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2023年2月6日(月)晴れ
冬帝(おやじ山 遙か)
 先週(1月29日)の朝日俳壇の句

 冬帝や薪を砦とする山家 (萩原 豊彦)

 
*冬帝(とうてい):冬の季語。「冬将軍」はひたすら厳しい寒気を強調するが、冬帝に縛りはなく、冬の澄み渡った青空や心和む気分などにも謳われる。(Wiktionaryより)*山家(やまが):山の中の家

 山眠る命あるもの眠らしめ (大谷 和三)

 こういう句を目にすると、つくづくおやじ小屋やおやじ山の風景そのものではないか、と思ってしまう。早く山に帰りたいなぁ~

 先日(2月1日)山古志種苧原のあまやち会館に電話して、管理人のFさんと話していたら「今の積雪4メートル50もありますてぇ」と呆れたように笑っていた。藤沢の好天気が申し訳ないような気になった。
2023年2月10日(金)小雪
一人ひとりの悲惨と残酷さへの想像力
 今朝の新聞で、『戦闘機提供EUに要望ーゼレンスキー氏首脳会議出席』の見出しで、ウクライナのゼレンスキー大統領が、8日の英国に続いてパリで仏マクロン大統領とも会談。そしてブリュッセルで開かれたEU首脳会議に出席して各首脳に戦闘機を含む武器の提供を求めた、とあった。昨年12月21日には、氏はロシア侵攻後初めてアメリカを訪れ、やはり高性能戦車の提供を求めている。氏は「我々が長距離ミサイルや戦闘機を早く手に入れれば、それだけ早くロシアの侵略も終わる」と演説したという。

 果してそうなのかどうか?俺には分からない。戦争を早く終わらせる手立てがウクライナへの武器供与だけだとしたら、人間社会とはこうも惨めで下劣な世界だったのかと天を仰ぎつつ歎き悲しむばかりである。

 昨年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻からまもなく1年となる。最近の報道では、ロシア、ウクライナの兵士合わせて20万人が死傷し(米軍トップの発表)、7000人以上のウクライナ市民が犠牲になった(国連発表)という。
 しかし戦争の悲惨さ、残酷さはこういう数字からは本質が見えてこない。ノンフィクション作家柳田邦男氏の言葉を借りれば、「戦争の本質をとらえるには命の人称性の視点が重要です。」(自分の生と死は一人称。愛する人の死は二人称というように)そして「戦争こそが究極の無人称であり、その本質を一人ひとりの生身の人間のアイデンティティーと尊厳を奪う悲惨と残酷さでとらえ直すことが大事なのです」ということになる。

 まだまだ終わりの見えない戦争で死傷者の数は増え続けている。一見勇ましい武器供与による戦闘の裏で、一人ひとりの生身の人間の悲惨と残酷さが続いているのだという想像力を持ち続けたいと思う。
おやじ山の冬2023
2023年2月16日(木)曇り
おやじ山の冬2023(冬山に入る)
 一昨日、昨日とカミさんと新潟で所用を済ませて、今日からは二人でおやじ山入りして何日か過ごす予定である。カミさんにとってはスノーシューとストック(Kさんからお借りした)を使っての雪山登山は初体験で本人は随分と心配していた様だが、地元のおやじ山仲間のKさんとNさんが先行して積雪を踏み固めて歩き易いように雪道を作ってくれていたので、何とか二人とも(俺の方も二人分の食料と衣類、酒など20キロ程背負っていたので)無事に小屋に辿り着くことができた。
 おやじ山の積雪は、1メートルから多い所で1.5メートル程だった。

 風の小屋ではKさんとNさんが囲炉裏に炭を熾しストーブも焚いて部屋を温かくして迎えてくれた。そしてみんなで囲炉裏を囲んで昼食を摂り、久々の談義に花を咲かせた後で、早速懸案だった作業を手伝ってもらった。
 何年も前に立木に取り付けた古い巣箱の撤去である。初代のフクロウ巣箱は屋根に穴が空いてボロボロになっていたし、ケヤキに取り付けたヤマガラ巣箱も番線が幹に食い込んで木が痛がっていた。二連梯子を雪に差し立てての高所作業は、仮に落ちても下が雪だと思うと何故か安心なのである。

