最後のページは<1月30日

2025年1月4日(土)晴れ
箱根大学駅伝
明けましておめでとうございます。今年も「おやじ小屋から」をよろしくお願いします。

 1月2日、3日と箱根大学駅伝の応援に行った。ここ藤沢は往路の3区、復路の8区で、自宅から車で15分程でマラソンコースの沿道に行ける。選手の通過時間は、往路、復路ともに午前10時半が目途である。

 2日は例年通りカミさんを車に乗せて、9時半過ぎには長久保公園の駐車場に着いた。まだ選手の到着時間までには時間があるので、公園内をゆっくり散歩する。園内には小高い築山があるので二人で登ると、何と富士山が見えた。ここから富士山が見えるとは今まで気が付かなかった。
 そろそろ駐車場も応援目当ての車で混んできて、二人で沿道に出た。交通整理のパトカーや白バイが何台も通り過ぎ、上空にはヘリコプターがホバリングして「そろそろかなあ」と言うときになってカミさんの身体がおかしくなった。慌ててしゃがませて様子を見たが、残念、車に戻ることにした。
 カミさんを車に残して沿道に戻った時には、既に観客はぞろぞろと帰り始めて、この日の観戦は叶わなかった。
 しかしカミさんの体調が戻ってから、車を出て公園内のベンチで二人座って日向ぼっこを楽しんだ。長岡の人には申し訳ないような温かな日で、こうして日向ぼっこができる、何というか、束の間の時間が限りなく愛おしく思えた。まさに
  
とりあへず忘れることに日向ぼこ  谷脇 篤
である。

 昨1月3日の復路は俺一人で応援に出かけた。やはり9時半には長久保公園の駐車場に車を停めて、早々に前日とは反対側の沿道の好位置にポジションをとった。まだ選手到着までに1時間近くあるが、隣に大きな大人が割り込まないように、お友達同士で応援に来た小学生くらいの男の子二人に優しく声を掛けて隣に立たせてガードを固めた。こんな駆け引きでなかなか神経を使うのである。

 白バイが何台か通り過ぎ、ヘリコプターが上空に舞い、先導車が通り過ぎて、いよいよ選手の姿が見えてきた。「がんばれ~!」と思わず大声が出る。しばらくして2番手が見えてきた。手を大きく振る。また「がんばれ~!」と叫ぶ。
 恥ずかしげもなく、久々に大声を出した。選手に向かってか、自分自身に向かってか、分からない。でも、これでいいのだ。これが、いいのだと思う。今年もいろいろあるだろうが、何とかがんばらないと・・・。

 
2025年1月30日(木)晴れ
石牟礼道子著「苦海浄土」(くがいじょうど)
 長岡は今日から明日にかけて、また大雪の予報である。おやじ山はどうなっているだろうか?地元の予報よりは、郷里の天気予報に気もそぞろの毎日である。

 今年は例年通りのおやじ山暮らしは到底叶いそうもないので、最近になって地元藤沢で過ごす算段をあれこれと始めている。その中で今日は、町内の回覧板で回ってきた近くの公民館主催の野鳥観察会に初めて参加した。地元公民館のイベントに参加するなど金輪際無かったことで、僅か2時間半の時間だったが実に新鮮だった。

 そして観察会から帰ってまた、数日前から少しつづ読み継いでいる小説、「苦界浄土」のページを開いている。

 石牟礼道子のこの著書「苦海浄土 わが水俣病」は、水俣病患者やその家族の聞き書きをもとにした、1950年代から60年代の公害の記録である。その鬼気迫るほどに凄まじい描写に、思わず書を伏せて大きく溜息をついたりするのだが、「私たちは、自身の存在を改めて問う形で歴史を解釈し、こうした作品と対話しなければならない」(ノンフィクション作家保阪正康)との箴言に再びページと向き合っている。
(後日、「森のパンセ」に詳細をアップします。