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2023年3月5日(日)曇り
沖縄の海
 昨晩、2泊3日の沖縄の旅から帰った。旅の目的は、1年前(2022年3月4日)に亡くなった又従兄弟の願いを叶えてやることだった。

 以下は昨年3月11日の日記の1部である。

葬儀を終えて
 昨10日に、環君の葬儀を済ませた。入院先の東京山手メディカルセンター近くの落合斎場で、Hさん親子、Y兄、それからまさに窯に入れる直前に突然現れて(本人は来ないと言っていた)「ああ、間に合って環の顔が見れた」と火葬場に倒れ込んだT姉と俺の5人だけの直葬(火葬と収骨のみの葬儀)だった。環君が生前俺やHさんに頼んだ事後処理は、自身の献体であり、もしそれが駄目ならば母親の郷里沖縄の海に散骨して欲しいということだった。癌が全身を蝕んだ体での献体は医学的に叶わず、本人が望んだ散骨も、実家のY兄いわく、「環は1才8ヶ月で母親に死なれ、3人兄姉の末っ子のために近所に長く預けられて育った。実家に戻っても直ぐに東京に出て行ってしまい父親とも縁が薄かった。俺は弟が気の毒でまた申し訳なく、せめて骨だけは両親の墓の中で一緒にさせてやりたい」とのたっての希望で、遺骨は長岡に持ち帰ることになった。
 しかし、予めY兄やHさん、それと葬儀屋さんの了解も得て、収骨の最後にポチ袋ほどの和紙封筒の中に環の遺骨(粉骨)をほんの少し入れて貰って預かった。いつか機会を見て、沖縄の海で環の願いを叶えてやりたかったからである。
(以下略)
 
 3月2日にカミさんを伴って沖縄入りした。持参したのは斎場でポチ袋に入れてもらった環君の遺骨(粉骨)と彼の遺影、そして遺品として貰った8オンスのスキットルである。

 翌3日にカミさんと一緒に那覇の港(泊港)から慶良間諸島の渡嘉敷島行きのフェリーに乗船。そして1時間10分の船旅の最後の方で船の甲板から一握りだけの骨を海に放った。(写真)

 
ホテルの部屋     「フェリーとかしき」
 渡嘉敷港からは乗合いバスで阿波連(あはれん)ビーチに向かった。実に美しい入り江の砂浜で、ここでスキットルに詰めた酒(泡盛)を海に注ぎ、前日に那覇国際通りの市場で買った菊の花束と乗合いバスの終点で咲いていたハイビスカスの花を採って、それらの花びらを千切って海に撒いた。心ばかりの供養を終えて、実にホッとした。白い珊瑚の敷き詰められた浜辺に座って、透明に澄んだ青い海を見ながらスキットルに残った泡盛を口に含む。環君をここに連れて来て彼と一緒に酒を飲んでいるようだった。

 
阿波連ビーチにて
 午後4時に島を出る同じフェリーに乗って那覇に戻った。那覇のホテルでもう1泊し、そして昨日の午後の飛行機で自宅に帰って来た。
 一つの宿題を済ませた気がした。


     阿波連ビーチ
2023年3月16日(木)晴れ
おやじ山に向かいます
 これも地球温暖化のせいだろうか。日本列島は冬からいきなり春真っ只中に突入した。一昨日(14日)には例年より10日も早く東京都心での桜の開花発表があった。統計開始以来、2020年と2021年に並んで最も早い桜の開花だという。唱歌の「早春賦」にあるように
 ♪春は名のみの 風の寒さや~
   谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず~♪
と、ジリジリする思いで春本番を待ちこがれていた遠い昔が懐かしくなってしまう。

 昨日は長岡のKさんから、おやじ山の麓の長岡東山ファミリーランドの写真を送っていただいた。2月の山入りの時にはあれほど積もっていた雪も儚なくなって、もはやうかうかしては居られなくなった。それで今夜のWBC第4戦、日本対イタリア戦をテレビ観戦してからおやじ山に向かうことにした。

