの気色を是非見せたいと守門岳のビューポイントにもピンクテープを付ける。いきなりの雪山登山で疲れたが、明日への期待が膨らんだ一日だった。
 
この日はカミさんの送迎に山仲間のYさんにもお世話になった。いつもいつも有り難い仲間たちである。
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2025年4月26日(土)快晴 |
おやじ山の春2025(リーダー最後の猿倉岳トレッキング) |
午前6時50分ホテルチェックアウト。7時30分蓬平集落センターに着き、奥の厨房で今日のイベント参加者(市民と太田小中学校の子どもたち、先生、保護者合わせて約90人)にふるまう昼食準備で忙しい達男さんの奥様ほか村のおかみさんたちに、カミさんも手伝わせて欲しいと預けて開会式会場へ向かう。
8時40分、主宰者代表の達男さんの挨拶で開会式が始まった。続いて山古志出身のS市会議員の挨拶。そして今回が最後のリーダーを務める自分が挨拶に立って、昨日下見した今回コースの特徴や注意事項などを特に雪山登山だという点を強調して説明する。そして開会式の最後は、恒例の蓬平温泉旅館女将の会の代表挨拶。今回は福引屋の女将さんが挨拶した。
そしていざ出発という段になって、達男さんが大声で、「皆なさ~ん、これから太田小中学校の子どもたちから関さんに感謝状の贈呈がありま~す!」と皆を引き留める。突然の事で俺もビックリしてしまった。
児童生徒の代表2人が感謝状を読み上げる。「長年にわたり トレッキングやブナ林での学習で 私たちにたくさんのことをおしえていただき ありがとうございました いつまでもお元気で・・・」 次第に胸にこみ上げてきて思わず涙がこぼれた。太田小中学校の子どもたちと卒業生の皆さん!ありがとう!ありがとう!
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快晴の絶好のイベント日和となった。残雪厚いブナ林内を歩き、猿倉岳頂上からの眺めを楽しみ、そして全員無事に昼食会場に戻ってきた。これで俺の役目は終わった。
後片付けや参加者の送り出しで忙しい達男さん他の蓬平の人たちに挨拶して、カミさんと開会式会場までの道のりをゆっくりと下山した。途中、道端の花々にことのほか目が行き、そして何度も何度も猿倉岳を振り返りながらのカミさんとの二人下山だった。
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2025年4月27日(日)晴れ~曇り |
おやじ山の春2025(初ゼンマイ採り) |
昨日から市営キャンプ場にテントを張ってここからのおやじ山通いとなる。
そして今日は早速カミさんとおやじ山に行って、向かいの山菜山でゼンマイ採りをした。既に地元の人が一番採りをした形跡があったがまだ結構残っていた。最初はカミさんと二人で斜面に這いつくばって採っていたが、「お~い!」と健介さんの呼び声が下から聞こえて一旦山菜山から下りて風の小屋に戻った。健介さんと久々に会って話しをし、今度はカミさんを残して俺一人で再び山菜山の斜面を攀じてゼンマイ採りを再会した。おそらくこれが山菜山での最初で最後のゼンマイ採りである。
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(ゼンマイの処理方法)
さて、ゼンマイの処理方法を次に書いておく。
ゼンマイは採ったあとの処理が厄介である。だからゼンマイ採りのプロは、天気具合を見て、向こう3日ほど晴れの日が続かないと山に入らない。採っても後処理ができないとせっかくの山の恵みを捨てなければならないからである。茹でて揉んで天日干しして仕上げるのに3日はかかるからである。
俺のやり方は、山菜リュックのゼンマイをザ~とゴザに明け、まずゼンマイの先っぽの綿を取りながら根元の方を2㎝ほどポキンと折って捨てる。地元ではこの方法を「山に返す」と呼んでいる。つまり、採ってから時間が経つごとに根元の方から硬くなるからである。この処理が済んだら直ぐにぐらぐら煮たった大鍋にぶち込んで茹でる。茹でる時間は・・・ゼンマイの太さや鍋の容量によって違うのでいちがいに○分とは言えない。但し俺がおやじから教わった目安は、『ゼンマイを鍋にぶち込んでじっと目を凝らしていると、鍋の底から「プチ、プチッ」と小さな気泡が出てくる。沸騰する直前の兆候である。次第に泡の出が多くなっていざ沸騰する直前に、トングか菜箸でぐるりとゼンマイを返す。そして「1,2,3・・・」と10まで数えてサッと大笊に取り上げる』。 そして予め敷いてあるゴザに向かって走り、大笊のゼンマイをゴザにぶちまける。あとは天日に干しながら揉みに揉む。軍手を嵌めて最初はそっとそっと優しく労るように・・・そしてゼンマイの茎がしわしわになってきたら次第に強く揉む。いよいよ緑色から茶色っぽくなってきたら今度は気合いを込めてゴシゴシという感じで揉む。1日揉み、2日揉み、3日目、どうだ!ちりちりの真っ黒けになったら出来上がり!成功である。
揉み切れずに根元が藁のように残ったら、この部分はハサミで切って捨てる。以上がゼンマイ採りのプロの秘伝である。
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2025年4月28日(月)曇り~雨 |
おやじ山の春2025(いろりじねんとリーさんご夫婦) |
魚沼の大湯温泉の入口近くにある食事処「いろりじねん」のご夫婦とのお付合いは、かれこれ10年かそれ以上かになる。ふらりと入った山野草料理店でご夫婦と会い、意気投合したのが始まりである。何よりもこのお店に居るとすっかり寛いだ気分になる。まさにご主人と奥様のお人柄の賜物である。
  
