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おやじ山の春2021

2021年4月6日(火)晴れ
山入りの日-花々の出迎え
 午前6時半、藤沢の自宅を出発する。前回(2月25日~3月12日)のおやじ山暮らしから今年2度目の山行きである。圏央道から関越自動車道をひた走って越後湯沢ICで国道17号線に下りた。まだ雪を頂く越後の山々をゆっくり楽しみながら、ドライブしたかったからである。時折、国道脇に車を停めて、スマホのシャッターを切る。

 12時半、Sさん宅に寄ってご挨拶をする。ついでに奥さんに「昨日から目にゴミが入って、洗面器に水を張ってパチパチやっても取れないので、長岡の眼科医教えて」と頼んだ。奥さんは即座にある病院名を言ってから、「ウ~ン、それ多分ヒブンショウね。スマホで検索してみたら」と仰られた。「ヒブンショウ?・・・飛蚊症・・・な~るほど」

 長岡市内や悠久山の参道のサクラは満開だった。おやじ山の麓の東山ファミリーランドに着いて、大型リュックに当面の衣類や食料を詰め山道を登り始めた。作業道脇のオオヤマザクラも満開である。
 おやじ山専用道に入ると、タムシバ、キタコブシは満開。イカリソウ、オオイワカガミは咲き始めたばかりの様子。それぞれの花に目を細めながら、ゆっくりゆっくりと小屋に向かう。山入の日のこの胸がときめくような感覚は、いつになっても変わらないのである。

 おやじ小屋に着いてリュックを下ろし、早速山回をする。先ずおやじ池を覗くと、クロサンショウウオの卵嚢が以前よりも随分と増えている。カタクリ広場は・・・8割方の面積は既に満開といってよさそうである。下の池にも行ってみると、水芭蕉は、純白の仏炎苞を少し出したばかりの可憐な花姿だった。

 夜、風の小屋のストーブを焚き、赤い炎のゆらめきを肴に酒を飲む。
2021年4月8日(木)晴れ
川辺の桜-十五の歌
 朝下山して、予約した長岡駅近くの眼科医院に行く。1時間ほど様々な検査をして、S奥さんの見立て通り「飛蚊症」と診断される。「このまま様子をみて、蚊が何匹も(!)飛ぶようになったらまたお越しください」と、検査だけで終わった。高齢者によくある目の老化現象で、1匹くらいなら慣れるより仕方が無いということらしい。しかし目の中でブンブン蚊が飛び始めたら、頭がおかしくなるんじゃないかなあ?と怪訝な思いで病院を出た。

 目の瞳孔を広げる麻酔をしたので、2,3時間は車の運転ができないということで、近くの福島江の畔をぶらぶら歩いた。折しも満開の桜で、開き放しの瞳孔で見上げると、チラチラキラキラと眩しいこと甚だしかった。ここは我が母校「長岡市立東中学校」があった所で、校歌にも、

 ♪川辺の桜 日に映えて~ 
  夢膨らます若人が~♪


とあり、まさに十五の青い春を過ごした懐かしい場所なのである。
 石川啄木の「一握の砂」には、

 不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
 空に吸われし
 十五の心

 夜寝ても口笛吹きぬ
 口笛は
 十五の吾の歌にしありけり


などがある。さて、俺の十五の頃はどうだったかなあと、しばし感慨に耽ったりした。

 午後はKさんが、車に積んできたクーラーボックス3個を小屋まで運んでくれた。そしてTさんが山に来て、「これ、あなたの嫌いなものでしょうが」とお酒の差し入れをしてくれた。
 
2021年4月11日(日)晴れ
水穴~萱峠を歩く
 今日は朝5時過ぎに小屋を出て、ブナ平からホオノキ平の尾根まで登り、三ノ峠山を越えて山菜の宝庫「水穴」に入って山菜採り。さらにその後、18日の下見を兼ねて、萱峠へのハイキングコースまで歩いて来た。25,000歩超のロングトレイルだった。三ノ峠から萱峠までは、毎年恒例の(昨年は中止したが)森林インストラクター神奈川会の仲間をおやじ山に招いた後の、オプション参加のスノートレッキングを予定していた。

 水穴には午前6時には入ったと思うが、所々に雪が残り、冬枯れの茶色い草原に真っ黄色のフキノトウとようやく頭を出したばかりのコゴミが散見された。それでも今年初めての水穴であり、今年はまだ誰もここには踏み入れてない処女地の雰囲気で、午前8時頃まで夢中で山菜採りをした。(後で新潟の兄に電話したら、「俺は先日水穴に行ったよ」と、一番乗りを宣言された)
 朝日が昇るにつれて水穴の斜面にカタクリが一斉に花開いて、春の日差しにビリビリと歓喜の花弁を震わせている。このままここに寝転んでいつまでも居たい気がした。
 しかし、と身を起こしてハイキングコースまで戻る。

