最後のページは<10月3日
思い出をなぞる山旅-関東甲信越・福島編の10月日記は5ページ目からです。
              

2025年10月5日(日)晴れ
最後の仕事旅(東北から関東を巡る山旅)
 9月1日から久々に就いた森林調査の仕事が、一昨日の10月3日無事終了した。
 スタートは宮城県大崎市。それから東北を北上して岩手県に入り、北上山地、八幡平などを攻め、二戸から折り返して三陸海岸沿い南下し、東北での最後は石巻市の調査で14日間を終えた。

 中4日の休みを取った後、9月19日からは関東中心の調査だった。スタートは静岡県の伊豆半島。それからほぼ富士川沿いに北上して山梨県に入り、さらに雁坂峠を越えて埼玉県の秩父地方の山を攻め、そして東京都の県境から栃木県の日光へと移動して群馬県に入った。
 29日には群馬県から関越トンネルを越えて新潟県入りである。湯沢と柿崎の山に入った後(何と!)30日には長岡のまさに故郷の山を調査した。長く森林調査の仕事を続けてきたが、まさか最後の仕事で郷里の山に入れるとは感激の極みだった。それから阿賀野川沿いに会津地方に入り、中通りから浜通りの調査を経て、最終日の10月3日に福島県いわき市湯本駅で相棒のKさんと固い握手をして別れた。

 自分のこの歳で、一ヶ月にわたる厳しい山歩きの体力仕事を完遂できたのは、まさにKさんの細かい気配りとサポートがあったればこそのお陰である。Kさん、ありがとう!

 今回の山旅はまた、各地で過去の思い出と出会う旅でもあった。その遠い昔の様々な記憶を、今さらながら懐かしくなぞることができて、本当に嬉しく感無量だった。
2025年10月8日(水)
「思い出をなぞる山旅」の序
 今、本ホームページの「日記」に、9月1日から就いた森林調査で出張期間中の様々な出来事を(守秘義務で仕事以外の内容)綴り始めている。表題を「思い出をなぞる山旅」としたのは、もちろんその場所をあえて選んだわけではなく(できっこない)、特に意識していたわけでもなく、全く偶然に過去の出来事を彷彿と思い出す場面に遭遇した。2008年からこの仕事に就いたが、今回ほどそんな機会に巡り会えた事はなく、偶然とはいえ何やら因縁めいたものを感じた。主に以下のような出来事である。
<東北の山旅にて>
 ・9月8日、岩手県大槌町にてベルガーディア鯨山にある「風の電話」に立ち寄りおやじとお袋に電話する。
 ・9月11日、一関市博物館で入間川南渓筆の画を観る。南渓はカミさんの家系で入間川家六代の高祖父にあたる。一関藩士で江戸に出て谷文晁と春木南湖に絵を学んだ南画の画家だった。
 ・9月13日、東日本大震災の大津波で多くの犠牲者を出した石巻市大川小学校の震災遺跡を3たび見学する。

   
    岩手県大槌町にある「風の電話」

入間川南渓画(一関市博物館) 石巻市大川小学校震災遺跡

<関東と新潟・福島の山旅にて>
 ・9月22~24日、雲取山を望みながら山々に入る。18歳で郷里長岡から東京に出て、大恩人に連れられて最初に登った関東の山である。その恩人にはいかに詫びても詫びきれない辛い思いがある。
 ・9月28日、群馬県桐生に入る。Kさんに駐車場で待ってもらい桐生駅とその周辺を急ぎ見る。
 ・9月29日、栃木県鹿沼市からのロングドライブで郷里の新潟県に入る。越後湯沢、そして上越市と回り、柿崎の海岸に立つ。ガキの頃におやじに連れられてモズクを採った懐かしの海である。
 ・9月30日、長岡の西山に入る。この仕事に就いて17年目にして初めて調査した郷里の山である。感無量なり。