その奥様から先日電話があって、「シンガポールのリーさんご夫婦がこちらに帰って来られて、関さんへのお土産を預かっています」とのことである。リーさんご夫婦は日本の魚沼地方が気に入って「いろりじねん」近くに家を1軒買ってシンガポールと日本を行き来して楽しんでいる外国人である。そのリーさんご夫婦もまた「いろりじねん」に魅せられてこの店を贔屓にしているのである。
「いろりじねん」のご夫婦とリーさんご夫婦が初めておやじ山に来たのは2023年の11月8日だった。おやじ山で栽培している原木シイタケやナメコを採ったり、おやじ山風キノコ汁を食べたりして、喜んでお帰りになった。リーさんご夫婦との付き合いはその時からである。来日のたびに友だちを連れておやじ山に来たり、こちらから出向いて「いろりじねん」で食事を共にした。
それで今日は、リーさんからのお土産を受け取りに「いろりじねん」で落ち合う約束である。朝キャンプ場からおやじ山に出勤しゼンマイを揉み、急ぎ下山して関越道で魚沼に向かい、インターを下りてリーさんご夫婦へのちょっとした「お返し」を買い、ご夫婦に会う前に身綺麗にしなければと日帰り温泉で垢を落とし、約束の午後1時に「いろりじねん」に着いた。
全くこのご夫婦は世界中の人たちと友だちである。リーさんご夫婦と会うたびにインドネシア人、南アフリカの友だち、そして今回はイギリスの建築家夫婦が一緒だった。
2時間ほど6人で賑やかに歓談して、リーさんご夫婦からのお土産と「いろりじねん」からもお土産を手渡され、リーさん夫婦、イギリス人夫婦、「いろりじねん」のご主人と奥様らに見送られてカミさん共々お店を出た。何とも楽しい国際交流の時間だった。 |
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2025年4月30日(水)曇り~晴れ |
おやじ山の春2025(懐かしの黄土へ) |
山菜シーズンに入ると、やはり遙か昔におやじに連れられて行った黄土と水穴は欠かせないポイントである。それで今日はカミさんと一緒に黄土に入ることにした。黄土での山菜採りは、今までも何度もカミさんを連れて入ったが、それだけに思い出深い場所である。多分、カミさん連れは今回が最後になるだろうと思う。
カミさんの体力を考えて、おやじ山から一旦「瞑想の池」まで下り、そこからはコスモス広場、そして三ノ峠山への登山道「赤道コース」を歩き、頂上付近のある場所から藪入りして、急斜面をトラバースして黄土に辿り着く。
黄土は雪解けが遅かったせいか、まだ一面のカタクリの花園だった。その花畑からは長岡の街並みが大きく広がって見えて、周りの新緑の木々からはウグイスの鳴き声が山にこだましていた。半世紀以上前のおやじと一緒に見た風景そのままであり、そのままの鳥の鳴き声だった。
 
カミさんにゼンマイとコゴミを採らせながら黄土沢の源流部の谷を越え、コゴミ畑の斜面をよじ登る。そしてトップの広場に着いてここで休憩である。昔、おやじと時にはお袋も一緒に、黄土の豊穣な恵みを採り終えて、ここで越後平野と長岡の街並みを眺めながらおにぎりを頬ばった。そして今も、当時と同じようにカミさんとここに坐って、同じようにおにぎりを食べていることが、幸せというか、運命というか?いや限りない懐かしさの奥にある深い深い何かの想いを感じるのである。
 
黄土からの帰りは、同じ赤道コースを下山して、途中からショートカットの急斜面を下りておやじ山に戻った。この下山もカミさんとの馴染みの難コースだが、今回が多分最後である。
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