最後のページは1月20日

2008年1月4日(金)晴れ
新年のスタート

 正月三が日に続き今日も暖かい1日だった。何となく雪国の皆さんには申し訳ないような穏やかな冬晴れの日和である。それでそろそろ初詣の人出も一段落した頃だろうと、こちらではとても有名な相模国一之宮「寒川神社」にお参りに行くことにした。自宅からは割と近くにあって毎年の初詣はこの神社に決めていた。
 ところが、一段落どころではないやっぱり凄い人混みだった。ポ〜ンとお賽銭を投げてあれもこれもと欲張りなお参りをしている間、後ろから押されてよろめいたりして意識が集中できず、途中で「はて?どこまで神様にお願いしたんだっけ?」と反芻してみる始末である。お札を買うところもまるでデパートのバーゲン会場並みで(行ったことはなくテレビで観た様子が)、長い破魔矢を買った人など高々と手にかざして行列の間を掻き分けて戻るほどである。いつものようにおみくじも引いてみた。いい運勢は出なかったが、これはこれで有難い貴重な戒めと丁寧に折り畳んで境内の綱に結わえた。
 昨日は箱根大学駅伝を沿道で小旗を振って応援した。復路のコースを小田原中継所までテレビ観戦し「これはやっぱり実物を・・・」と慌ててコタツを出て車で国道一号線に向かった。読売新聞の紙の小旗を貰って沿道で選手を待ち受けていると隣に並んだ年配の女性3人組のカン高い声が聞こえた。「早稲田の○○君、ほら坊主頭の子ね。この子は・・・」「2位の駒大の○○君ね、この子の走りはね・・・」と3人ともビックリするほどの知識である。思わず「凄いなあ、まるで解説者並みだなあ!」と感心して声を掛けると、「だってここに来る前にずっとテレビ観てて覚えてきたもの」とまるで観戦態度が真面目なのである。全く恐れ入ったが、お蔭で私も「○○ガンバレ〜!」とこのおばさん連中の会話で覚えた選手名を連呼して実に愉快だった。
 しかしとにかく今日で年末年始のささやかな私的行事を終えてほっとした。現役の人は今日から仕事はじめだが、私は明日からが新しい年のスタートである。この一年が充実した良い年となるよう願っている。
 

2008年1月5日(土)曇り〜晴れ
環境問題のスタンス

 これは一体どうしたことだろう!新年が明けた途端に新聞もテレビやラジオもマスコミこぞっての地球温暖化に関する報道ラッシュである。新聞は元日から地球環境の特集記事をスタートさせ、NHKや民放各社も一斉に地球温暖化の特番を組んで報じ始めた。実にいいことではあるが、短期間にこれだけ大量の似たもの情報が茶の間に投下されるといささか食傷気味になって、「いい報道なんだけどもったいないなあ」とつい思ってしまう。もっと前からこうした報道がなぜできなかったのだろう?新年だけのムード的な打ち上げ花火でなく、今後もマスコミ各社が地道に報道を続けてくれるのだろうか?と心配しつつも願わずにはいられない。
 正月にお神酒を飲みながら観たこれらの番組のなかで、3日に放映されたテレビ東京の「ガイアの夜明け-資源争奪で地球と日本が危ない-」では地球規模の環境問題が一筋縄では行かない現実を映して改めて深く考えさせられた。それは南米アマゾンの貴重な熱帯雨林が焼畑によって大豆畑に切り替えられていく環境的惨状を、現地住民の経済発展や自給率わずか40%という日本の食料資源の貧困さ(実際日本は大豆の97%を輸入に頼っている)と照らし合わせて、番組の最後で「さて、環境問題であなたにできることは?」と問いかけるものであった。ゲストは作家の村上龍と女優の工藤夕貴である。工藤夕貴が「一人ひとりの地道な努力」と答えたのに対し、村上龍はおおむね次のように答えた。「今、温暖化対策というと、すぐ<我慢すること><欲望を抑えること>と言うが、これは違うと思う。もっと人間にとって基本的な欲望を追求すべきで、例えば<きれいな空気が吸いたい><もっと美味しい米が食べたい>とかで、これが真の環境問題を解決する鍵だと思う。温暖化対策をネガティブな方向で考えたら暗くなって継続できないのではないか?」 酒を呑みながらでメモをとってた訳でもないので表現は大分違うと思うが、私の受け止めた理解は以上のようなものである。環境問題を考えるスタンスとしてヒントになる一つの答えだと思った。
 今日の午前中は寒かった。そんな中で所属している地元のボランティア団体の自然観察会があって参加した。川縁の遊水地や里山の際をゆっくり歩きながら、冬枯れた植物や木々の冬芽、水面に遊ぶ冬鳥などを楽しく観察した。私にとっては今年のキックオフのようなものである。