 観鋸台(8:50)~水場(9:30)~ブナ林(9:40)~山頂(9:50)~強清水分岐(10:05)~萱峠への下山道(10:15)
 復路)観鋸台まで40分、三ノ峠山頂までは55分、といった按配である。昼前に小屋に戻る。



 Kさんご夫婦がおやじ山のカタクリ広場で写真を撮っていた。奥さんがずっとマスクをしていたのでてっきりKさんの娘さんだと思っていたが、後日、奥さんだと知って、「いやいやこれは失礼になったのか、ならなかったのか、果たしてどうだったのか?」と悩んでしまった。
 
 
2021年4月15日(木)晴れ
カスミザクラ満開
 おやじ小屋の前の斜面に山桜の大木がある。カスミザクラである。おやじ沢沿いの南に面した急斜面で、この斜面にはかつて4本の桜の大木があった。大雪の年に2本が次々に倒れて、今は2本だけになった。
 一昨日(13日)は強風の中、Yさんが奥さんと娘さんを連れてカタクリとカスミザクラの見学に来て下さった。娘さんはアメリカ在住のジャズミュージシャンで、コロナのパンデミックで久々に日本に一時帰宅し、郷里での原風景を、おやじ山でも懐かしみ楽しんでいただいた。嬉しかった。
 
 そして今日は、明日からのおやじ山ツアーで神奈川の仲間達が来岡するので、地元メンバーで小屋回りの片付けなどをした。Sさん、Kさん、Yさん、Hさんが駆けつけて、冬の間に枯れ落ちた杉っ葉や小枝の整理、山桜斜面の階段付けなどに汗を流してくれた。大助かりである。

 当初おやじ山ツアーに参加予定だったTさんからキャンセルメールが入った。現役の大学教授で、「日頃若い学生と接している身なので」と、他の参加者や長岡在住者への配慮からはばかられた様子だった。Tさんの参加を心待ちにしていたので、残念だったが仕方がなかった。
2021年4月16日(金)晴れ
おやじ山ツアー初日(山古志あまやち会館泊)
 今日は、神奈川から5人の仲間が長岡入りして、明日はおやじ山を訪問してくれる。1泊2日の短い滞在だが、コロナ禍の難しい情勢の中でわざわざ来てくれる仲間達のために、ここならではのお土産は?と考えて・・・
 朝4時半に起きた。薄暗い中を水穴に急ぐ。目的はコゴミである。水穴に着いた時にはすっかり明るくなって、立派なコゴミが収穫できた。カモシカが2頭、水穴の直ぐ上の斜面を通り過ぎた。堂々とした体躯で、ここでは初のカモシカとの遭遇である。 9時、重いリュックを背負って小屋に戻る。

 おやじ小屋の前と、風の小屋の玄関に大壺を据えて、カスミザクラ(おやじ小屋)とタムシバ・雪椿(風の小屋)の花を活けた。心得など無く、全くの我流だが、遠来の客人達への歓迎の意のつもりである。

 午後、山を下りた。川口道の駅「あぐりの里」で買い物をしてから、皆が待つ山古志あまやち会館に向かった。友人達は既に1部屋に集まって談笑していたが、殊勝にも俺の到着まで酒を控えていた。酒豪揃いが希有のことである。急いで宿の風呂で汗を流して部屋に戻り、皆で「カンパ~イ!」と相なった。
 夕食はそれぞれが距離をとっての会食だったが、久々に気のおけない仲間達と会って、楽しい夜を過ごした。
2021年4月17日(土)雨
おやじ山ツアー2日目(本番当日)
 生憎の雨となった。午前9時、あまやち会館を出発しておやじ山に向かう。

 皆さん雨の中、傘を差しながらも山径に咲く花々を熱心に観察し、写真におさめながら小屋に向かう。ショウジョウバカマ、トキワイカリソウ、マキノスミレ、ナガハシスミレなどなど、さすが植物好きの森林インストラクターの面々である。

 11時半、風の小屋着。
 「いらっしゃい!部屋を暖めておきました!」と、地元メンバーのKさん、Nさんが先に来ていて、ストーブに火を入れ、囲炉裏に炭を熾しておいてくれた。そしてNさん、Kさんは皆の到着を確認して山を下りて行った。有難かった。

 温かい小屋の中で、宿で頼んだおにぎり弁当を食べ終わってから(皆さんに振る舞うつもりで、昨日川口道の駅で買ったけんちん汁を出すのをすっかり忘れてしまった)傘を差しての観察会である。既におやじ山のカタクリは盛期を過ぎていたが、カタクリ広場を案内し、シイタケのホダ場で皆さんにキノコの収穫を楽しんでもらい、下の池のミズバショウを観賞してもらった。
 そして最後にコゴミとシイタケのお土産をお渡して皆と一緒に山を下りた。
 雨の山を下って、午後3時、麓の東山ファミリーランドの駐車場で手を振って皆と別れる。

