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2023年1月13日(金)晴れ
断捨離と樺美智子の歌
 正月三が日が過ぎて「あっ、もう一週間かぁ・・・」「あっ、もう十日経った」と、何やらチコちゃんに叱られそうなボーとした何日かが過ぎて・・・遅まきながらようやく仕事(?)を始めた。断捨離である。
 昨年は過去の日記の処分だったが(未だに半分も処分し切れていないけど)今度はファイルに手をつけた。自宅の本棚に厚さ3㎝~3.5㎝のクリアファイルが十数冊並んでいる。それぞれ興味あるジャンル毎に(例えば、「生き物・自然」、「環境・温暖化」、「森林施業・野外活動・きのこ栽培」、「文化・芸術」、「政治・経済」、「原発問題」、「旅行」などなど)新聞や雑誌の切り抜き/コピー、講演録、メモ類、パンフレット、カタログなど、過去に集めた資料や書き物が乱雑に差し込んであって、どのファイルもパンパンに膨らんでいる。こんなガラクタを遺しても家族は大迷惑で、ゴミで捨てられるのが落ちである。

 それでファイルの中身を全て抜き取って、市指定の「可燃ごみ」大袋にぶち込み「ハイ、終わり!」とする筈だった。ところがである。最初はスイスイ抜き取ってはゴミ袋にぶち込んではいたが、「ちょっと待てよ・・・」と相成った。「これは捨てるに忍びないなあ」、「このメモを書いたときは・・・」などとウジウジと未練が出て来た。決定的だったのが「樺美智子」を詠んだ歌のメモが出てきた時である。

(1960年6月15日、いわゆる60年安保闘争で全学連は国会構内になだれ込んで警官隊と激しく衝突。この衝突でデモに参加していた東大生の樺美智子が死んだ。当時22歳だった)

  
幻想か国会前を曾孫抱き 樺美智子氏静かに歩む (青木武明)
 
(2015年8月3日 朝日歌壇 高野公彦 選)

 選評には、「樺さん、生きていれば77歳。曾孫がいてもおかしくない」と・・・


 俺はどうも、こういうのに弱い。このたった一枚の小さなメモに「捨てようか?捨てまいか?」とウジウジ悩むのである。それでそのメモを傍らにこの日記を書いてメモを捨てる踏ん切りをつけた。

 「いちいちこんな事でグズグズしてたら、断捨離どころかお前が先に逝っちゃうよ~!」と誰かの声が聞こえてきそうである。
2023年1月15日(日)霧雨
杉の木が倉庫直撃、断捨離のあと
 先日(13日)長岡のKさんから電話が入った。「大変な事が起きてました。スマホに写真送ったけど、見ましたか?」「エッ何!まだ見てない」。それで電話でおおよその事情を聞いた後、直ぐにメールを開いた。久々に越後に青空が戻って、Kさんがスキーを履いておやじ山の様子を見に行ってくれた。そしたら今冬の積雪で杉の木が倒れて、イナバのスチール倉庫を直撃したというのである。さすがの<雪国仕様>倉庫も、杉の木の圧力には抗し切れず、屋根が大きくV字に窪んでいる。倉庫には4台のチェーンソーと伐倒時に牽引する長尺ロープなども収納してあるが、多分ドアも開かなくなっているだろう。困った。春まで待つか?積雪時の処理の方が片付けに都合が良いことは確かだが・・・。

 今日の「朝日俳壇」に <断捨離も終活も終へ日向ぼこ (横田青天子)> という句があって、羨ましいなあ~と思っていたら、同じ選者(大串 章選)で <年の瀬や断捨離のあとさがしもの (安部哲男)>という句も載っていた。笑ってしまったけど、断捨離のあとも悲喜こもごもということか・・・。
2023年1月17日(火)
断捨離余話-その1 (定年後の女房対策)
 断捨離でクリアファイルの片付けを未だグズグズと続けている。当初はファイルの中身(ガラクタ)を「千切っては、捨て」「千切っては、捨て」の鬼の決断だったが、ガラクタの中にも自分の人生がいくらか投影されているようで、収集当時が懐かしく蘇ってきたりもするのである。本当に困ってしまう。
 以下の新聞の切り抜きは、そんなガラクタの一片である。改めて今読み返してみると・・・つくづくと投稿子のご教示をしっかり肝に銘じていればと・・・(もう、遅いか・・・)


(2011年1月23日(日)付け朝日新聞「声」欄)

2023年1月21日(土)曇り
断捨離余話-その2(シルバー川柳)
 またまた断捨離中のガラクタから見つけてしまった。すぐ捨てるのも惜しいのでここに留めおく次第である。(念の為だが、前ページといい今回といい、俺のファイルにはこんな類いのものばっかり集めてあるのかと勘ぐられると、甚だ不本意である。膨大な玉(ぎょく)に紛れ込んだ石(せき)の欠片(かけら)である。)

