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2019年8月23日(金)雨
おやじ山 夏去りぬ
 今年の夏の山入りは6月11日、そして長岡東山ファミリーランドの市営キャンプ場に張ったテントを畳んで山を下りたのは8月19日、実に62日間の山暮らしだった。今まで夏場にこんなに長い期間おやじ山で過ごしたことはなく、しかも今年の夏はかってない厳しい暑さだった。夏男を自認している俺でさえ可なり体力的なダメージを受けたが、何とか持ちこたえられたのは地元長岡のおやじ山に集う仲間達がいたからである。Kさん、Yさん、Nさん、Hさん、そしてTさんやOさん等の新しく発足したおやじ山倶楽部のメンバー達との実に楽しい交流と、昔からのSさんご夫婦やNさんなどの青天井のご親切のお蔭である。

 6月の入山当初から梅雨明け(新潟県の梅雨明けは7月24日だった)までは天候不順な日が続いた。雨で何やら肌寒い日が続き、陰鬱な森の中でリョウブの白い花だけがやけに目立って咲き誇っていた。越後には昔から「白い花がいっぺ(たくさん)咲く年はコンキョ(困窮?)になるがてぇ」と言い伝えられていて、災害にせよ農作物にせよ「どうも今年はあまりいいこと無いなあ・・・」と憂鬱な気分でいた。
 そして梅雨明け宣言が出た7月24日以降、何と今度は連日真夏日と猛暑日が続き、台風10号が日本列島を襲った8月14日、15日には新潟県内は台風によるフェーン現象で全国一の最高気温を記録した。(因みに長岡は14日38.9℃、15日は38.7℃にもなった)
 7月24日の梅雨明けから台風10号が新潟県に最接近した8月16日に雨を見るまで、灼熱の太陽が照りつけるカラカラ天気が23日間も続いたことになる。

 今、62日間のおやじ山暮らしを振り返ると、この夏は殊更名残り惜しいような気持ちが否めない。何故だかよく説明はできないのだが、異常気象ともいえる今夏の厳しい環境の中で、身に余るほどの周囲からの親切を受けながら、俺なりに精一杯夏を過ごしたのではないか、という充実感からだろうか?

 仲間との草刈りや間伐作業などの山仕事や「風の小屋」(ゲストハウス)造りの合間に、仲間達と「おやじ山ホタル観賞会」(7月6日)や「暑気払いソーメンパーティ」(8月18日)を開いたり、Sさん夫婦のお誘いで蔵王の金峯神社の流鏑馬を見学したり、そして、蓬平の太田小学校の子ども達と一緒にブナ苗の植樹やブナ林で遊んだり、さらに、ガキの頃おやじに連れられてモズク採りに行った青海川の海を見ながら、遥か遠い昔を涙ぐむような思いで振り返ったりと・・・

 台風10号が去った8月16日の夕方、初めてキャンプ場でツクツクボウシが啼いた。テントの外に出ると今までとは違った風を肌に感じた。秋風である。おやじ山の夏去りぬ日である。

 仕事を終えてドラム缶の水風呂に浸かる  
太田小学校植樹会(7月10日)
 
子ども達と一緒にブナ苗を植える(7月10日)
 
おやじ山ホタル観賞会(7月6日)
 
おやじ山ホタル観賞会(7月6日)
 
おやじ山から長岡まつりの大花火を観る(8月2日 )
 
風の小屋 壁ログを組む(8月16日)
 
風の小屋 壁ログを組む(8月16日)
 
切妻にステンドグラスをはめる
 
暑気払いソーメンパーティ((8月16日)
 
暑気払いソーメンパーティ(8月16日)
 
暑気払いソーメンパーティ(TSさんも参加してくれた)
 
遠い昔おやじとモズクを採った青海川の海
(8月15日)

青海川の海(8月15日)
 
笠島の海(8月5日)
 
蔵王金峯神社の流鏑馬(7月15日) 
 
青海川の海
 
「青田道少年の日へまっすぐに」(託念寺の裏門から信濃川の土手を望む)