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2023年9月2日(土)晴れ
二人の作家の「ヒロシマ・ノート」
 連日の猛暑が続き思考能力もほとんど失せてぐったりとしている時に目にした記事に、頭を冷やされた。衝撃を受けた、と言っても良い。作家の高橋源一郎が朝日新聞に寄稿した「ヒロシマ・ノート」である。(2023年8月30日付朝日新聞オピニオン&フォーラム。本題は<なぜ「ヒロシマ」 向かい合う先に>)

 今から60年前の夏(1963年8月5日)、作家の故大江健三郎が、分裂危機直前の原水爆禁止世界大会開催の広島を最初に訪れ、その後3年間にわたって多くの被爆者や被爆二世、原爆治療に携わる医師等に取材して被爆の実相を「ヒロシマ・ノート」として著わした。高橋氏が今回、その足跡を辿って寄せた一文である。

 高橋氏は寄稿文の最後の方で、「当事者」になれないもどかしさと、それからの未来への希望を次のように書いていた。
 『原爆投下から78年。遠くない将来、被爆者はいなくなるだろう。被爆二世もいつかまた。「当事者」は姿を消してゆき、ことばや記憶の中だけの存在となる。どんな「当事者」もたどる運命だ。わたしたちは、いやわたしは「ヒロシマ」の「当事者」でも「あの戦争」の「当事者」でもない。・・・(以下後述)』

 昨日、大江健三郎著「ヒロシマ・ノート」(岩波新書 第1刷1965年6月、第98刷2023年4月)を取り寄せ、朝は寝室の片隅に置いた机に向かい、陽が上ってからは蒸し風呂になった家を飛び出し、エアコンを効かせた車の中で夕方まで、一気に199ページを読み了えた。
 
 大江健三郎もまた、この著書のなかで、『僕が広島で見た(ついに旅行者の眼でかいま見たにすぎなかったにしても)人間的悲惨は・・・』と吐露し、『われわれがこの世界の終焉の光景への正当な想像力をもつ時《被爆者の同志》たることは、すでに任意の選択ではない。われわれには《被爆者の同志》であるよりほかに、正気の人間としての生き様がない。』と書いた。

 日本には今、「ヒロシマ」や「ナガサキ」だけではなく、「オキナワ」があり、そして「フクシマ」がある。政治家が、そして「非当事者」であるわれわれが、いくら「被災者(現地の人)に寄り添って」と語ろうと、「当事者」を越えることはできない。ではどうしたらよいのだろうか。高橋氏は先の文章に続けてこう書いている。
 『・・・けれども、大きく変わっていく世界の中で、何かもっと別の、大切な何かの「当事者」なのかもしれない。それを見つけたとき、わたしたちは、「ヒロシマ」にも向かい合うことができるかもしれない。』と。

 添付の新聞切抜きは、森林調査で何回も広島県を訪れ、その体験をもとに書いた2021年3月26日付朝日新聞「声」掲載の投稿文である。