 若かりし頃は、キャンディーズの「春一番」の歌詞をもじって
 ♪モーズク春ぁ~るですねえ♪などと歌って、頭に春一番がやって来てゲラゲラ笑っていたんだけど・・・ 
おやじ山の春2023
2023年3月17日(金)藤沢晴れ、長岡曇り
おやじ山の春2023(山入の日)
 藤沢の自宅を午前3時20分に出た。早朝の関越道をひた走って、越後川口SAで休憩をとり、朝一番で宮原のKさんのご自宅に寄ってスパッツとスマホの充電器も借りる。(スマホ充電器はその後の滞在中、Kさんはフル充電した交換器を頻繁に山まで届けてくれて、本当に大助かりだった)
 スーパーで当面の食料を仕入れ、パンパンになった大型リュックサックを背負って山に登り始めた。午前10時半だった。この時期の雪は締まっていて、カンジキは履かずにスパッツを着けただけで歩行できた。
 見晴らし広場まで登って、東山ファミリーランドの管理主任のJさんにばったり出会った。職員が「大将」と呼んでる施設の親分さんである。「あら~!今ごろ誰かと思ったよ。もう来なさったの~、まだこっちは冬だがね」と声を掛けられて、しばし談笑。麓の市営キャンプ場にテントを張って滞在する時にはお世話になっている人である。この冬の雪で施設内の立木が大被害にあって、その見回りだという。
 11時半。おやじ山の入口に来た。
 「ただいまぁ~!帰りましたぁ~!」と重いリュックで丸めた背を伸ばして、山に向かって大声で叫ぶ。もう随分と長い年月この山に通い続けているが、年明け最初の入山では懐かしさと嬉しさで胸が高鳴るのである。積雪は50センチから多い所で1メートルほどか。周りの雪被害の状況を確認しながら小屋に向かった。

 風の小屋に荷を下ろして早速山回りをする。予めKさんから連絡があったイナバのスチール倉庫を直撃した大杉の倒木の他、100年杉のてっぺんが折られ、二股になった杉がその部分からド~ンと裂け落ち、ドラム缶風呂に浸かりながら風流に眺めていた谷斜面のカスミザクラの大木が、無残にも根こそぎ倒れていた。今までの山生活でこれほどの被害は初めてである。

写真中央の大杉が雪で裂け折れてスチール倉庫(ブルーシートをかけた)を直撃した右写真)根こそぎ倒れたカスミザクラ。
 しかし、おやじ池ではいつも通りたくさんのクロサンショウウオが泳ぎ、既に卵囊もあった。カタクリ広場では、最初の雪溶け跡からはツンツンとした幼芽が伸びていた。

おやじ池のクロサンショウウオ  カタクリの幼芽  マルバマンサクの花
 風の小屋での最初の夜は、早く寝るのがもったいなくて、決まって深酒になる。明日は、果して大丈夫だろうか?
2023年3月18日(土)朝6時から雨、気温0.5℃
おやじ山の春2023(大酒のつけ)
 案の定というか、やっぱりというか、昨夜の大酒のつけがきた。朝から身体に力が入らず、ちょっと動くと動悸がして心臓がバクバクする。外は冷たい雨だし、ここはじっと身体を休めて小屋に閉じ籠もり、ゼンマイと大根を床に座ったままで料理して食いつないだ。
 やっぱり歳(大酒?)には勝てないと大いに反省する、(反省だけならサルにも出来る!」って昔の栄養ドリンクのCMにあったような・・・)
2023年3月19日(日)快晴、気温10℃
おやじ山の早春2023(フキノトウ初収穫とフクロウの初啼き)
  気持ち良い早春の日差しがおやじ山の残雪に照り返して、眩しく光らせている。快晴となった今日の気温は10℃。おやじ池を覗くとクロサンショウウオの新しい卵囊ができていた。入山初日にあった卵嚢も産みたてホヤホヤの感じだったので多分2度目の産卵である。
 昼前にN子さんが栗ご飯の差入れ弁当を持って山に来てくれた。飲み過ぎて体調崩したことは秘密にしていたが、こんな差し入れが実に有り難いのである。午後は二人で山回りする。おやじ沢まで下りてみると、たっぷりと雪解け水を含んで育った山吹色のフキノトウが顔を出していた。

 
山菜山の残雪   風の小屋ののれん(山主作)  初収穫のフキノトウ
 夕食は初採取のフキノトウでフキ味噌を作って食べた。一箸一箸口に運ぶたびにしみじみと「ああ、おやじ山に春が来たなあ」と感じるのである。


 夕方6時半、そして夜8時過ぎにも若杉の森でフクロウが啼いた。来山して耳にしたのは今日が初めてである。今年もまたこの山でフクロウ夫婦の子育てが始まると思うと嬉しい。
(写真左:夕日に染まった山菜山 )

