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2023年11月28日(火)晴れ
山を下りる(黄葉の美)
 11月23日(勤労感謝の日)にカミさん共々おやじ山を下りました。この日はカミさんの郷里仙台まで車を飛ばし、一泊して翌24日、東北自動車道をひた走って、この日の夜遅く藤沢の自宅に辿り着きました。
 帰宅してから昨日まで、今回の山暮らし(73日間の滞在でした)で持ち帰ったガラクタの始末やら、留守中に溜まった宿題の始末やら、それから・・・文明社会に身体を馴染ませるリハビリやら(例えば、蛇口を捻ると水が出るのが嬉しくてつい余計に使いすぎないようにするなど)でバタバタと過ごし、今日はようやく少し落ち着いたかな?という感じで、「日記」を書き始めた次第です。

 やはり気球温暖化のせいでしょうか、今年は10月に入っても夏の気温が続き、10月20日の午後からの雨でようやく秋の季節が始まりました。(翌21日は一気に西高東低の冬の気圧配置になりました)その後一ヶ月で季節は猛スピードで進み、下山の頃にはおやじ山は晩秋期を迎えていました。
 11月下旬ともなれば、普段の年では山の木々の葉は枯れ落ちて雪の季節に入る準備をしているのですが、今年は晩秋期まで葉が付いたままでした。夏日が長く続いたため、葉柄の離層が発達しなかったと考えられます。そのせいか、紅葉はほとんど見られなかったものの、見事な「黄葉」が出現しました。長く山に暮らしていて今年ほどの「黄葉」は初めてで、あらためて「黄葉の美しさ」に感心させられました。

 下山日かその頃の「黄葉」の風景です

 下山の日(11月23日)は、いつもお世話になっているSさん宅にお寄りし、用意していただいたお花とお線香やろうそくなどを持って両親の眠っているお墓にお参りしました。この日がおやじの命日、そして11月30日がお袋の命日なのです。お参りを終えて、いつものように墓地の裏門から外に出て、稲刈りが終わった田圃の向こうに長く伸びる信濃川の堤防を眺めました。ずっとずっと昔、ガキの頃に遊んだ堤防です。
 墓参りを済ますと何故かホッと気が休まるのはどうしてだろうか、といつも思ってしまいます。再び菩提寺の境内に停めた車に乗って村外れまで走り、そこから見えるおやじ山のある東山連峰を運転しながら眺めました。目に涙が滲んで、「運転危ないですよ」とカミさんから叱られました。
2023年11月30日(木)晴れ
おやじ山の秋2023(プロローグ-その1)
 今年の秋の山入は9月12日、長岡に待望の雨が降り始めたからである。この夏の長岡はまさに異常気象だった。藤沢の自宅に居て、じりじりする思いで郷里の天気予報をチェックしていたが、7月21日から8月いっぱい、更に9月5日までの約一月半の間、カラカラ天気と30度を超える記録的な暑さの連続だった。(*この47日間で8月1日の11.5mmの降水量他で、合計わずか14.5mm。35℃超の猛暑日が、何と31日間もあった) 長岡でようやくまとまった雨を見たのは9月6日で、「そんでは、そろそろおやじ山に行くか」と、引いていた腰を上げた次第である。(*気象庁データより) それにしても我がふるさとの長岡が、全国一の最高気温で名を馳せるとは思ってもみなかった。
 長岡では9月いっぱいも25度を超える夏日がだらだらと続き、おやじ山で朝晩の気温が10度台まで下がったのが10月に入ってからである。
 
<おやじ山の秋の恵み>

 これまでの日照りと猛暑で、「今年の山のキノコは絶望的だなあ」と半ば諦めていたが、10月2日におやじがキンロクと呼んでいた高級食菌ニンギョウタケが出た。昨年より25日遅い発生である。そして10月4日には、通常はシーズントップに出るアミタケが発生し、気温が13度まで下がった翌5日はホダ木に植付けた待望のマイタケが発生した。たまたまこの日、ホダ木を購入した加茂のYさんから「そろそろマイタケが出るからしっかりと見回るように」とご注意の電話があって、確認したのである。さらに翌6日、何と!天然マイタケが、風の小屋裏のミズナラの倒木に2年ぶりに発生した。これは本当に嬉しかった。カラカラ天気が長く続いてほとんど諦めていた秋ミョウガも、例年より半月ほど遅い10月初旬に収穫できた。

 
キンロクことニンギョウタケ   倒木に発生した天然マイタケ
 そして10月13日には、新潟から次兄も駆けつけて、「おやじ山舞茸収穫祭」を開催した。集まった7人の仲間達と、この日不参加の仲間の分も含め、それぞれがおやじ山の恵みを持ち帰るに充分な量が収穫できた。お昼は、NさんやK子さんの手作り料理を囲んでの賑やかで楽しい時間を過ごした。

