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最後のページは<6月13日> おやじ山の春2021 只今連載中  (4ページ「6月1日日記」から連載)       

2021年6月19日(土)雨
山を下りました(おやじ山の春-プロローグ)
 6月13日(日)の昼前に山を下りた。そしてお別れの挨拶に寄った蓬平のNさん、栖吉町のNさん、そして日赤町のSさんなどからさらに温かいご厚情を受け、胸を熱くしながら帰途についた。

 長岡を出て国道17号線を車で走りながら、「やっぱり体がバテてるなあ」と、4月6日の山入り以来、68日間に及んだ山暮らしの疲れを運転しながらも全身で感じ取れた。国道脇に車を停めてスマホで調べて見ると、越後湯沢で1泊朝食付5500円の格安温泉民宿が見つかった。

 いい宿だった。民宿にしては大きな風呂でゆったりと体を伸ばし、久々の畳の部屋で布団に寝転んだ時の幸せ感たらなかった。風呂でも布団でも思わず「あああ~!」と声が出てしまった。
 翌朝は宿の大広間でたった一人のお膳の前に座って、のんびりテレビを見ながらの朝食だった。 こんなふうにお茶碗に盛った温かいご飯を食べながらテレビを観るのも、随分久しぶりだった。簡単な惣菜が2,3品と味噌汁だけのお膳だったが、これも何十日ぶりのご馳走でおいしく頂いた。

 宿を出てから山越えで津南町に入り、千曲川沿いの117号線を走って長野県に入った。信州中野にある一本木公園のバラ園に寄るためである。何年か前にここに立ち寄り、その見事さに感動したことがあったからである。
 ちょうど昨日曜日で恒例のバラまつりが終わったとかで、バラの花も散り加減で人の通りも疎らだった。それだけにかえって、盛りを過ぎたバラの花々を労りながら、様々な思いで観賞することができた。

 14日の夜に自宅に着いて、その日以降眠りに眠った。山に居た時の習慣で、外が暗くなると眠気が襲って、そのまま朝まで眠り続けられるのである。健康と云えばまあ健康の証拠なのだが、こんな眠り癖が続けば脳がフニャフニャになって溶けてしまうかも知れない。
 それで(と言う訳でもないが・・・)昨日(6月18日)、神奈川県運転免許センターで認知症検査を受けた(受けさせられた)。山入りする数日前に、カミさんを車で送る途中、一時停止を怠って(それも意地悪なことに交番の前に一時停止車線が引いてあった)7千円の罰金を取られた上に、後期高齢者が違反した場合は「臨時認知機能検査」が課せられる法律ができたそうで警察に呼び出されたのである。
 結果は、100点満点で98点。「問題ありません。運転は続けて結構です」(当たり前だ!)と書面で渡され、脳がまだ溶けてないことは確認はしたが、嬉しい気持ちは微塵もなく、何やら釈然としない気分で帰ってきた。

 68日間の今回の山暮らしでは、偶然目にした自然の風景に心底感動したり、おやじ山で毎年巣作りや産卵する多くの生き物と、おやじ山に咲く花々に感謝し、またおやじ山に訪ねて来た子ども達、多くの友人達との楽しい交流があった。そういう意味でおやじ山は、まさに豊穣と慈愛に満ち満ちたかけがえのない場所なのだと思っている。



 おやじ山のカタクリ満開日は4月12日だった         5月25日、杜鵑蘭満開となる

6月12日、モリアオガエル3個産卵(5月15日の初産卵から合計7個となる)  木の枝にモリアオガエル5匹、分かる?

 5月18日、最後の子フクロウが巣立つ            カタクリの丘に立つ杉(ご神木)

 国道17号線から早春の雪山を見る        おやじ山の麓、栖吉町の田んぼに夕日が映る

(これから月日を遡って「2021年おやじ山の春」を少しづつアップする予定です)
2021年6月24日(木)曇り
みるく世(ゆ)の謳(うた)
 昨23日に開催された「沖縄慰霊の日」の追悼式典で、沖縄県の中学2年生上原美春さんの「みるく世の謳」と題する詩の朗読があった。その全文が今日の朝日新聞に掲載された。長詩ともいえるその詩を、2度、3度と繰返し読むうちに、共感と賛意の感情がさざ波のように胸に迫って、大きな感動の波頭となって胸を打った。
 以下は、美春さんが朗読した全5連詩のうちの、第4連の部分である。

 
いま摩文仁の丘(*1)に立ち 私は歌いたい
 澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ 今日生きている喜びを震える声帯に感じて 決意の声  高らかに
 