 
<シルバー川柳>(株式会社ポプラ社発行、社団法人全国有料老人ホーム協会編集)より

   

 これを読んでゲラゲラ笑っているうちは、まだ心身ともに健康と思われる。身にしみて感じるようになったら・・・

上の川柳からいくつかピックアップしてみた。

 誕生日ローソク吹いて立ちくらみ

 三時間待って病名「加齢です」

 立ち上がり用を忘れて立ちつくし

 万歩計半分以上探しもの

 恋かなと思っていたら不整脈

 手をつなぐ昔はデート今介護

 オーイお茶ハーイと缶が転がされ



 リトマス試験紙の結果は如何でしたか?
2023年1月25日(水)晴れ
寒波襲来(おでんとコップ酒)
 10年に一度の大寒波襲来だという。郷里越後は大雪の予報で、ここ藤沢でも昨日午後から急に気温が下がり、今朝6時の気温は-3℃だった。
 それで昨日は俄に思い立っておでんを作った。おでんと言えばやはりコップ酒で、本当はこっちをやりたくておでんを作る気になったのかも知れない。

 近くのスーパーで大根、里芋などを買ってきて久々の自家製おでん作りに挑戦した。おでんの主役はやはり大根で、おからを入れた湯でしっかり下茹でしてアクと大根独特の臭みをとってから、鶏がらスープ、かつおだし、それにうす口醤油で味をつけた出汁でコトコト煮込む。湯気で曇ったメガネをふきふき、「どうかな?旨くなったかな?」と鍋を覗き込むのも楽しいものである。

 さてコップ酒の方である。これでも郷里長岡の朝日酒造が募集した「あさひ日本酒塾」第10期(2009年10月~3月まで4回の講義と麹作り体験などをした)の卒塾生で、酒にはちょっとうるさい。(と思っている) 例えば・・・
 吟醸酒のように香りが高く酸の少ない酒は冷やすとおいしく、逆に燗をするとアルコールが鼻についたりする。純米酒のような味が濃く酸味がしっかりしたものは、少し温めるとまろやかな味わいになる。その中間の本醸造酒は、ぬる燗が酒の味を引き出す。「ぬる燗」とは約40度の燗で、それより熱い「上燗」が45度、「熱燗」が50度、それよりさらに熱い「飛び切り燗」は55度である。ぬる燗より低い「人肌燗」は約35度、まだ下があって「日向燗」は約30度である。
 一方「冷(ひや)」についても「雪冷え」は5度前後、「花冷え」は10度くらい、「涼冷え(すずひえ)」といえば15度程度の冷や酒をいう。

 昨晩は、こたつでおでんをつつきながら「上燗」ぐらいで呑んだ。それで今日は、何しろ「10年に一度」の大寒波襲来というのだから、「熱燗」ぐらいがよろしいのではないかと・・・。
(早く夜来ないかなぁ~)
 
2023年1月27日(金)曇り
断捨離余話-その3(マッサージ券)
 グズグズと断捨離でファイルのガラクタ整理を続けている。
 以下の切抜きを見つけてまたまた手が止まってしまった。はっきりと憶えている記事で、改めて読み返してみた。また、泣いてしまった。掲載日は2001年(平成13年)6月15日。朝日新聞「声」欄への投稿である。

 


 この投稿から早21年が過ぎた。当時56歳の母親は今77歳か。多分俺と同年生れである。そして「母の日」にマッサージ券を贈った障害の娘さんは50代になったはずである。どうか、どうかお二人がお元気で、そして幸ある日々を過ごしておられることを祈るばかりである。
2023年1月29日(日)曇り
断捨離余話-その4(青春の蹉跌)
 2006年11月4日(土)の新聞の切抜きである。この記事を読んで初めて、石川達三の小説「青春の蹉跌」が、1966年の暮れに起きた佐賀・天山での女子大学生殺人事件をモデルにした小説だったと知った。不覚にもあれから38年経って知った事実だった。

 今までの人生で数々の小説を読んできたが、当時の生き様と重ね合わせて忘れられない小説というものがある。18歳で郷里長岡から東京に出て国分寺で寮生活を始め、その部屋で夢中で読み耽ったロマン ロランの「ジャン・クリストフ」。そして22歳で京都に出て、左京区下別当町の同じ下宿仲間がとっていた新聞を借りて欠かさずに読んだ連載小説「青春の蹉跌」などである。

 石川達三のこの小説は、1968年4月から9月まで毎日新聞に連載された。崖っぷちの覚悟で京都に出たものの悩み苦しんだ時期だった。「青春の蹉跌」という言葉自体が当時の自分の重苦しい心情と重ね合わされて不安な日々を過ごしていた。小説の主人公が自分と同年代であり、全くひとごととは思えない気持ちで読んでいたのだと思う。

 55年も前の当時の呻き声が、ファイルの中の1枚の紙片から今だに鮮明に蘇ってくるのである。