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おやじ山の秋2022

2022年9月3日(土)曇り(朝の気温18℃)
おやじ山の秋2022(ゆで蛙)
 9月に入って昨日、今日と幾分凌ぎやすい気温になった。正直なもので5月末の花後に葉も花茎もすっかり枯らして夏眠(姿を消す)していたトケンランの群落が一斉に芽を出し始めた。まだまだ山の風景は夏真っ盛りだが、本種にとっては「ン?秋かな?」と感じ取ったのだろうか。ここでアナグマに荒らされてはと、回りに杭を打って荒縄で囲った。(完全に侵入を防げるとは思えないが、まあ少しは嫌がるだろうと)

 トケンランにあやかって、俺も夜は熱燗で秋を感じ取ることにした。いそいそと囲炉裏に炭を熾して鍋を架ける。そしていい具合にお湯が沸き始めて「ちろり」を手に「さてと・・・」という段になって、突然黒い物体がピョ~ンと鍋に飛び込んだ。まさに戸口の方からホップ・ステップと跳ねてきて、そのまま囲炉裏の鍋に大ジャンプしたのである。「あれ、まあ!」と囲炉裏を覗き込むと、茹だったカエルがだらしなく鍋の中で伸びていた。おやじ山には多く生息するヤマアカガエルである。

 ヤマアカガエルは何を思い、何を憂えてあえて俺の鍋に身を投げたのであろうか。合掌

 
白玉の歯にしみとほる秋の夜は 酒はしづかに飲むべかりけり (若山牧水)
2022年9月9日(金)小雨~曇り
おやじ山の秋2022(きのこ初収穫)
 朝ラジオ体操前に、空のネコ(一輪車)を押して見晴らし広場に停めてある車まで行く。2日前に鋸山登山口近くの湧水地で2ℓのペットボトル18本と4ℓの水タンク2個の清水を汲んだが、一度ではおやじ山まで運び切れず、まだ半分ほどが車に積んだままだった。その他藤沢の家を出る時に車に積んだままの荷物が残っていて、この際一気におやじ山に運び入れる算段である。
 それに今日は、小学から中学3年まで同級生だった地元に住むT君が初めておやじ山を訪ねて来てくれる日で、お迎えに行く車内をスッキリしておく必要もあった。

 車のハッチバックを開けてネコに次々と水やらガラクタを移し終わったあたりで、点けっ放しのカーラジオから6時半のラジオ体操の音楽が流れてきた。ここは手を休めて、「体操の準備はよろしいでしょうか?」のアナウンスの声に、大声で「ハイ!!」と元気に答える。見晴らし広場でラジオ体操をしたのは、初めてである。

 ネコを押しておやじ山に帰る途中の山径で、今年最初のきのこを採った。一昨日(7日)から出始めた高級きのこのキンロク(正式名はニンギョウタケ)で、毎年同じ場所に生えるシーズン最初のきのこである。
 午後山に来てくれたT君とは何年(十何年?)かぶりで会ったにも拘わらず、同級生時代と変わらない気楽さで来し方と現在のあれこれを語りあった。そして帰りに今朝採ったキンロクをお土産で渡したのだが、(先方が知らないキノコは贈らない、というのが常識なのだが)果して食べてくれるだろうか?

 夜はもちろん、キンロクを飛騨コンロで炙って酒の肴にした。焼いたきのこはわさび醤油をつけて「うんッ・・・」と頬ばるのだが、実に旨かった。

 
2022年9月10日(土)晴れ
おやじ山の秋2022(薪割りと中秋の名月)
 ラジオが、今日は中秋の名月で今年はちょうど満月に当たる、と報じていた。「中秋の名月=満月」とは限らないらしい。幸いお月見には絶好の天気で、「今日こそは早く寝ないで月見をするぞ」と朝から覚悟を決めていた。

 ところが、である。絶好の天気と見るややたら身体を動かしたくなって(まあ、貧乏性とでも言うのだろうか)、鉈と鎌を持って山回りしたり、マイタケのホダ木を埋め込んだ床にブナの枯葉を追加でばら撒いたり、あげくの果てにはマサカリを手に薪割りに精を出してびっしょり汗をかいた。その後はいつも通り、ドラム缶風呂の水風呂に浸かって汗を流すのだが、身体を精一杯使った後は、火照った身体が冷えて気持ちよい反面、プールで泳いで上がった時のように疲れが出る。そしてその後で、今朝も夕食用に採ってきたキンロクを飛騨コンロで炙りながら酒を飲むものだから一気に身体がフニャフニャと崩れて、朝からの覚悟も何もあったものではない。

