2025年2月3日(月)曇り |
ふと思い出す「昭和」 |
昨日は久々の雨。「いい雨だったなぁ」と思っていたら、箱根辺りは雪で、車のスタックやらスリップ事故などで大変だったとニュースがかまびすしい。折しも昨日は節分。そして今日は早立春である。
昨晩は家族で節分の豆まきをした。家の中は大声で「福は~うち!」。そっと戸を開けて、外に向かって小さな声で「鬼は~そと!」と豆をまいた。
俺がまだガキの頃、おやじはこういう年中行事を必ず家族全員を入れてやった。今思えば、貧しくて普段はレジャーなどで家族に何もしてやれなかった代わりの行為だったと思う。
そして昨日の朝日歌壇にあった句である。
言うことを聞かねばサーカスに売りとばすそんな脅しが昭和にありき 藤井 恵子
笑いながらも余りに懐かしくて思わず泣き笑いになった。ガキの頃におふくろに何度も言われたからである。「母ちゃ~ん! 母ちゃ~ん!」と久々におふくろを思い出した日だった。
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2025年2月17日(月)曇り |
再び、石牟礼道子著「苦海浄土」 |
1月から少しずつ読み継いでいた「苦海浄土 わが水俣病」を読了した。途中何度か激しい怒りに打ち震えたり、涙を禁じ得なかったりしながら、この作品の持つ凄さに打ちのめされている。
「苦海浄土」が世に出た当初(1969年)、公害問題という時流の中で余りにも騒がれ過ぎて、かえってこの作品を手に取るのを躊躇っていた。 というか・・・読まなくても分かった気になっていた。
しか今、この作品にじっくりと向き合ってみて、この書が持つ歴史的な意味と意義の大きさに脱帽した次第である。
(今日「森のパンセ」で更に詳しく書きました) |
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2025年2月26日(水)晴れ |
大城立裕著「カクテル・パーティー」 |
(近況)
各地で記録的な大雪をもたらした第二波の寒波も過ぎ去ったようである。長岡の健介さんからのメールでは、市内の積雪はそれ程多くはなく、せいぜい1メートル強。多分おやじ山は2メートル位かな?と。しかしさらに山奥の山古志や守門地区は一気に積雪が増えて、春の恒例行事になった「おやじ山早春の花ツアー」で来山する神奈川の仲間たちが泊まる山古志種苧原の積雪は、4メートルを超えたとあった。
むかしおやじはよく「一里1尺と言うがども、○○ん家(ち)の辺(あたり)はどらろかねぇ」などと他人の家などのことを心配していたが、地図で測ってみると、おやじ山と種苧原は直線距離で6.5キロしか離れていない。この距離で2メートルの積雪差だとすると、今回の降りは昔の4倍のドカ雪ということになる。
今朝は6時過ぎに車を出す用事があって、団地で借りた駐車場(2階建て)に行くと、素晴らしい朝焼けの風景だった。民家の屋根の連なりの向こうに薄い鼠色の雲が2層か3層かになってたなびき、その空に向けて照射された朝の光源が、地平から天空に向かってオレンジ色から徐々にブルーへと見事なグラデーションで色彩し、そこにたなびく雲の輪郭が思わず手を合わせて拝みたくなる程の黄金色に染まっていた。
(大城立裕著「カクテル・パーティ-」を読んで)大城立裕著「カクテル・パーティー」
さて昨日、沖縄出身の作家として初めて芥川賞を受賞した大城立裕の「カクテル・パーティー」とその姉妹編というか補足版というか「戯曲 カクテル・パーティー」も合わせて読了した。
「カクテル・パーティー」は米軍統治下の沖縄を舞台にした1967年(沖縄返還はその後の1972年)の発表作品。「戯曲 カクテル・パーティー」は、1995年のアメリカ合衆国ワシントンD.Cのスミソニアン博物館の原爆展論争(展示は結局中止となった)が契機で発表に踏み切った作品と言われている。
1967年発表の「カクテル・パーティ-」で、当時の(米軍統治下)沖縄が置かれた不条理な立場に著者の大城立裕が渾身を込めて怒っていることがこの作品を読めば手に取るように分かる。そしてそれによって起こる沖縄の悲劇と苦悩が、現在もそっくりそのままで続いているという周知の事実と、その被害者側がまた加害者側でもあったという自他双方の自覚と抗議にこの著書の歴史性がある。(この著書の登場人物は、アメリカ人と沖縄人だけではなく、中国人、日本人も含む、いわゆる互い同士の「カクテルのパーティ-」なのである)
そして1995年発表の「戯曲 カクテル・パーティー」でこの問題を更に深掘りしたが、その年の9月に米兵の少女暴行事件がきっかけで、沖縄社会全体を巻き込む「基地反対」の住民運動が一気に高まる。大慌てした日米の政府が基地の島を丸め込もうとした切り札が、実は'96年の「普天間基地返還合意」と同年の沖縄本島東海岸への移設合意」(’99年に移設場所の辺野古が閣議決定される)である。
実は2019年5月に、俺はカミさんを伴って沖縄に飛んだ。この年の2月24日の「名護市辺野古の米軍基地埋立て県民投票」で、反対票が72%に達したにもかかわらず、政府は埋立てを強行した。俺は頭にきて、5月19日にカミさんも連れて沖縄でレンタカーを借りて米軍基地キャンプシュワブに乗り込んだ。(カミさんは殆ど車の中で居眠りしていた) もちろんというかやっぱり基地のゲート前で阻止されて、仕方なく大浦湾沿いの国道331号線を走って対岸から辺野古の埋立て現場を眺め、「バカヤロー!」と心で叫んで帰ってきた。
今この著書「カクテル・パーティー」を読んでみて、沖縄問題は実は私たち一人一人の問題なのだと改めて感じた次第である。
(詳細はまた「森のパンセ」でアップします)
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