 再び、雨の小屋に戻った。客人等への蔭の接待役、地元の仲間達に「皆さん大変喜んでいました。ご協力に感謝します。ありがとう!」とメールを送る。

 皆が帰った風の小屋で、一人酒を飲む。寂しくて仕方がない。
 
2021年4月20日(火)晴れ
山菜山でゼンマイ採り
 昨晩はフクロウの啼き声を何度か聞いた。嬉しかった。今年はクルミの木に掛けてあるフクロウ巣箱に子育ての気配が無く、「今年はダメかなあ」と半ば諦めていた。おやじ山のフクロウが毎年卵をかえして雛を育てて、もう10年近くは続いてきただろうか?今年も巣箱で子育て中と分かって、大いに安心した。

 今日は朝飯前に小屋向かいの山菜山に入った。東側の斜面に地元のTさんが既に入っていて、「おはようございま~す!」と大声で挨拶して、西側の斜面にとりついた。一袋ほど採って小屋に戻る。

 午前中はゼンマイを茹でて干したり、「フクロウ子育て中、お静かにお願いします」の看板をおやじ山の入口付近に立てたりした。そしてKさんが来たので、山菜山に再び入って、シドケ(正式名はモミジガサ、山形では山菜の女王と呼ばれている高級山菜である)の生えている場所を教えてやったりした。
 今日はポカポカと気持ちよい春日で、久々にのんびりと日向での一日を過ごした。

 ラジオが、神奈川県に「蔓延防止等重点措置」が発令された、と報じた。下界はなかなか大変な様子である
2021年4月22日(木)晴れ
春本番の「水穴」-早春の花々
 午前4時起床。外はまだ薄暗いが、薄墨色の空に抜けるような爽やかな気配があって、山菜採りには絶好な日和だと予感させる。先ずはコーヒーを入れる。起きがけの一杯が、俺にとっては1日の始動の合図である。

 5時、山菜リュックを背負って小屋を出る。ブナ平コースの登山道まで攀じ、5時半三ノ峠山。6時水穴に入る。目的はコゴミ。気合いのトレイルランニングである。
 水穴の東斜面で既にリュック7割方の収穫をし、小さな尾根を越えて西側の「本水穴」に移動し、8時半にはリュック満杯となった。こんな大量に採ったのは、自宅や友人たちに「旬の水穴コゴミ」を届けたかったからである。

 リュックを下ろし、山菜前掛けもリュックの中にしまって腰を下ろす。鋸山や東山連峰の山々、広大な水穴の風景を楽しんでいると、下から二人連れの山菜採りが登って来た。山菜採りの場所で、他人に会うのは嫌なものである。釣師が自分の穴場に他人が割り込んで来た時の心境に似ているかも知れない。

 腰を上げて二人から離れて、そのまま萱峠の登山道に出た。穏やかな日差しの山径には、早春の花々の競演である。カタクリやオオバキスミレ、オクチョウジザクラ、オオタチツボスミレ、トキワイカリソウ等々。重いリュックを背負いながらも、いちいち足を止めてはスマホカメラのシャッターを切った。


2021年4月24日(土)晴れ、曇り
K子さん来山
 朝9時過ぎにショートメールが入った。何とK子さんからである。「山に行ってみようかな?」と書いてある。すぐに電話を掛けて、「来てよ。麓で待ってるから。近くまで来たら電話しなさい」と急いで返事をする。

 K子さんの実家は農家で、おやじの本家と同じ村にあり、昭和20年の終戦を迎えて、おやじが秋田県湯沢に疎開していた俺たち家族をこの村に呼び寄せ、当面の住処をK子の実家に頼んだのである。住処といっても母屋とは別の納屋続きの牛小屋で、1階には牛、階段を上った2階には金網を張った鶏小屋があり、鶏と同居の生活だった。
 俺が2歳か3歳頃で、K子はまだ生まれていなくて、当然だがこの頃の記憶は無いという。
 うちの家族は数年でこの村を出て、宮内に引っ越し、その後は長岡へと移った。しかしK子さんの実家との家族ぐるみの交流は長く続いて、K子の祖母は何度も引っ越し先に泊まりがけで来てくれたし、俺たち兄弟も夏休みなどにはK子の実家に何泊もして、この家の子ども達と同じ兄妹のように過ごした。

 K子さんとは長く年賀状だけのやりとりをしていたが、つい先日、まさに何十年ぶりかで会った。今年のK子さんの年賀状には、古希を迎えて仕事に区切りをつけて辞める旨が書いてあり、それならと、おやじ山にいつでも来なさいと誘ったのである。

 11時前に電話があって、キャンプ場の駐車場で落ち合った。市内に住んでいても、東山に来たのは初めてだという。二人で作業道を歩き、見晴らし広場の展望台に上がって、「あそこが長岡市街。あの辺りがK子の実家」などと説明する。
 
 おやじ小屋の前のデッキテーブルで、K子さんが買ってきたパンを食べながら遠い昔の思い出話しなどをした。それから山を一回り案内して、ホダ木に生えたシイタケをお土産に持たせ、二人で山を下りた。「また来るんだよ」「うん、ありがとう」 そして麓の駐車場で手を振ってK子さんと別れた。

 今日は嬉しかった。