2023年3月20日(月)晴れ、日中気温15℃
おやじ山の春2023(カタクリ初咲き)
 フクロウの啼き声で目を覚ます。枕元のスマホをタッチすると午前2時26分だった。起きて外に出て用を足す。見上げると凄い星空である。小屋の前にそびえるホオノキとアカイタヤの漆黒のシルエットの隙間に無数の大小の星屑が瞬いて、用が終わっても仕舞い忘れるほど見惚れてしまった。
 昨晩からフクロウの啼き声を何度も耳にした。多分、おやじ山に帰ってきた俺を歓迎してくれているのだと思った。
 そして今日は、小屋前の日当たりの良い南斜面でカタクリの花が咲いた。今春最初の2輪である。

 
 オクチョウジザクラ カタクリ広場一番穴の芽出し 初咲きのカタクリ
 昨日はN子さんが、そして今日はK子さんが差し入れを持って山に来てくれた。嬉しかった。k子さんの実家はおやじと同郷の村にあって、終戦直後の俺が1才から3才頃まで、家族5人でk子さん家の牛小屋の2階に間借りして暮らしていたのである。
 昼食後はK子さんと一緒に下山し、車が停めてある場所で別れた。まだ車に残したままの荷物を小屋に運ぶためである。発泡スチロール箱2個を背負子で荷揚げする。ようやく体調も回復してホッとした。
 夜、フクロウの啼き声を聞きながら眠る。ああ、幸せだ~!
 

2023年3月21日(火)春分の日、晴れ、気温21℃
おやじ山の春2023(早春賦)
 お彼岸を迎えて気温も上がり、一気に春が来た感じである。今日は街に下りて先ずは入浴して身綺麗にし、それから実家近くの託念寺にあるおやじとお袋、兄貴が眠る墓にお参りすることにした。
 5日ぶりの下山だが、この三が日の陽気で随分と雪溶けが進んだようだ。入山時には、見晴らし広場から望んだ越後平野はまだモノトーンの白い風景だったが、今は彩りのある町の景色が眼下に広がっていた。
 東山ファミリーランドの除雪車が道を空けた場所に車を停めていた。先ず目指すは与板にある志保の里荘という社会福祉協議会が運営する日帰り温泉施設である。ここで一風呂浴びてから再び長岡方面に車を走らせたが、与板の町外れから見た真っ白な守門岳の雄姿に、思わず車を停めてしばらくは見入っていた。まさに唱歌「早春賦」の風景だった。

     守門岳の雄姿
 託念寺での墓参りを終えてから、同じ村内にある羽黒神社脇の墓地に寄った。ここは昨年亡くなった環の墓があって、手を合わせて先日訪れた沖縄行きを報告した。

 この墓地の南隣りにあったK子さんの実家「勇の助ろん」という屋号の農家の牛小屋が、俺が幼少時を過ごした場所である。習志野の陸軍騎兵学校で通信教官だったおやじ(三笠宮殿下の指導教官でもあった)を除いた家族4人で、お袋の実家秋田県に疎開していたが(俺は疎開先で生まれた)、昭和二十年の終戦を迎えてこの村に越して牛小屋の二階で家族5人が暮らしたのである。ここはおやじの故郷である。隣の墓地も、その向こうの羽黒神社の境内もガキの頃の遊び場だった。環の墓に参った後、「うらん(裏の?)川」の橋を渡って信濃川の堤防と遠くに信越線の鉄橋が見える場所に来た。まだ田起こししてない春浅い風景を見ながら、遙か遠い昔の懐かしさで目頭が熱くなった。

 写真左側のトネリコの木の右奥に信越線の鉄橋が見える。
 
2023年3月22日(水)気温19℃(全国的に3月最高気温となる)
おやじ山の春2023(ギフチョウ初蝶)
 朝から気温が高く午前10時20分時点の気温が19℃と春真っ盛りの陽気である。ラジオが全国的に3月の最高気温と報じていた。
 おやじ山の生き物たちも一斉に活性化したらしく、おやじ小屋と風の小屋を往復する尾根の小径で今年初めてのギフチョウが飛んでいた。(例年この径筋がギフチョウが巡回する「蝶道」になっている)ギフチョウの初蝶である。そして今日最初にギフチョウを見た真っ昼間の時間に、若杉の森でフクロウが「ホッホゥ」と一声した。俺にではなく、つがいが入っているホオノキに掛けた巣箱に向かってサインを送ったのだろう。何て呼んだんだろう?