   調査地付近から雲取山を望む          桐生駅と桐生の街並み

  モズクを採った青海川の海           4WD車で長岡西山に向かう 雪国植物園

 詳しくは今後の「9月日記」で・・・
2025年10月12日(日)曇り
そろそろおやじ山へ
 今日の朝日歌壇と俳壇から。

 秋茄子と「ここだけ」の話置いてゆく向かいの老女の日焼けした肌  金倉かおる

 ガキの頃、近所の元気おばさんが家に来てはお袋と四方山話に花を咲かせて、「ここだけの話しね」と大声で言っていたのを思い出した。

 人生のたそがれ愛(お)しみ秋の旅  吉村 巌

 選者の長谷川櫂の評。「漠然たる恍惚と不安と。マーラーの五番のような。」とあった。何とお洒落な!

 森林調査から帰ってきてから、長岡のKさんから何度か写メールでのおやじ山の近況報告があった。おやじ山では既に天然マイタケと原木の栽培マイタケが発生し、地元の仲間たちで分け合って試食したという。新潟の次兄からも、昨日おやじ山に行ってマイタケを頂戴し、さらにキンロク(次兄の大好物である)やアミタケも麓の山で採ったと弾んだ声の電話があった。 きのこの発生時期は昨年と比べて1週間から10日ほど早い感じだが、猛暑と少雨が続いた昨年が異常だったのだ。

 春以来おやじ山を放っぽったままで、Kさんはじめ地元の仲間に任せっきりだった。長岡市と交わした協定地施業も大幅に遅れている。この連休が明けたらできるだけ早くおやじ山に向かいたいと思っている。
2025年10月29日(水)曇り
おやじ山から帰還
 今月15日におやじ山に入り、春以来手入れをしていなかった山の整備を大忙しでやった。自宅に戻ったのは今週26日の日曜である。

 今年は夏の猛暑と雨不足でキノコの発生が殆ど無いと地元の仲間たちは言っていたが、幸いホダ木の原木舞茸の発生は例年通りで、山の中で天麩羅と舞茸ご飯を作って舌鼓を打った。
 滞在中は雨の日が多かったが、帰還3日ほど前からは晴れて、朝の気温も6度まで下がった。そのせいか山を下りる間際にカスミザクラの倒木に植菌したナメコの幼菌がびっしりと付いて、早速地元のKさんに報告した。

 帰宅して3日目の今日になって、ようやく少し落ち着いた。中断していた「思い出をなぞる山旅」の続編にもとりかからねばと思っている。
思い出をなぞる山旅-関東甲信越・福島編
2025年10月1日(水)雨、曇り
思い出をなぞる山旅-関東甲信越・福島編(13日目:喜多方から南相馬へ)
 今日は西吾妻山と伊達市がポイントである。
 三島町の宿を出て、先ずは喜多方の町で名物喜多方ラーメンの朝食を摂った。何と喜多方では朝早くからラーメン店が開いていて、それが当たり前だという。Kさんが最初に向かったお勧め店ではもはや行列ができていてパスしたが、こんな朝っぱらからラーメン店に並ぶ喜多方っ子の執念には脱帽した。次の候補店「麺や玄」に入って腹を満たす。

 
落ち着いた喜多方の街並み 喜多方のラーメン店は朝早くから開店 「麺や玄」で朝食
 それからKさんの知合いの雄国町にあるブテックに立寄った。農家を改造したお洒落な工房で、遠くに喜多方の街並みが望まれる絶好の高台にあった。

    
お洒落な農家ブティック「ノグラリア」       お店の前からの風景
 そして五色沼を傍らに見ながら459号線を走り西吾妻山の最初のポイントに入った。根曲り竹と笹が密集する凄い場所で、さすがにバテてKさんには迷惑をかけてしまった。
 459号線から115号線に入って次のポイント伊達市を目指す。この道路は昔、兄と共に一切経山や吾妻小富士に登山したり家族やいとこ会で旅行したりした懐かしい馴染みの道だった。最高地点の土湯峠を越えて福島市に下りて「福島道の駅」に立寄ってから今日の最後の仕事に就いた。
 そして今宵の宿は、かつて東日本大震災でボランティア活動に入った南相馬市だった。