2008年1月20日(日)曇り
労働開始

 新年の1月8日からアルバイトを始めた。昨年12月に藤沢のハローワークに行って端末を叩いて見つけた農園作業である。時給750円〜850円とあってハローワークの紹介状を持って面接に行ったら、最初の1ヶ月は試用期間で時給735円だという。「神奈川県の最低賃金は確か時給736円で1円下回るけど・・・」と思ったけど、「どうかよろしくお願いします!」と社長さんに頭を下げて採用してもらった。
 勤務は朝の9時から午後5時までで、
2週働いた中で30分の残業が3回あった。作業の概要は次のようである。朝大声で「おはようございます!」と詰所(納屋?)に出勤し、予めボードに書かれた当日の割り振り表を確認する。男性はおよそ15人ほどで各名前の脇に当日の作業名が簡単に書いてある。私の名前はボードの一番下で、例えば「関 バラ」などと書かれる。女性も7、8人がこの詰所に集合するが女性は全員が同じ仕事に就くようでボードの記載は無い。9時10分前に常勤の若い社員から簡単な作業指示を受けて各グループ毎に作業場に向かう。初日は先輩のHさんについて、私より1日前に入った新人のTさんと一緒のポット苗の雑草取り作業だった。作業を始めてすぐ、朝礼の時の常勤さんが我々の所に来て「午前中の目標はここと隣の2ベット、午後はあっちの残りの4ベットをやっちゃってね。のんびりやってちゃあダメだよ。効率だよ、効率!」と早速ハッパをかけられた。地べたに屈んだままの姿勢でその1ベットと称するポット苗が並んだ区切りを眺めると、ズラ〜と遥か向こうまで並んでいる。これを今日一日で6箇所も!とビックリしてしまった。それでも新人2人は「はい!」と殊勝に返事をして猛然とダッシュを開始した。常勤さんが行ってしまってからTさんが呟いた。「俺ここで長続きするかなあ〜。今まで皿洗いだとか昼の弁当運びだとかタクシーの運転手だとかいろいろアルバイトやったけど、みんな長続きしなかったものね。皿洗いなんてもう次から次と流れてきて<ワ〜!もう来ちゃダメ!>って叫びたくなったもの。それで家に帰ってからもうなされたようになっちゃって2日間でそこを辞めたもの」 しかしこのTさんのいろいろなアルバイトの体験談は面白くて、お蔭で第1日目は実に楽しく終わった。2日目からはバラ苗の鉢上げ作業だった。私の分担はバラの苗に各々品種毎のラベルを結わいつけ、拡がった枝を結束帯で巻いてシュッと締めて空鉢に詰め隣の土入れの工程に渡す作業である。これも1時間何鉢と目標設定があり、必死になって根切りされたバラ苗を鷲掴み、ラベルの紐をトゲトゲの幹に縛り、結束帯を枝に回して片方の穴に通してギリギリ絞り、はみ出た部分をチョンと鋏で切り落としてから根を鷲掴んで空鉢に詰める、という一連の作業を数十秒でやるのである。最初は指先にバラの棘が刺さって思わず「痛い!」と声を出したり、前工程の根切りが浅くて鉢の径よりうんと拡がった太い根を「コンチキショウ!」などとどやしつけながら握力で絞って空鉢に押し込んでいたが、こういう感情的な声を発してはいけないことが直ぐ分かった。何よりも周りの先輩たちは皆押し黙ったまま誰1人こんな声は出さない。農園とはいえここは工場である。生産工場で回り続ける歯車のように、ここでも自分が1個の歯車になって無心に目と手を動かし続けることがここで働く知恵である。なぜなら、いちいち敏感に感情まで動員していたら直ぐに心身疲労で続かなくなること必定である。このバラ作業の何日目かに社長が見回りに来たことがあった。ゆっくりやっていた訳ではないがやっぱり新人がブレーキになっていると思われては、と変に意識してアガってしまった。そしたら今までスッスと入っていた結束帯の穴に片一方の端が入らなくなって手元が狂い始めた。ましてや社長が「あれ?」と身を乗り出すものだから益々アガってしまって思わず「スミマセン」と声がこぼれ出てしまった。全くあの時はザマあ無かったなあ・・・(これで1ヶ月経っても時給据え置きにならなければいいが) サクラ草の出荷作業もやった。ここでも大変なことがあったがいちいち書くとキリが無いので書くのをやめる。
 実は今日本当に書きたかったのはこんな作業内容のことではなく、どうして突然アルバイトをする気になったか、ということである。素直に金が欲しいということも大きな理由である。まだ自分の年齢では満額の年金は支給されず、生活は正直言って苦しい。この中で、やれおやじ小屋の修理だ、借金してのチベット旅行だトルパン旅行だとヤクザな生活を送ってカミさんの顰蹙(あるいはそれ以上)をかっている。でもこの理由以外に、私は単純に働きたくなったのだ。身体を動かして報酬を得たくなったのである。私の「働く」という意味はそういうことである。会社を2年前に定年退職してから私は「仕事」はずっとやっていたが「働」かないできた。そのことで悩みもしたがそれはそれなりに理由があった。将来の森づくりのためにまだ緒についたばかりだがおやじ山の仕事に汗を流し、ささやかながら地元のボランテア活動に参加し、そしていつか環境分野で役立てようとそれなりの勉強をし新しい資格も取った。そのための時間で定年後の2年を費やしたが自分の心の中で納得できない何かが巣食い始めている。それは人間とは本来身体(肉体)を動かして(酷使して)その成果を目に見えるもので受取ることで「働いた」という喜びを得ているのではないか。それが他から見ても美しいと感じられる労働行為で、それがとても今の自分にとって羨ましくなったのである。もちろん報酬は多いに越したことはないが、それは報酬の多寡に拘わらず自分自身の納得できる真っ当な行為として自身を誉めてやるべきことなのではないか、とも思った。自宅近くに大きなスーパーがあり、その駐車場の入り口で雨の日も冷たい風の吹く日も赤い棒を振って交通整理をしている警備員を見ると、私の目にはその姿が神々しくさえ見え始めた。それで「もうダメだ。俺も働かないといけない」と心底思ったのである。
 明日は大寒である。地球温暖化のせいで生ぬるかったこの冬も本格的に冷え込んできた。今朝の新聞には<大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり>(富安風生)の句があったが、明日からまたアルバイトに向かう自分にとっては厳冬こそもってこいの気候である。