 午前中は熊谷達也著の「邂逅の森」を読んで過ごしたが、午後からは今冬の雪で折れたり倒れたりした杉の残骸の始末をした。先ずは雪割草の斜面と地蔵仏の広場の西斜面を片付けたが、被害が甚大なだけにおやじ山全体を始末するには相当な日数がかかりそうである。


(写真左から)カタクリ広場1番穴の芽出し 雪割草初咲き オクチョウジザクラ 雪溶け進む山菜山
2023年3月23日(木)晴れ~夕方から雨(夜遅くから本降りとなる)
おやじ山の春2023(山菜山の雪二分の一)
 今日から山仕事フル回転である。(ちょっと遅過ぎだけど)
 イナバのスチール倉庫を直撃した杉の倒木の先がおやじ池を跨ぐようにすっかり覆っていて、午前中はこの処理である。本来ならば池を覆っている部分をチェーンソーで幹からカットすれば済むのだが、このカット部分でも直径が40㎝はある大杉で、その上倒木の支点が複雑でテンションのかかり方が良く分からない。安全第一で幹はそのまま残して枝部分だけを伐り落とすことにした。まあまあ薄暗かった池がいくらかスッキリした程度でこの作業を終える。

 昼食を摂ったあと少し昼寝をして体力を回復し、午後は池畔に植えたトチやユズリハの雪起こしとトケンランの群生地に散らばっている杉の枯葉や枯れ枝の除去作業をした。
 いきなりフル回転したけど、今日は働いたなあ。

 夕方山菜山に目をやると、斜面の雪は二分の一程度まで減っていた。

 
2023年3月24日(金)雨、朝の気温10℃、日中気温8℃
おやじ山の春2023(霧深し)
 6時の気温10℃と温かい朝である。昨夕4時頃から降り始めた雨が夜半から本降りとなり今朝まで激しく降り続いた。外の深い霧が終日山を白く覆っていた。

 ストーブに火を焚いて小屋に寝転がって「邂逅の森」を読み続ける。この小説は直木賞受賞作品で秋田県阿仁地方のマタギ(山深く分け入って熊などの狩猟を生業にしている人)を主人公にした壮絶な物語である。阿仁の森吉には10年以上前にマタギナガサを特注で造っていただいた西根登さんが居られるが(西根鍛冶屋)、2016年12月14日、Kさんと森林調査で東北地方を回っていた折り、たまたまこの地方を通りかかって氏と面会することができた。
(写真は西根登作「マタギナガサ」)

 昨夜からの雨でまた雪溶けが進み、霧が晴れた夕方には小屋向かいの山菜山の雪斜面は半分以下になっていた。
2023年3月25日(土)曇り、朝の気温4℃
おやじ山の春2023(忠司さん来山)
 昼少し前、「お~い!」と声がして風の小屋の窓を開けると、Sさん兄弟がニコニコと手を振りながらおやじ山に入って来た。兄の忠司さんは横浜在住で同じ森林インストラクター仲間だが、コロナと多忙な仕事の両面で郷里の長岡にはなかなか帰省することが出来ないでいた。俺が忠司さんにお会いするのも全く久しぶりである。例によってスマホ用の充電器やらペットボトル6本ものミネラルウォーターを背負って来てくれて、全く有り難い差入れである。
風の小屋で忠司さんと歓談
 早速3人で雪溶けが進んだ山菜山に入り、フキノトウとコゴミ採りをした。俺にとっても今年最初のここでの山菜採りである。
 午後2時にSさん兄弟が山を下りてから、地面に散らばっている杉枝や杉の枯葉を集めて焚き火をした。今年はいくら燃やしても処分仕切れない程の枯葉の量である。


雪溶け進む山菜山に入る 杉枯葉の焚き火
2023年3月26日(日)雨、朝の気温3.5℃
おやじ山の春2023(クロサンショウウオ産卵と今年の雪被害)
 早朝小雨のうちに昨日の焚き火の木灰を回収して風の小屋の囲炉裏に足した。(この囲炉裏はまだ灰が少なく深すぎて、首を突っ込んでいろいろやっていると転落しそうで危ないのである) シトシト雨が水紋をつくっているおやじ池を覗くと、クロサンショウウオの産卵(3回目)が始まっていた。まあ組んずほぐれずの大乱闘で、見ているうちにこっちにも力が入って、思わず「頑張れよ~!」と声援したくなる。

 
見ていたら、思わず「頑張れよ~!」と声援したくなった
 午前中に下山してSさん宅に寄ってから志保の里荘の風呂に行く。作業道の様子を確認しながら下ったが、今年の雪被害は尋常じゃない有様だった。
以下の写真は下山時の風景。