(仕事中だけど気になって)タマゴタケとカラカサタケ(いずれも食)を撮る
 
2025年10月2日(木)絶好の秋晴れ
思い出をなぞる山旅-関東甲信越・福島編(14日目:原発事故から14年後の被災地)
 2週間にわたる今回の出張も残り2日となった。Kさんとの会話で「やっぱり終わるとなると淋しいよねえ」と互いに本音が口に出てしまう。

 今日は絶好の秋晴れとなって、ラストスパートで5ヶ所を回った。南相馬市原区での調査を皮切りに、葛尾村、川内村、大熊町、富岡町などである。
 これらの町村はいずれも2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で避難指示が出て住民が追い出された地域である。そして2025年の今も県土の約2.2%が帰還困難区域に指定されている。かつて、南相馬市小高区で震災復興ボランティアで民家の家財整理をし、全住民が避難中の大熊町で森林調査の仕事をした。南相馬市では家主から「一度放射能で汚された物は家に置いておきたくない。全部処分してくれ」と言われ、大熊町では家があってもひとっこ一人いない荒涼とした風景に心を痛めた。

 そして今日は特定復興再生拠点区域となったこれらの町村を再び回ってみて、無残に荒れていた大熊町役場も今や立派な建屋に生まれ変わり、道路やインフラもピカピカで、トラックが行き交い、多くの工事労働者の姿も目にしたが、何故かよそよそしかった。原発事故から14年経った今でも、全てが一時的な借り物の様であり地に着いた生活の匂いが感じられないのである。
 ここに原発事故の根の深さがあると思った。住民の懐かしい思い出や故郷という個人がよって立つ尊厳をも略奪した原発事故の傲岸非情さに、あらためて怒りが込み上げてきた。
 いかに科学の粋を集めてもしょせん自然には勝てっこないと、我々人類は肝に命ずるべきではないか。

敷地にたくさんのトン袋が。汚染残土の処理施設か? 忙中閑。昼飯で立寄ったそば屋と自宅喫茶「音カフェ721」

 そして今宵の我々のねぐらは、双葉郡広野町の大滝旅館だった。Kさんが選んでくれた町中から外れた静かな山の中の実に良い宿だった。
部屋の窓からは満天の星が見えた。
2025年10月3日(金)晴れ
思い出をなぞる山旅-関東甲信越・福島編(15日目:フィナーレで温泉に浸かる)
 「思い出をなぞる山旅」もいよいよ最終日を迎えた。昨晩は夜中に何度か起きて部屋のベランダから満天の星空を眺めた。夜空を見つめながら、様々な思いが胸をよぎった。やはり、寂しかった。(右写真:大滝旅館の部屋から朝焼けの空)

 朝8時に大滝旅館を出発して、一旦昨日立寄った「音カフェ721」に戻った。実は昨晩、この店でメガネを忘れたことに気付いて電話をし、自宅に送ってもらう手はずをした。その事をKさんに打ち明けると、「明日朝一番で取りに戻りましょう」と言ってくれた。戻ると言ってもかなりの距離で相当な時間ロスになる。ましてや今日は最終日で、最後のポイントをこなした後は荷物の整理や宅配便の発送もある。しかし1日たりともメガネ無しでは不便で、Kさんの親切に甘えることにした。

 無事にメガネが戻って浜街道をひた走り、楢葉町波倉海岸の東電福島第二原発を横目に見ながら最後のNo.35ポイントに向かう。このポイントも急登の尾根が続く苦しい場所だったが無事に終わった。

 Kさんの提案で「打ち上げ」の温泉に入ることにした。場所は常陸湯本の「さはこの湯」である。
 伝統の温泉に浸かってゆっくりと身体を休めた後、Kさんに常磐線湯本駅まで送ってもらった。そして「お疲れさんでした」「ありがとうございました」とがっちりと握手を交わしてKさんと別れた。数々の思い出をなぞりながらの山旅が終わった。


 東電福島第二原発   15日間苦楽を共にした泥んこ4WD車 湯本温泉「さはこの湯」