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2024年6月28日(金)雨
山から帰りました(「おやじ山の春2024」プロローグ)
 今週の日曜日(6月23日)、藤沢の自宅に帰ってきた。おやじ山を下りたのは前日の土曜日(6月22日)で、この日は「野の花館」の故外山康雄画伯の告別式だった。5月の連休以降一緒に山暮らしをしたカミさんと共に塩沢の朝陽堂で営まれた葬儀に参列させてもらい、出棺をお見送りした。

 外山先生と最後にお会いしたのは亡くなられた(6月18日)僅か1ヶ月前(5月17日)である。この日、6年前から毎年春の恒例となったおやじ山に群生する杜鵑蘭を野の花館にお届けし、今回の葬儀で喪主を務められた長女の大平祥子さんが、わざわざご自宅で静養中の先生を呼び出して下さり、外のベンチに一緒に座り、杜鵑蘭の鉢を前にして、そう、20分か30分かはいろいろなお話しが出来た。

 外山先生の葬儀を終えて、この日は帰れずに越後湯沢のホテルに一泊した。そして翌日曜日は、越後湯沢から津南町に抜け、千曲川沿いに117号線を走って上信越道の飯山ICから帰ることにした。ところが高速道路に入る前に立寄った「道の駅ふるさと豊田」で「高野辰之記念館」の看板が目に入り、寄り道することにした。


 高野博士の生家は道の駅から1.5㎞ほどで、記念館はそのすぐ先にあった。入館して映像室のビデオを見終え、係員に促されて博士が作詞した「故郷(ふるさと)」をオルガンの伴奏で他の見学者と一緒に斉唱した。「故郷」はおやじ山のテーマソングでもある。とりわけ3番を歌っていると涙ぐんでくるのである。

こころざしをはたして
 いつの日にか帰らん
   山はあおきふるさと
   水はきよきふるさと


 記念館を出るときには雨になった。ご親切に、受付の女性が傘をさして下さり、駐車場の車まで送ってくれた。告別式のあった土曜日(6月22日)にふるさと越後が梅雨入りしたと知らされたが、故外山画伯の涙雨なのだと思った。


 野の花や梅雨入り前のにこやかさ (新宮市)中西 洋 (6月23日 朝日俳壇より)
 (合掌)