 みるく世ぬなうらば世や直れ
(*2)
 平和な世界は私たちがつくるのだ

 共に立つあなたに 感じて欲しい
 滾(たぎ)る血潮に流れる先人の想い

 共に立つあなたと 歌いたい 蒼穹(そうきゅう)へ響く癒(いや)しの歌 そよぐ島風にのせて 歌いたい 平和な未来へ届く魂の歌

 私たちは忘れないこと あの日の出来事を伝え続けること 繰り返さないこと 命の限り生きること 決意の歌を 歌いたい


注)(*1)摩文仁の丘:第二次世界大戦における沖縄戦の終焉の地。この丘に各県の慰霊塔が並ぶ。沖縄県平和祈念公園内の南端に位置する。
(*2)みるく世ぬなうらば世や直れ:(平和なら、暮らしは良くなっていくよ)。宮古島民謡「豊年の歌」の一節。「みるく世」(弥勒世)は、「神様が納める、平和で豊かな世界」。

   
写真奥が「摩文仁の丘」   摩文仁の丘から沖縄戦に想いを馳せる(2019年5月20日訪問した)
上原美春さんは、小さい頃から祖父が歌ってくれる「豊年の歌」の一節を詩の中で披露した。

 沖縄戦での多大な犠牲、米軍専用施設と辺野古の新基地問題、そして新型コロナによる緊急事態宣言下の今なお苦難の沖縄に、みるく世が一日も早く訪れますようにと、祈るばかりである。
2021年6月26日(土)晴れ
立花隆氏の死去-「田中角栄研究」の時代
 23日の報道でジャーナリストで評論家の立花隆氏の死去を知った。それでとっさに思い出したのが、1974年(昭和49年)の文芸春秋11月特別号に載った「田中角栄研究-その金脈と人脈」である。「確か当時買って読んだ文芸春秋が、まだ本棚にあるはずだ」と探ってみると・・・
「あったぁ~!」
 新年来の断捨離で随分本を処分したが、捨てずに残しておいたようである。俺が28歳の時で、その前年には第一次オイルショックがあり、巷には南こうせつの「神田川」が流れていた。俺も「♪若かかぁぁぁ~たぁぁのぉぉぉね~♪ 何もぉぉ怖くぅぅ無かったぁぁぁ~♪」の時代だった。そしてこの雑誌での立花の追求によって、田中角栄は総理大臣の座を追われることになる。

 立花隆の「田中角栄研究」と同時に、評論家児玉隆也の「寂しき越山会の女王」が掲載された。(角栄の金庫番で佐藤ママと呼ばれた佐藤昭のことが書いてあった)当時の記憶を振り返ると、立花よりは児玉隆也の名前が良く知られていたし、論文も「寂しき・・・」のほうが興味深くて、印象に残っている。児玉は38歳で夭折している。


おやじ山の春2021 只今連載中
2021年6月1日(火)爽やかな夏日
デッキ材注文
 藤沢市からの高齢者コロナワクチン接種のクーポン券(接種回数券、又は接種券でいいと思うのだが、どうしてお役所はきっちりした日本語を使わないのかと。まあ、怒っても仕方無い事だけど・・・)が、5月27日に自宅に郵送されて、当日中に近くの病院に予約できた、と先日カミさんから連絡があった。それで急いで帰宅する必要もなくなったが、そろそろ一度小屋閉めして帰る算段をしていたので、俄に気ぜわしくなった。

 風の小屋の玄関前に作ったテラスの下に、デッキも作りたいと以前から思っていた。雨の日でも、外に出て、デッキに座って山菜山の風景を眺めたり、本を読んだりできたらいいなあ~と。それで帰宅する前に、思い切って実行することにした。幅4000×奥行1800の寸法である。

 8時半、下山する。途中の作業道で、でっかい望遠カメラを手に持った黒ちゃんに会う。もう何年も前から、東山で野鳥を撮り続けているカメラ女子で、昨年などは風の小屋造りの手伝いもしてくれた。
「俺は用事で下りるけど、おやじ山で休んで行きなよ」と言うと、「うん、ありがとう。コーヒー置いとくね」と差し入れ宣言である。互いに手を振って別れる。

 幸い、ムサシ(ホームセンター)の資材館に足を運ぶと、今まで何度も相談に乗ってくれて馴染みになっていたTさんが居た。それで今日もTさん案内で材料を見繕い、一気に以下の注文をした。

 15型沓石 13個(16個必要だが、3個はテラス作りで余った沓石を使う)
 2×4材12フィート 19本
 3寸角材4m 4本(1.8m×8本にカットする)

 ムサシを出て越路まで足を伸ばした。ちょっとした買い物をして、昼食は評判の天丼屋で食べた。閑静な場所にポツンと建っているようなお店だが、さすがに引きも切らずの繁盛振りだった。
2021年6月6日(日)曇り
Kさん来山とデッキ材運び
 森林調査の相棒のKさんが、全く珍しい事だが数日前から新潟県内で仕事をしていて、今日は休みをとっておやじ山に来てくれることになっていた。それで折角の安息日なのに、長岡の仲間とともにデッキ材の運搬をお願いした。(Kさんゴメン!貴重な休みに仕事させて)