 午後3時過ぎに俺たちの冬山暮らしを気遣いながらKさんNさんの二人が山を下りて行った。全くありがたい仲間達である。
 山入した初日は嬉しくていつもは夜遅くまでグズグズと過ごすのだが、この日はさすがに疲れてしまって、酒を飲んだらバタンキューと相成った・・・ようだ。
 
2023年2月17日(金)快晴
おやじ山の冬2023(雪山散歩)
 気持ち良い快晴の朝だった。ぐっすりと寝込んで起きがけの初日に、眩しく目にした真っ白な山菜山斜面の美しさったらなかった。
 それでこんな絶好の日和を逃す手はないと、グズグズしているカミさんを誘ってスノートレッキングに出かけることにした。カミさんにとっては「また歩くの~?
(もうイヤ!)」という気持ちだったかも知れない。

 「それそれ」とスノーシューを履かせて風の小屋を出発。小屋の東斜面を登ってカタクリ広場を抜けブナ平から三ノ峠山へ向かう尾根に出る。この尾根を二ノ峠直下まで登り切ると展望がきく広い雪原になっている。「どうだ、見てみろ!」と、まあここからの風景をカミさんに自慢したかった訳である。以下はその風景である。
 
三ノ峠山ハイキングコース(ブナ平コース)から越後平野と弥彦山を望む
2023年2月18日(土)晴れのち曇り
おやじ山の冬2023(潰れた倉庫をこじ開ける)
 昨日からの晴天が今日の午前中まで続いて、小屋から遠くに見える「赤道コース」(コスモス広場から三ノ峠山に登るハイキングコース)の尾根を、次から次とカンジキ登山を楽しむ人たちが行き来している。さすが晴れの土曜日である。しかし数年前まではこんな冬の時期に山に登る人は居なかったのだが、三ノ峠に山小屋が出来てからのブームになった。

 それにしても昨晩は満天の星空だった。南の夜空にオリオンの三つ星が凛とした姿で瞬いて見えて、カミさんと二人でうっとりと眺めながら感動してしまった。

 昼頃、カミさんが「オキャクサンが来ましたぁ~!」と叫んだ。指さしている方を見ると、なるほど俺くらいの年齢の男性が山に入って来た。初めての顔である。「どちらさん?」と声をかけると「ヤマモトと言います」と照れたように言う。そして山菜山を指して「この尾根を登って三ノ峠山に行けますか?」と尋ねる。地図で調べて面白そうなルートなので挑戦したいのだと言う。この尾根の途中には昔油田を掘った大きな井戸があって、落ちたら助からないと伝えた。「そうですか」とさして残念な様子でもない。
 会話を聞いていたカミさんが突然「どうぞどうぞお茶でも飲んで休んで下さい」と少しうわずった調子でヤマモトさんを誘う。カミさんにとってはこんな辺鄙な雪山に愛想もない俺とだけ居て、ヤマモトさんが紛れ込んで来たのではしゃいでしまった様子である。
 ヤマモトさん、1時間ほど居てまた元の道を戻って行こうとした。「あれ?こっちの方から行くと三ノ峠に行けますよ」と昨日カミさんと歩いたコースを教えたけど、「いえ、あなた方にお会いしたのでもう充分です」と言って帰って行った。

 杉の木が折れてイナバの倉庫を直撃して扉が開かなくなっていた。倉庫の屋根に登ってみると見た目よりも太い幹で、長さも十数メートルはある。これを玉伐りして退かすとしたらテンションのかかり方が難しいだけにかなりの技術を要す。屋根から下りて扉を見ると、大木の衝撃で僅かに扉の上方に隙間が出来ている。ここにバールを突っ込んでグイグイこじ開けてみることにした。バールはないので剣先シャベルで代用する。格闘1時間。開いた!開いた隙間から屈んで中に入る。天井からポタポタと水が垂れていたが、チェーンソーや刈払機は無事のようだった。良かった。早速Kさんにスマホで報告する。

    こじ開け前       こじ開け後(ブルーシートで屋根を覆う)  扉の隙間
2023年2月19日(日)雨
おやじ山の冬2023(死ぬかと思った雪中行軍)
 雨になった。ちょっと生温かいような雨が時折ザーッと強く降る。こういう日は困るのである。外に出て仕事ができない。小屋の中でカミさんと二人でジ~としているしかない。会話も、もうない。カミさんは手持ち無沙汰に目についたゴミなど拾ってちり紙に包んでストーブに投げ込んだりしている。