 
マイタケの収穫 山の仲間達の手作り料理を楽しむ 収穫したマイタケと記念撮影
 10月下旬から朝晩の気温が10度以下まで下がり、広葉樹の森で大量のナメコが発生した。そして11月1日には、今度は「おやじ山なめこ収穫祭」と称して参加者6人で収穫し、この日参加できなかった長岡在住の山の仲間達にもお配りした。(健介さん皆さんへの宅配ありがとう)さらに11月3日には、いつも遠くからおやじ山に心を寄せ応援して下さる神奈川、東京の仲間の皆さんに森の葉っぱにナメコを包んで「おやじ山の秋の風景」としてお送りした。

 
おやじ山の「広葉樹の森」に発生したナメコ
<朋有り、遠方より来たる>
(プロローグ-その2)でアップします。 
2023年12月1日(金)晴れ
おやじ山の秋2023(プロローグ-その2)
<朋有り、遠方より来たる>

 25年前に再びこの山に入り、まだ小さなガキだった頃に、おやじに付いて駆け回っていた時の懐かしい里山の風景を思い出した。そしてできれば、当時の里山の風景を再現したいと思った。そうすればまた、ここで家族と共に過ごした遠い昔の思い出に浸ることができ、とっくに死んでしまったおやじにも会うことができると思った。俺の郷愁である。

 会社勤めが終わった定年後から杉植林地の間伐や枝打ちを始めて、小屋掛け(おやじ小屋造り)、作業道の作道、草刈り、雑木林の除伐や藪払い、谷地の池掘り、そしてきのこ栽培と、訪ねて来た友人や地元の山仲間の手を借りながら山施業を続けてきた。山の風景は、100年単位の長い年月と不断の手入れで、少しずつ少しずつ熟成するように仕上がるものだと思っている。その意味では目標が達成できるのはまだずっと先の事で、20年足らずの施業でどれほどの成果が出たのか心許ない限りである。

 それでも毎年決まったように古くからの友人達がこの山を訪れ、また親しくなった新しい友らがこの山に来て、「いい山ですねえ」と呟いてくれるこの一言で、また山施業を続ける大きな励みになるのである。

 この秋も、古くからの友人がおやじ山を訪れてくれた。
 夏日が一段落した10月12日には、不自由な身体をおして信州信濃大町からOさんが来てくれた。Oさんはこの山をこよなく愛し、2004年の新潟県中越地震後にはいち早く駆けつけてくれて、崩れた山径や被災したおやじ小屋の修復に汗を流してくれた。昨年同様妹さんの運転で長岡入りし、昨年は見晴らし広場で車を降りて、ゆっくり杖をつきながら歩いて風の小屋まで到達できたが、今年は残念、見晴らし広場の展望台に上って越後平野と長岡の街並みを眺めただけで、信州に引き返した。それでも「おやじ山の空気を吸えて嬉しかった、ありがとう!」のOさんからのメールに胸が熱くなった。
 毎年決まって春と秋の年2回おやじ山を訪ねてくれる神奈川の森林インストラクター仲間が11月17日、18日と来てくれた。Sさん、Tさん、Kさんの3人組である。Sさんも2年程前から手足が不自由になり、それでも「おやじ山の空気を吸いたい」と訪ねてくれたのである。この3人が毎年おやじ山に来るようになって既に15年以上の歳月が経った。東京と横浜で生まれ育ったSさんは「おやじ山は俺の第二のふるさとだ」といつも口にしていた。
 当日は生憎の雨模様で、Tさん、Kさんはカミさんとともに風の小屋で寝食を共にできたが、Sさんはやはり車での見晴らし広場までで、その先の歩行はできず、停めた車の中で過ごさざるを得なかった。その日はSさんと二人で街に下りて市内のホテルに泊まったが、それでもSさんは、おやじ山の空気を吸えただろうか。第二のふるさとの匂いを嗅げただろうか。

 そしてこの秋は、珍しい新しいお客様が山に来てくれた。11月8日、魚沼市上折立にある「いろりじねん」のご夫婦がシンガポール国籍のRさんご夫婦を伴っての来訪だった。「いろりじねん」は大湯温泉の入口近くに店を構える山野草料理の専門食堂で、素材の味や色彩を存分に活かした芸術品とも言える抜群の料理とご夫婦の人柄に魅せられて長く通っていた。食堂の部屋からは田圃と越後駒ヶ岳の雄姿が望まれ、ホッと寛げる空間が大好きだった。そのご主人と奥様の来訪は本当にありがたく、お店の大切な外国のお客様をお連れするという嬉しい光栄にも預かった。
 当日はRさん夫婦初体験のホダ木に生えたシイタケやナメコの採取をしたり、いろりじねんのご主人が丹精込めて料理した素晴らしいご馳走を囲んで談笑したりと、決して忘れることが出来ない時間を過ごした。Rさん夫婦がおやじ山の風景を「素晴らしい」「美しい」と何度言ってくれたことか。嬉しかった。
 「いろりじねんのご主人、奥さん、Rさんご夫婦、またおやじ山に来てくださね~!」

 さらに神奈川から森林インストラクターのNさんが、そして東京からは森林調査の相棒Kさんが山に来て、この冬の雪害の処理や薪割りをやってくれた。

 「有朋自遠方来 不亦楽乎」である。