 10時、資材が置いてある見晴らし広場にKさんと地元の仲間のSさん、Kさん、Nさん、Hさん、自分の総勢6人が集結した。それぞれが資材を担いで風の小屋まで運ぶのである。やはり、員数の力である。昼前には全ての資材を風の小屋に運び終えた。
 Sさんの奥さんが全員分のおにぎりとおかずを作って下さって(いつもいつもスミマセン)、おやじ小屋のデッキテーブルで全員揃っての賑やかな昼食となった。
 午後からはスコップで土を掘ったり、砕石を入れたりと、レベルをとりながら沓石を並べた。これが予想外に難しかったが、3時前には16個の沓石を並べ終えた。
「何とか格好ついたね(笑)」 最後はNさん手作りのわらび餅とお抹茶に舌鼓を打って、皆が山を下りていった。


(写真撮影:健介さん)
2021年6月9日(水)晴れ(下界は真夏日)
汗だくの一日
 毎週水曜日を「越後長岡おやじ山倶楽部定例作業日」と決めた。
 それで、午前中にメンバーのSさん、Kさん、Yさんが来て、Sさんは風の小屋デッキの床張り、Kさんは昨年割った薪の集材、Yさんと俺は山仕事に精出した。
 午後になってHさんとNさんもやってきて山仕事に加わり、午後2時半、全員汗びっしょりかいて作業を終えた。
 Sさんのお陰で、デッキもほぼ完成である。
 池の周りのコシジシモツケソウが咲き始めた。これが咲くと、もう初夏である。


(写真撮影:健介さん)
2021年6月11日(金)下界は真夏日
Nさんからのビッグプレゼント
 昨日はN子さん、Nさん、Kさんと3人で塚山のI製材所に行った。ここは元来越後の古い家などを解体した時に発生した古材を再生する製材所なのだが、ついでに旧家の蔵などに眠っていた骨董品なども扱っている。風の小屋の自在鉤や囲炉裏の炉縁などはここで買ったものである。
 N子さんが骨董に興味があると知って、紹介がてらに昨日訪れた。そこで前々からずっと気になっていた古い流木のような材で作った椅子が再び目に入った。試しに座ってみると、なかなかいい感じなのである。俺が座り、Kさんが座り、N子さんも座り、Nさんが眼鏡を上げてじっと吟味していた。
「これ、風の小屋のデッキに置いたら似合うね」と俺がいい、皆の反応を見る。反応?なし・・・。「やっぱり止めるか。値段も張るしね」と、店(工場の倉庫)を後にした。

 そして、今日の夕方近く、俺が風の小屋に居ると、「お~い!ヤッホ~!」と外で呼ぶ声がする。窓から覗くとNさんとKさんが、何やら担架の上に絡げた荷物を運び込んでいる。「あ~あ疲れた」とドサッと風の小屋の前に置いた荷物とは・・・、何と!昨日見た古材で作った椅子である。
 訊けばNさんは、昨日I製材所から帰って、即電話して買い取ったという。そして今日ここに運んで来たのである。「全く、Nさんという人は・・・!」思わず目頭が熱くなった。
 以下は健介さんが撮ってくれた、今日のドキュメンタリーである。



(写真撮影:健介さん)
2021年6月12日(土)晴れ、真夏日
最後の夜
 いよいよ明日は下山の日である。
 朝おやじ池を覗くと、モリアオガエルの新しい卵塊が3個出来ていた。5月15日の初産卵から、合計7個産んだことになる。

 昼前にYさんご夫婦が訪ねて来て下さった。新しく出来た風の小屋のデッキで、ご夫婦が持参してくれた昼食を食べながら、しばしの楽しい時間を過ごした。

 ご夫婦が帰り、最後の仕事で、今まで働いてくれたチェンソーの整備をした。自分の愛用ハスクバーナーとおやじ山倶楽部で買ったやはりハスクバーナー製とスチール製のチェンソー3台である。

 最後の夜は、風の小屋のデッキで、ろうそくとランプの灯りを肴に酒を飲んだ。様々な思いと感謝の念で胸が一杯になった。
2021年6月13日(日)晴れ
下山(エピローグ)
 朝起きて、山を一回りする。
 初夏の花、エゾアジサイが咲き始めた。おやじ池の周りではコシジシモツケソウが更に艶やかさを増して(5分咲き位か)、オオバギボウシも咲き始めた。エゾアジサイもオオバギボウシも梅雨に映える花である。

 午前、風の小屋を閉め、おやじ小屋を閉めた。そして「ありがとうございましたあ~!」と大声で挨拶して、山を下りた。68日間の山暮らしだった。
(→トップページの「おやじ山の春-プロローグ」に続く)