 ぐっすり寝込んでいたはずなのに、風の小屋の窓(カーテンなど無い)から差し込む月明かりに起こされた。外に出てみると煌々とした月が昼と見まがうほどに辺りを照らしている。向かいの山菜山の木々や草の葉も月光を受けて斜面いっぱいピカピカと照り輝いていた。
 余りにも見事なお月様にすっかり目も覚めて、またもや「ま、一杯やるか・・・」と相成ってしまった。
2022年9月12日(月)晴れ
おやじ山の秋2022(何と!フクロウ巣箱に)
 朝起きて(まだ5時前だった)外に出ると、薄明の空に昨晩からの名残りの十六夜月(いざよいづき)が見えた。風の小屋のデッキから望むと南西方向の空だが、黒々と聳え立つおやじ山の百年杉の間で、一晩の最後の光を振り絞るようにして美しく輝いていた。

 朝の散歩でキンロクの場所まで歩いて籠いっぱいのきのこを収穫する。そしておやじ山まで戻ると、フクロウ巣箱の丸窓から動物が顔を出していた。「おッ!」と見ると、顔付きがアナグマそっくりである。例年は子フクロウが巣立った後は、習性で巣穴を複数持つムササビ君がここに棲みつくのだが、「憎っくきアナグマがとって代わるとは!」と腹立たしい限りである。しかしヤマユリを掘ったり花園を荒らしたりする地上性のアナグマが、果して木に登るのだろうか?(後で調べたら登るという)

 アナグマは普段は夜行性なのだろうが、昼間見たことがある。俺がいつも歩いているおやじ山の山径を、いかにも「ここは自分の山だ」と言わんばかりに尻をふりふり堂々と歩いていた。もともと敏捷な動物ではないが、間近でこうも悠然として振る舞われると「ここは俺の山だぞ~!」とアナグマ相手にケンカ腰になってしまう。(これだからいつまで経っても仙人にはなれず、せいぜい百人止まりなのである)

 今日はKさんが山に来てくれたので、早速アナグマ駆除(巣箱から追い出す)の方法を相談した。
2022年9月14日(水)晴れ
おやじ山の秋2022(我が原風景)
 昨日は太田中学校1年生の生徒6人(1年生全員である)と猿倉岳のブナ林で自然観察会と間伐体験をした。毎年恒例の太田小中学校の野外授業で、地元の「猿倉緑の森の会」代表のNさん等と一緒に講師を務めている。そしてつくづく思うことは、「この子らは何と幸せな学校生活を送っていることだろう」と。先生と生徒の関係がまさに兄弟のように親密で、さらにはこの村の大人たちの誰もが、子どもたち一人一人の名前を諳んじて家族同然に接しているのである。壺井栄の小説にちなんで俺は密かに「現代版二十四の瞳」と呼んでいる。

 こんな事があって、昨日は行事が終わってから長岡の街に出てNさんと酒を酌み交わし、夜は実家に泊めてもらった。(ご迷惑にもNさん奥様の運転する車で実家まで送り届けていただいた)

 そして今朝は、実家を出てから同じ村内にある二カ所の墓参りをした。一カ所は羽黒神社の境内にある今年3月に亡くなったT君の墓。もう一カ所は菩提寺託念寺にあるおやじとお袋、そして5年前に亡くなった兄貴も眠っている墓である。

 いつものように墓参を済ませて墓地の裏門から外に出た。すぐ目の前から田んぼが広がり、たわわに実った黄金(こがね)の穂波が遠く信濃川の堤防まで続いていた。その堤防の奥には懐かしいトラス型の鉄橋が見える。ガキの頃にこの村で過ごし、あの堤防と鉄橋で遊んだ遙か遠い昔が、涙ぐむほどの懐かしさで脳裏をよぎるのである。


2022年9月14日(水)(前ページの日記に追加)
おやじ山の秋2022(アナグマ?騒動)
 墓参を済ませて山に戻ると、麓の駐車場にKさんとYさんが来ていた。今日は定例作業日で久しぶりに新潟から次兄も駆けつけてくれて一緒におやじ山に向かった。キンロク大好き人間の次兄に「きのこ採りに来てよ~」と声を掛けていたのだ。

 そして今日はフクロウ巣箱を乗っ取った憎っくきアナグマを追い出す算段で、何と!Kさんは長尺の振出し竿の先にスマホを装着した仕掛けを作って、これで巣箱の中を動画撮影して様子を見ようというのである。
 早速おやじ山に着いて仕掛けを巣箱に向けて伸ばすと(先っぽがユラユラして上手く穴に命中しなかったけど)・・・「何か、居た!」となった。それで今度は梯子を掛けて登り、棒きれで巣箱の底をトントンと叩くと・・・「あ!飛んだ!」。下の連中が一斉に声を上げた。茶色い個体がサーッと翼を広げて30mほど先のホオノキに飛びついた。と見るや、一目散に幹を駆け上がっていく。何とムササビ君だった。
 梯子を下りて、「アナグマじゃなかったね」と一言。「ムササビには可哀想なことしたね」と誰か。「そうだねえ、アナグマがすき好んであんな高い所まで登る訳ないよね」とションボリする。「あのムササビ、またこの巣箱に戻ってくれるといいけど」と誰か。「そうだよなあ・・・」とうなだれる。