写真左から オオカメノキ オクチョウジザクラ タムシバ ユキツバキ

作業道に転がる雪被害の倒木
2023年3月27日(月)曇り~晴れ
おやじ山の春2023(カタクリの定点観測)
 午前9時、市役所の担当課に電話して昨日見た作業道(東山ファミリーランドの自然観察林内で市有地になっている)の無残な状況を報告する。出来れば早く除去作業をしてもらいたいと。

 毎年一面ピンクの花園となるカタクリ広場の雪も大方が溶けて、まだ雪が残っている一部でカタクリの芽出しから開花、さらに結実から休眠まで(カタクリの株全体が溶けて翌春までの休眠期に入る)を記録することにした。いわばスプリングエフェメラルの実態調査である。山でグダグダ酒呑んでいるだけじゃなくて、ちゃんと研究(?)もしてるんだよ、とも言いたいのである。

 そこで調査地に赤白ポールを立てて調査範囲をそこら辺に散らばっている丸太や棒切れで囲った。随分乱暴だけど、植生調査でいう「コドラート法」のまねごとである。
 はて、ちゃんと最後まで続けられるか、が課題である。

 
カタクリ広場の調査地 4枚目はようやく咲き始めたキタコブシ
 
2023年3月30日(木)晴れ、気温14℃
おやじ山の春2023(ギフチョウ大いに飛ぶ)
 3日間うららかな春日が続いて今日は14℃まで気温が上がった。例年になく早かった22日のギフチョウの初蝶以来羽化もどんどん進んだようで、嬉しいことに今日はギフチョウのオンパレードだった。
 午前中にK子さんが昼飯のおにぎりの差入れを持って山に来てくれた。雪割草の斜面やおやじ小屋の周りに散らばっている杉枝や枯葉を片付けてくれて大助かりである。
 K子さんの手作りおにぎりで昼食を摂ってから二人で谷川沿いに下りてコゴミとフキノトウを採った。コゴミも盛んに萌え出て、いよいよ山菜シーズンの到来である。

調査4日目のカタクリ広場。雪が残る調査地以外は、既に盛んな芽出しである。3枚目はk子さんモデルに

 夕方、カミさんから「土佐の文旦が届いた」と連絡があった。森林調査の相棒Kさんから毎年届く嬉しい贈り物である。2016年11月はKさんと一緒に四国に出張し、愛媛、高知の山々を回って調査を続けていた。その日の調査が終わって宿への帰途、高知県宿毛市を通りかかって「ちょっといいですか」とKさんが立ち寄った所が、Kさんが以前から懇意にしていたのこの文旦農家だった。近くに車を停めてKさんは大きな農家の門を叩いた。出て来た老婦人とKさんは門の前で長く立ち話をしていたが、その光景を離れた所から見ていて、思わず涙が出てしまった。Kさんの律儀な姿と老婦人の温かいまなざしとが共鳴して、何とも言えないほのぼのとした空間に「いいなあ、いいなあ」と感動してしまったのである。


 土佐の高知、宿毛市の文旦農家の前で(2016年11月)
2023年3月31日(金)晴れ
おやじ山の春2023(カタクリ広場の雪溶け)
 今日の午後、N子さんが村上の冷酒を持って差入れに来てくれた。わざわざ蔵元まで電話してこの銘柄の保存方法を細かく訊いた上で、保冷剤と一緒に丁寧に保冷バッグに入れて持って来てくれた。こういう酒は甚だ貴重で、夜になったら正座して一口一口しっかり味わって呑まなくてはならない。

 今日も温かい春日でギフチョウが頻りに舞い、午前10時に見回ったカタクリ調査地にはまだ微かに雪が残っていたが、午後には完全に溶けていた。これでカタクリ広場全体の雪溶けが終わった。「コドラート内の芽出し15個」を確認。カタクリ広場「一番穴」では既にカタクリは満開である。

調査地:午前中雪微か  調査地:午後雪消える  コドラート内芽出し15個体(約35㎜)
 N子さんのお土産に二人で谷川沿いまで下りてコゴミを採った。向いの山菜山斜面を見上げると、フキノトウが真っ盛りである。

 今日で3月が終わり入山して15日になった。3月21日の春分の日を境に気温が一気に上がり雪溶けも急速に進んだ。新潟県では昨年末から年初にかけて今冬は記録的な大雪などと報じられていたが、雪溶けは例年以上に早く、春の到来も実に早かった。3月22日のギフチョウの初蝶は記録的に早く、またギフチョウの発生数が今年は多く見られて、これは嬉しい限りである。