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2018年1月7日(日)晴れ
我が正月
 昨年10月に兄が亡くなり、喪中の寂しい正月を迎えた。例年元旦には、いそいそと郵便受から年賀状を取り出して、ご無沙汰している一人ひとりの顔を思い出しながら賀状に目を通すのだが、今年はそれも無かった。(何枚かは来たが、それはそれで嬉しかった)

 それで元日には、ぶ厚く届けられた新聞をほぼ隅から隅まで読んで、挙句の果てに読み草臥れて早ばや酒を呑み、(年末に奮発して買ったジャンボ宝くじがことごとく外れて、気落ちしたせいもある。何しろ昨年12月は、森林調査で富士山の麓をぐるり1周する幸運に恵まれ、新年はきっと吉報が舞い込む(例えば1億円が当たるとか)予感があったので)

 2日、3日は、昨年はインフルエンザの予後でパスした箱根大学駅伝を、例年の定番位置に陣取って応援した。選手の力走に「ガンバレ~!ガンバレ~!」と叫びながら、我が身体にもメラメラと紅蓮の炎が燃え盛って来るようで、最後尾の「ご声援、ありがとうございました」とスピーカーを鳴らしながら通り過ぎる広報車にも、思わず「ガンバレ~!」と小旗を振ったりする始末だった。

 それでも2日の夜は、名古屋に単身赴任している息子が家族を連れて来てくれて皆で食事を共にし、3日は同じ藤沢市の近くに住んでいる友人のYさんが、手作りの見事なおせち料理をどっさり持って来てくれた。29日から大晦日の夕方までかかって作り続けたそうだが、味といい見栄えといいプロ顔負けの技である。

 そして今日は早7日。そろそろ明後日(9日)からの九州出張の準備をせねば、と気が急き始めた。それで先ずは、ふやけた身体を立て直すために、近くの公園までジョギングをしてきたところである。(どてらを着て、マフラーを巻いて、ヨタヨタと・・・)
2018年1月8日(月)雨
祝日考と今朝の歌
 今日が成人の日だという。新聞やテレビで報じられるので「ああ、そうか」と判るが、おやじ小屋にでも隠遁していたら「まさか?」と疑ってしまう。全くその年によってくるくる祝日が変わるというのは如何なものかと、憤懣やるかたない。昔は(またこんな言い方すると老人扱いされそうだが)成人の日と言えば小正月の1月15日とはっきり決まっていて、田舎では女正月とも言って、正月に忙しく働いた主婦(女衆)を労い、夜は正月の松飾や注連縄、書き初めなどを家々から持ち寄って田圃の真ん中で「どんど焼き」をして、合わせて村に成人式を迎えた若者がいればここで大いに祝福し、「さあ、これから大人としてしっかりやるぞ」と決意させたのが、この1月15日ではなかったか。
 かつて東京オリンピックの開催日10月10日を体育の日と定めたが、この日も何やらふらふらと前後に動いて、10月10日が祝日故に結婚した夫婦や特殊日に定めた人は、全く大迷惑である。何故こうなったか。俺の記憶では、大企業の経営者に政治家がおもねた結果である。休日が飛び飛びでは溶鉱炉や生産現場で火を消したり点けたりと生産効率が悪い、という経営の論理に組したのである。もはや日本は重厚長大な産業構造ではない。すぐにでも成人の日と体育の日は元に戻してもらいたい。歴史や伝統をないがしろにした祝日では、意味がない。

 さて、話は変わって、今朝の新聞に次の俳句と短歌が載っていた。

 
炎にも見えて選手の白き息  (飯塚柚花)

 
九十のわれひとり歌う子守歌母に会いたしあのころの母に  (伊藤千代子)

 俳句の方は、まさに昨日の日記に書いた箱根大学駅伝の選手の息が、俺の胸に火を点けた様であり、後の短歌は、人間幾つになっても子が親を思い慕う気持ちは変わらないのだと、しみじみと感じた。声に出して繰り返し詠じたが、思わず涙が出た。
 「自分は親を超えた」(精神的にも、実年齢においても)と言うのは本人の傲慢以外の何ものでもない。たとえとうの昔に死んでしまった親でさえ、子と親の関係は永久に縮まることのないかけがえのないものではないかと思っている。
2018年1月31日(水)晴れ
何やら多忙な・・・1月(?)
 「いよいよ新年を迎えたなあ~」と、しばしの感慨に耽っていたら、早、1月も今日で終わりだという。人生の時間は、年齢km/hの時速で過ぎるというから「むべなるかな」と納得せざるを得ない。それにしても今月は、少し忙しかった。(現役の人からしたら、「暇人が何をほざくか!」と叱られそうだけど・・・)

 先ず9日に九州宮崎に入って、いつもの相棒(俺の上司)のKさんと一緒に、鹿児島、熊本、また宮崎とぐるり一周して14日まで森林調査の仕事で出張した。ちょうど南九州地方に寒波が襲来し、えびの高原をタイヤチェーンで走り、薩摩半島からは桜島の初冠雪を望み、熊本人吉では川面に立ち昇る球磨川の朝霧に眠気を覚まされ、さらに不知火海を遠望する尾根からは、眼下に広がる雪の付いたミカン畑を目にした。

 今回の出張で、仕事前の朝の時間に、再び霧島神宮に参拝することができた。人気のない冷えた早朝の参道を何やら粛然とした気分で進み、まだ正月の松飾が飾ってある境内に入った。朱色の拝殿と屋根に薄く積もった白雪が美しいコントラストを見せて、おそらく珍しい南国名所の貴重な雪景色を体験した。

 出張の間、往復の機内や宿での空き時間に家から持参した「都市と野性の思考」(インターナショナル新書)をじっくり読んだ。哲学者・京都市立芸術大学学長鷲田清一(わしだきよかず)と霊長類学者・京都大学総長山極寿一の対談集であるが、老いについて、家や家族の問題、食や社会の変化、アートやファッションの起源や意味、教養の本質、大学の使命、さらにAI時代の考察等々、まさに知の饗宴(帯に書いてあった本の宣伝文句)に酔いしれながら楽しく勉強させられた。(鷲田清一氏は朝日新聞1面囲みに「折々のことば」を連載しており、今日1月31日で何と1008回になった)

 そして前々からずっと思っていたことだが、おやじ山をどのような形で将来に引き継ぐかを、具体的に検討し始めている。「サステナブル里山おやじ山プロジェクト」(仮称)の策定とプロジェクト立ち上げ準備である。毎日、いろんな資料をひっくり返したり構想を巡らしたりしているが、先ずは拙速でも初版を早くまとめて仲間達から意見を頂戴したいと思っている。

 それから、やはり1月だから、例によって仲間と酒も大いに呑んで、忙し(?)かった。今月は神奈川県在住で同郷長岡出身のSさんが森林インストラクター試験に合格し、早速全国森林インストラクター神奈川会主催の歓迎会に駆けつけてSさんとの嬉しい再会を果たした。

 昨30日は、28日に続いて名瀬谷戸の会で実施した「ピザ窯作り」に参加した。雪融け跡の建築場所で泥んこになりながら、1個70kgの大谷石を2人1組でウンショ、ウンショと運んだが、疲労困憊したが、大酒を呑んだり、終日パソコンと睨み合ったりするよりは遥かに健康的だった。