 かくしてアナグマ騒動が終わったが、昼前にK子さんが手作りクッキー持参で山に来て、スマホの動画を覗き込みながら「ワタシもムササビが飛んでるの、見たかったなあ~」と残念がっていた。

 昼食後のおやつでK子さんのクッキーを皆がいただいた後は、次兄はキンロクを採りながら山を下りて行き、KさんとYさんは薪割り、俺とK子さんは広葉樹の森の除伐作業などをして今日の作業(騒動と労働)を終えた。
2022年9月21日(水)晴れ(気温12℃)
おやじ山の秋2022(秋が来た)
 各地に甚大な被害をもたらしつつ北上してきた大型台風14号が、昨20日午前4時に新潟県に上陸した。一昨日(19日)の午前には台風襲来を見越してKさんが山に来てくれて、吹っ飛びそうなあれこれを片付けてくれたり縄で縛ってくれたりと全く大助かりだった。ところが予想外に、おやじ山では一時の強風のあとはシンと静まり返るほどの穏やかさで、台風は過ぎ去って行った。さらに幸運にも、むしろこの台風によって長く続いていたカラカラ天気に、慈雨と秋の冷気がもたらされたことである。そして今朝の気温は12℃まで下がって、意味も無く「ハーッ!ハーッ!」と白い息を吐いて嬉しがっていた。ようやくおやじ山に秋が来た。

 そんな朝早い時刻に(まだラジオ体操の時間だった)「ハイ、オハヨウさん」とAさんがヌッと現れた。「早いなあ」と驚くと、「これ、持って来た」と背負子に背負った赤シャベル3丁を肩から下ろした。防災用に山で使ってくれと言うのだ。多分今回の台風で気になりわざわざ川向こう(信濃川の西側でおやじ山からは比較的遠い地域)の自宅から持って来てくれたのだ。Aさんは昔クマを撃ってたという鉄砲猟師で、この東山界隈でも盛んに荒し回っていたという猛者である。

 今日の定例作業日にはKさん、Yさん、Hさんの3人が集まった。長岡市との協定地の除伐作業をやったが、涼しくなって作業も随分捗った。
2022年9月23日(金)曇り時々雨
おやじ山の秋2022(ホダ木床とヤマカカシ)
 今日は秋分の日。やはり朝明けるのが以前と比べ随分遅くなった。5時少し前にヘッドランプを点けてマイタケの植付け床(3カ所)を見回る。今日は少し気温が上がったが、昨日の朝は今期一番の冷え込みで10℃まで下がった。ようやくマイタケ発生の気温になった。ホダ木場にヘッドランプを照らして腰を屈めてジィ~ッ・・・と。未だのようである。

 案の定、今日の午前中、ホダ木を購入した加茂まいたけ生産組合の山崎組合長さんより電話が入った。「気温が15℃になったのでしっかり植付け場所を見回るように」とのお達しである。「はい、朝、昼、晩と一日3回は見回っております」と答えると、「それは見過ぎだなあ」と御注意された。昨日は10℃まで気温が下がったことなども話すと、「10℃はちょっと下がり過ぎです」とも言われた。ただ気温が下がれば良いと言うものでもないらしい。以前、山崎組合長に「ホダ木を植付けた最初の年でもマイタケ出ますか?」と訊いたところ「それは皆さんの心がけ次第です」と返答された。見回り回数といい、気温といい、果ては心がけまで、マイタケはなかなか気難しいのである。

 それに今日は、おやじ池で太いヤマカカシと鉢合わせした。谷川からの水道水が池に落ちる水くみ場で、まさに池の中から陸(おか)に上がろうとしていたヤマカカシと目と目が合った。「ギャーッ!!」と大声で叫んでしまったが、全くヘビだけは苦手である。仮に「クマとヘビとどっちが怖い?」と質問されたら、即座に「ヘビ!」と答える。その後ヤマカカシは反転して池に潜った。それからである。頭を下にして胴体を龍のようにくねらせて水中でもがいていたが、これがまた実に気持ち悪かった。それなら見なければいいのに、怖い物見たさで及び腰で見てしまうのである。
2022年9月26日(月)曇り時々晴れ
おやじ山の秋2022(定点撮影開始)
 昨日Yさんがペット氷2本と差入れのお弁当を持って山に来てくれた。冷蔵庫が無くて(電気が無いので)生鮮品は釣り用クーラーで保管しているのだが、買い物時にスーパーで失敬してくる僅かな氷よりはうんと長持ちするペット氷は大助かりである。