 思えばクーラーの中の食料と何より酒が心細くなった。卓上コンロのガスボンベ、ストーブ焚付け用の着火剤も残り少なくなっていた。久々に温泉にでもゆっくり浸かりたい。それで雨の中下山を決行し街に出ることにした。

 下山途中、珍しくカモシカの足跡があった。以前は雪山を歩くとノウサギ、キツネ、タヌキ、テン、ヤマドリとまさに縦横無尽に足跡が見つかったものだが、近年はカモシカ、アナグマは見るものの在来種はめっきり少なくなった。(「米百俵フェス」の大花火の影響ではないかと睨んでいる)

 市内のスーパーで買い物を済ませ、越後川口の日帰り温泉に行った。珍しく随分混んでいると思ったら、今日は日曜日だった。このお風呂で、待てど暮らせどカミさんが上がってこない。「待った?」
当たり前だろう!!とようやくカミさんが上がってきて大急ぎで山の麓に車を着けたのが午後5時20分だった。それから二人でスノーシューを着け、カミさんは手ぶらだが俺は70リットルの大型リュックに今日の買い物を全て詰め込んでの登山である。温かい雨を吸ってズブズブになった、それももう薄暗くて踏み跡も定かでなくなった帰りの雪道で、大袈裟に言えば死ぬかと思うほどフラフラになった。途中で事もあろうか一番重量の酒瓶や缶ビールをリュックから放り出そうと考えた位である。おやじ山に辿り着いた時間は、午後6時半くらいだっただろうか。スマホの万歩計では12,000歩の雪中行軍だった。(放り出さなくて良かった)
2023年2月20日(月)雪
おやじ山の冬2023(寒波襲来)
 昨日の雨が雪に変わって一気に真冬に戻った。まさにしんしんと雪が降り続いている。外のテラスに架けた温度計は-4度から-5度まで下がった。今日は薪小屋にせっせと通いながら一日中ストーブを焚き続け、囲炉裏に炭を熾して過ごした。(右写真:カタクリ広場積雪150㎝超)

 山で暮らしていると天気の移り変わりで周りの風景ががらりと変わる。その自然が創り出す移ろいの妙というか変化の面白さの中に身を浸しながら居ることこそ、山で暮らす楽しみであり特権でもあると思っている。他人は「不自由ではないか?」と言う。Oh Yes!しかしだからこそ、その一つひとつの不自由の意味が分かり、それを大事にも愛おしくとも感じるのである。

2023年2月21日(火)雪~曇り
おやじ山の冬2023(除雪の邪魔)
 午前10時過ぎ、俺のスマホに長岡市役所からの留守電が入っていることに気付いた。(何しろ山では電波が悪くて) 「麓の牛舎脇の道路に停めた俺の車が除雪車の邪魔になって除雪ができないでいる。他の場所に移動して欲しい」との内容である。「それは迷惑かけてしまって大変だ」とカミさんと二人で急遽山を下りることにした。スノーシューを履くと歩行に時間がかかるので、二人とも山靴にスパッツだけで飛び出した。(念のためカミさんのスノーシューだけは背中にくくりつけていた)これが大失敗だった。最初は40㎝ほど積もった新雪の下の雪も固く締まっていてパウダースノーを蹴散らすようにして歩けたが、奥山からに下るにつれて雪質が重くなってドブリ始めた。途中からカミさんはスノーシューを履いたが、予定より大幅に遅れて現場に着いた。申し訳なかったが現場には既に誰も居なくなっていた。雪山ラッセルで俺も疲れたが、他の約1名も写真の通りである。

2023年2月23日(木)曇り(暖かくなる)
おやじ山の冬2023 (下山)
 まだ薄暗いうちに起きて下山準備を始める。シュラフや毛布などを茶箱の中とヒメネズミに囓られないように長岡市指定の特大のごみ袋に詰め込んでしっかり口元を絞める。後は風の小屋の片付けや掃除はカミさんに委せて俺はおやじ小屋や外周りの見て、午前11時20分に大声で「アリガトウ・ゴザイマシタァ~!!」とおやじ山に挨拶して山を下りた。
 カミさんと過ごした8日間の冬山暮らしだった。約1名の感想は、
「ダマされました・・・」でした。

 
下山途中のおやじ山専用道の風景      帰路、国道17号線から望む八海山