 それで昨日もYさんと一緒にマイタケのホダ木場を見回ったのだが、山斜面に植込んだ床でキノコの幼菌と思われる小さな芽が出ていた。「これはひょっとして・・・」ということで、Yさんから毎日定点撮影したらどうかと提案された。「なるほど、期待と希望の日々を記録する作業でもあるなあ」と合点して早速実行に移した。

 それで今日は撮影二日目である。見る限り、昨日と全く変わった様子がない。スマホのモニター画像を2本指で精一杯広げて「ン・・・?」と確認すると、腐葉土と枯葉と小枝やらのゴミに混じって、ようやく白いサムシングが判別できるほどである。期待と希望もおいそれとはやって来ないのである。
(左写真:定点撮影のつもり。こんな写真で分かる?分からない)
 今日も元鉄砲猟師のAさんが、またもや赤シャベル3本を担いで持ってきてくれた。前の3本の赤シャベルと一緒にズラリ小屋の壁に立て掛けてみると、実に壮観、勇猛な気分にもなって、見ているだけでどんな災害にも立ちむかえそうである。それにしても一気にシャベルが6本も増えて、これを使い切るだけの消防団いつになったら作れるかなあ?と腕を組んでしまう。

 
 
2022年9月27日(火)曇り
おやじ山の秋2022(Oさん来山)
 今日はOさんがおやじ山に来てくれる日で、嬉しくて仕方がない。脳梗塞を患い不自由な身体を押しての来山で、昨日からいろいろと準備した。先ずおやじ小屋の前の百年杉のところに置いてある大壺にミヤマガマズミを生けてみた。そしてちょっと大袈裟かなあと思ったけど「歓迎OS様」と書いた短冊を枝に吊した。おやじ小屋から風の小屋に通じる途中の坂道は、危険防止用の杭に巻き付けたロープをきつく結わえ直したり、風の小屋の室内では簡易ベッドを設えて、ここに腰掛けて休んでももらえるようにした。更に火棚に吊ったランプに火を灯して、ちょっと雰囲気作りをしてみたりと・・・。料理はきのこ汁と長岡の醤油赤飯を買ってきた。

 Oさんとは、会社時代に(所属は違ったけれど)あるプロジェクトで数年間タッグを組んで仕事をした同僚である。その当時から休みになると長岡の山に遊びに来てくれるようになり、とりわけ2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の後では、おやじ小屋の復旧作業に大いに尽力してくれたのである。(このホームページの「2006年8月11日~13日日記」に当時の事をアップしています。同じ「日記」に書いてあるTさんもプロジェクトを推進した仲間の一員で、Oさん同様おやじ山に度々来てくれていたが、今は消息が無い。どうしているだろうか・・・・)

 10時03分長岡駅着の新幹線でやってきたOさんを出迎えて、おやじ山までの山径を休み休みしながらゆっくり歩いて風の小屋に到着する。途中の山径のおやじ山に入る手前50mほどの緩い傾斜道は俺が勝手に「O新道」と名付けていて、震災で山径(おやじ山専用道)のここだけが崩れた。それをOさんが一人でここにやって来て、シャベルとクワできれいに復旧してくれたのである。
 振り返れば新潟県中越地震から既に18年、おやじ小屋の復旧作業から16年もの歳月が経った。途中途中で足を止めながら、Oさんとはそんな思い出話しをした。

 風の小屋に着いて部屋の中に入るようにと勧めたが、手足が不自由なOさんはここで靴を脱いでしまうと履けなくなると言って拒んだ。残念だったが外のデッキで過ごすことにした。二人でデッキに腰掛けてOさんが買ってきてくれたウニ弁当を食べ、俺が用意したキノコ汁で二人の時間を過ごした。

 その後、Oさんが昔長岡に来るとよく訪ねていた寺泊の魚市場にもう一度行ってみたいと言ったので、山を下りた。長岡市街地を抜け西山を越えて石地の海水浴場に出て、そのまま日本海の海岸線を寺泊に向かって走った。海も大好き人間のOさんは、助手席の窓から、まさに食い入るように日本海の大海原を飽かず見続けていた。
 寺泊の魚市場でOさんの買い物にお付き合いしてから、今夜泊まるという親戚宅にOさんを送り届けて山に帰った。

 Oさんと出会い公私ともに付き合ってから半世紀近い歳月が流れた。共にがむしゃらな時代があり、共に笑い共に泣いた時代があった。その長い長い歳月を反芻し、そのあれこれをまるで昨日の出来事のように思い出しながら、一人酒を飲んだ。